2.出逢いの運命
 
「だから、そのスウガクテキキノウホウをもっと詳しく教えてって言ってるのっ」
 少したどたどしい日本語ながら、テーブルを叩かんばかりの勢いで言ったのはシィエラだっ
た。それに対して京も憮然とした表情で言い返す。
「すでにボクはめいっぱい易しく説明している。それはもうこれ以上ないってくらいにね」
「でも、わかんないもん」
「それはキミの勉強不足だ。日本に大学に入りたいんだったら、もっと日本語を勉強してく
るんだね」
 現在、シィエラは日本に自主留学中の身であり、その傍らティーンエイジ向けのファッショ
ン誌でモデルとして活動していた。
 シィエラの名はいわゆる芸名で、雑誌では『SHIELA』と表記される。街に出れば女
子高生たちに囲まれることも少なくない程に有名なモデルなのだが、今は極めて不機嫌な顔
をしている。――いや、今だけではない。京が見る彼女はたいてい不機嫌な顔か拗ねた顔を
していて、雑誌で見せているような笑顔などほとんど見たことがなかった。これでよくモデ
ルが務まるものだと、つくづく思う。
 さて、一方の京はというと、すでに大学に在籍していて、ひょんなことからシィエラと知
り合い、同じマンションに住むようになって以来、こうして彼女に勉強を教えているのだ。
モデルをしているシィエラは職業柄普段からスタイリッシュな格好をしているが、反対に京
の方はファッションに疎い。とは言え、シィエラと出会ってからと言うもの彼女の影響、と
いうよりお節介によって、少しずつセンスの良い服が増えてきていたりもする。
「なによ、キョウだって学校で韓国語を習ってるくせに、ほとんど喋れないじゃないの」
 テーブルに手をつき、身を乗り出してシィエラは文句を言った。しかし、京はあぐらをか
き、頬杖をついたまま素っ気なく言い返す。
「日本の学校はね、外国語に関してはそれほど実用的なことは教えないの。よって、ボクが
たいした会話ができないのは仕方ないことだ」
「そんなこと言って、ホントはベンキョウブソクなんじゃないの?」
「自分のことを棚に上げて、そういうことを言うか? それならそれでいいさ。キミの勉強
が進まないだけだからね」
 そう言われてシィエラは言い返す言葉がなかった。「う〜」と何か言いたげにうなっている
辺り、ただ単に語彙が乏しく、言葉が浮かんでこないだけかもしれないが。
 そして、その結果――
「もういいっ。キョウ、嫌いっ」
 立ち上がり、叫びながら部屋を出て行った。
(ちょっと大人げなかったか?)
 赤色のフレアスカートと茶色の髪、白色のリボンが揺れる後ろ姿がドアの向こうに消えて
から、京は少し反省した。
 自分の机へと向かうと引き出しを開ける。そこに入っていたのは日韓辞書やら単語帳な
どであった。これらはすべてシィエラと出会ってから買ったものだ。
「さて、数学的帰納法を韓国語で説明か。これは難題だな」
 そう言って、与えられた課題の難解さに頭を抱えた後、背もたれに身体を預け、思わず天
井を仰ぎ見た。そうしながら、京はシィエラと出会ったときのことをふと思い出していた。
 
◇              ◇
 
 そのとき、京は人混みをかき分け、走っていた。
(『天界の扉ヘヴンズ・ドア』が開いたのは確認した。なら、奴らが降りてきているはず)
 そして、手にはいつものように愛用の鎌、『告死天使アズライール』。
 そんな危険な凶器を持ちながら、それは誰の目にも映っていなかった。天使はその身体の
ほとんどを精神エーテル体で構成し、物理的存在が希薄である。それ故、天使に対しては精神エーテル体へ
直接攻撃する方が効率的であり、それを目的とした兵器には魔術的加工が施される。
同時にその兵器は天使同様に物理的存在が希薄になり、常人の目にはとまりにくくなる
のである。
「こっちか」
 京は人気のない路地へと折れた。
 先程からある程度の見当をつけて拡散させていた感覚に天使の反応があったのだ。
(『天界の扉ヘヴンズ・ドア』の規模からして、おそらく下級だろう。だからと言って放っておくと厄介だ
しな)
 そうしているうちに京は天使を発見した。
「なっ……」
 京は驚きの声を上げた。
 無論、天使の姿に驚いたわけではない。天使を中点とした京とは反対の場所に、第三の人
物いたからだ。年齢は京より少し下の十七、八くらいだろうか。まるでファッション誌から
飛び出してきたような――実際にそうだったわけだが――服を着た少女だった。彼女もまた
京の姿を見て驚いているようだった。
(なぜこんなところにいるんだよ)
 こんなビル群の路地裏に、しかも場違いなほどスタイリッシュな格好をした少女がいるこ
とに京は心の中で文句を言う。とにかく、彼女には自分しか見えていないはずなので、多少
奇矯な行動に映るであろうことを覚悟し、京は自分のやるべきことを優先することにした。
 京は『告死天使アズライール』を両手に持ち替え、天使に向かって走り出した。
「さがってろっ」
「さがっててッ」
 京は再び衝撃を受けた。自分の声と重なって放たれた声が目の前の少女のものだったのだ。
(この娘、天使が見えてるのか?)
 しかし、今彼女を問いただしている暇はない。京は彼女がどんな行動に出るのか視界の端
で窺いつつ、自らも行動に移した。
 少女の口が動く。京のところまでは届かないが、何か歌のような旋律が紡ぎ出されている
ようだった。それと同時に手は複雑に動き、最後に指が組まれる。次の瞬間、彼女の手が淡
い光を放ち、圧縮されたエネルギーが散弾のように放たれた。
 まさか人間如きがこんな芸当を持っているとは思っていなかったのか、天使は少女の術の
効果をまともに受けた。
「所詮は下級天使か……」
 散弾に身体を撃ち抜かれた天使にとどめを刺すべく、京はさらに加速した。近くにあった
木箱を踏み台に跳躍し、続けてビルの壁を蹴る。そうして瞬発力を水平移動の力に変えて、
一気に間合いを詰める。
「はっ!」
 振り下ろされた鎌が天使の身体を袈裟懸けに斬り裂く。天使は断末魔の声を上げることも
なく霧散した。
「やれやれだ」
 トン、と軽やかに着地した京は、ひとつ仕事が終わったことに安堵のため息をついた。
 そして、先程から気になっている少女へと向き直る。歩み寄りながら京は手の中の鎌を
どうするか迷っていた。これが見える人間と相対したことがないので、この剣呑な凶器を
どう持てばいいのかわからないのだ。迷った末、鎌を自分の背に隠すようにして持つこと
にした。
「キミは? キミにはあれが見えるのか?」
 と、そこまで訊いたところで、京は彼女が呆けたように自分の顔を見ていることに気づい
た。
「えっと、ボクの顔に何かついてるの……かな?」
「えっ? あ、ううん、何もついてない」
 少女は妙なイントネーションでそう答えた。気のせいか、彼女の顔が少し赤いように思え
る。
「で、わたしに何か用?」
 そう言うと、少女はそっぽを向いてしまった。
「何だか不機嫌そうだね。……いや、用と言うほどじゃないんだけど、キミは?」
「そういうの、普通、自分から先に名乗るものだと思う。でも、いいわ、教えてあげる。わ
たしはシィエラ。通りすがりの魔術師ってところかな?」
「失礼。ボクは京だ。そう、魔術師ね。なるほど。持つ力は違えど、やってることはボクと
同じってわけか」
 京は納得した。
 と、そのとき、京の鋭敏な知覚力が危険を訴えてきた。
 考えるよりも速く行動に移す。
 まず目の前の少女――シィエラを小脇に抱えると、その場から飛び退いた。次の瞬間、さっ
きまでふたりのいた場所に爆音に似た音が鳴り響き、アスファルトの地面に穴が穿たれた。
「え、な、なにっ!?」
 シィエラが困惑の声を上げる。
「どうやら仕留め損なったらしい」
 彼女の身を庇うように立ち、京が答える。
 空中に光が集まりはじめ次第に大きくなっていく。そして、ついには再び先程の天使が姿
を現したのだ。
『その力……。そうか、汝ら、《神狩人》の一族か……』
 天使の、声ではなく思念波が京とシィエラの頭に直接響いてきた。
『己の力を過信し、自惚れ、恐れを知らぬものども……』
 しかし、京は天使の言葉を無視し、鎌を両手に構え直した。
「シィエラ、さっきのもう一度できるか?」
「ええ、もちろん」
「よし、じゃあ、行くよ」
 言うと、京は天使へと走り出した。同時にシィエラが呪文の旋律を口から紡ぎ出し、手で
印を結ぶ。
『愚かな……』
 天使の手が光り、そこに剣が現れた。天使のその剣を無造作に振るった。その刹那、剣圧
が放たれる。しかし、京は動じることなく、タイミングを合わせ鎌でもってそれを弾き飛ば
した。
「キョウ!」
 シィエラの声が響く。それは京の身を案じた叫びではない。術が完成した合図だった。シィ
エラの声を受け、京がビルの壁を利用し高く跳躍する。そして、シィエラの掌からは巨大な
魔力の塊が放たれる。
 京にばかり気を取られていた天使は完全に虚をつかれる形となった。地面すれすれを飛ん
でいた魔力弾はその軌道を上方へと変えると、天使の身体を下から上へと撃ち抜いたのだ。
 さらに続けて先程跳躍した京がそのまま高々度から襲いかかる。重力加速度と自分の体重
を乗せた鎌で、今度は頭頂から縦に斬り裂いた。
『《神狩人》のものよ、覚えておくがいい。我らが主は汝らの存在をお許しにはならない……』
 それが最後の言葉となり、天使は消滅した。
「勝手なことを言う」
 京は吐き捨てるように言った。
 ふたりはしばらく様子を窺っていたが、再び天使が姿を現すことはなかった。どうやら完
全に消滅させることに成功したようだ。
「ありがとう、シィエラ。おかげで手間をかけずにすんだ。礼を言うよ」
「べ、別に、お礼なんか……」
 シィエラは京の視線から逃れるように顔を背ける。
「こっちも仕事だし。それにわたしとしては何だか横取りされた気分。文句を言いたいくら
い」
 そう言うとシィエラは踵を返し、すたすたと歩いていってしまった。そんな彼女に、京は
肩をすくめると、本日二度目となるいつもの口癖をこぼした。
「やれやれだ」
 これが京とシィエラの出逢いだった。
 
◇              ◇
 
 三十分ほど数冊のテキストと格闘した末、京は何とか件の単語を韓国語で説明できるよう
になった。しかし、京の心中というのも複雑なもので、こういう努力をしていることはシィ
エラには言いたくないし、進んで韓国語で会話をしようとは思わなかった。
 ふと見るとテーブルの上にはシィエラの残したテキストやノートがそのままになっていた。
それらを閉じ、ひとまとめにして抱え、自室を出た。
 1LDKのマンション。自室を出るとそこはリビングになっているのだが、意外にもそこ
にシィエラはいた。しかも、勝手知ったる他人の家。スナック菓子を皿にあけ、TVを見て
いる。これにはさすがに京もむっとした。
「なんだよ、キミは。自分の家に帰ったんじゃなかったのか?」
「そんなこと言ってないよ」
 そう言うと、シィエラはふてくされたような顔を京に向けた。こんなふうに真っ直ぐ見つ
めてくるときのシィエラは必ず「負けるもんか」と言わんばかりに一生懸命な表情をしてい
る。
 京も顔をそらさずに視線を返した。
(とは言え、こうしててもはじまらないよなあ)
 ため息をひとつつく。
「シィエラ、君、夕飯は? 久しぶりに一緒に食べに行くか?」
「奢ってくれる?」
「甘えるな。割り勘だ」
 間髪入れず京は言った。
「ちぇっ、ケチ」
「ケチでけっこう」
 今度は京がふてくされたように言った。
「キョウ、どの服を着ていくの?」
「どれって……、このまま行くつもりだけど?」
 京は改めて自分の着ているものを見た。ジーンズにシャツ、その上にブラウスを羽織って
いるだけだが、別に皺だらけというわけでもないし、外に出ても恥ずかしくない格好だと思っ
た。
「ダメね、これだからキョウは……。わたしがバッチリ選んであげるわ」
 そう言うが速く、シィエラは立ち上がると、京の部屋へと向かった。
「やれやれだ」
 京は再び深いため息をついた。


2004年3月30日公開/2006年6月24日改稿

 

 

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