3.正統なる後継者

 友人たちと大学の構内を歩いていると、京のジーンズのポケットの中で携帯電話が着信を
知らせてきた。ディスプレイには相手がシィエラであることが示されている。
「ちょっと、ゴメン」
 そう言ってから、京はグループから少し離れた。
「もしもし」
『おっはろー。キョウ、ご機嫌はいかがかしら?』
 いったいどこで覚えたのかと頭を抱えたくなるような挨拶は、まぎれもなくシィエラのも
のだった。
「上々だね」
『ジョウジョウ?』
「まあまあってことだよ。……それで? こんな時間に何か用かい?」
 こんな時間と言っても、まだ午後四時を回ったばかりである。ただ、京が明らかに学校
に行っているであろう時間に、シィエラが電話をかけてくることは珍しいので、そういう意
味で言ったのだ。
『うん、仕事の帰りで近くまで来たから、一緒に帰ろうかなって思ったの』
「ちょうどいいね。ボクも今帰るところだ。じゃあ、校門のところで待ち合わせしよう」
『オッケー』
 弾むようなシィエラの返事が聞こえた後、電話は切れた。京もそれを確認すると、電話を
折りたたみ、ポケットへと戻した。
「悪い、友達が来てるんだ。先に帰るよ」
 グループへと戻ると、京はそう言った。
「えっ、もしかして『SHIELA』?」
 女の子のひとりが期待混じりの声で訊いてきた。京が『SHIELA』と個人的に仲がい
いことは親しい友人の間では周知の事実である。
「うん、まあ、そうだけど?」
 京が答えると、男女両方から「おお〜っ」と感嘆の声が上がった。
「ねえ、会わせて会わせて」
「いや、それはまた今度ってことで……」
 京は柔らかく断った。
 以前、今日のように待ち合わせをしたとき、シィエラに会いたいという友人たちを連れて
行ったことがあった。その場ではシィエラは愛想良く対応していたが、ふたりきりになるな
りカンカンに怒りはじめたのである。
 そのとき彼女は言った。
「何で大事な時間を邪魔するようなことするのっ」
 と――
 京は、なるほど、と思った。モデルとして仕事に忙しいシィエラはプライベートな時間を
大事にしたいのだ、と理解した――つもりになった。それがどれほど的外れであるかも気づ
かずに。
「ちくしょー、独り占めかよ」
 と、男友達。
「なぜそうなるんだ……」
「もちろん愛よっ」
 別の女の子が妙な自信を持って、びしっと言う。
「まさしく禁断の愛ね」
「君のたちの思考回路はボクには解らないよ。……この埋め合わせは今度するから。じゃあ」
 そう言うと、友人たちの返事は聞かず、小走りに駆け出した。なにやら背中越しに文句が
聞こえてきたが、無視を決め込んだ。
「ったく、何を考えているのやら」
 友人たちに呆れながら、校門が見えてきた辺りで歩速を落とす。門を出たすぐのところに
シルエットのサングラスをかけたシィエラがいた。ガードレールに軽く腰掛けるように体重
を預けて立っている。
「遅い」
 京がそばまで行くと、ライトイエローのレンズ越しに睨んで言った。
 今日のシィエラはデニムのロングパンツに白いブラウス、その上にコートを羽織るという
ラフな服装だった。ただし、スリムジーンズに強調された長い脚と細い腰がスタイルの良さ
を目立たせている。装飾品としてはいつもの銀のリングに、耳にはピアス。それに首にはペ
ンダントが掛かっているようだが、こちらはチェーンしか見えない。
「今日はあちこちで文句を言われる日だな」
「なに?」
「いや、こっちの話だよ」
 言うと、京は駅の方へと足を向け、それにシィエラも続いた。
「仕事の帰りって言ってたけど、いつものスタジオだったらこの辺りは通らないんじゃなかっ
たっけ?」
「うん、今日は外で撮影があったの。来月号の表紙」
「へえ、それは凄い。これで何回目だっけ?」
 今日は心底驚嘆した後、指折り数えようとした。だが、数え切れなかったのか、途中で挫
折してしまった。
「まあ、いいか。とにかく、楽しみだね。今回もちゃんと買わせてもらうよ」
「い、いいよ。別に買わなくても」
「何をおっしゃります。ボクはこれでも君のファンのつもりだよ? 君が出てる分全部とは
いかないけど、表紙になってるのは全部買ってるんだから」
 少しおどけたような調子で言っているが、その言葉に嘘はなかった。こういう点では京は
素直な性格で、人を誉めたりすることに些かの抵抗もない。むしろ性格が複雑なのはシィエ
ラの方である。
「………」
「ん? どうかした?」
 いきなり無言になったシィエラへと顔を向け、尋ねる。
「べ、別に……。キョウがファンでも嬉しくない」
 そう言ってシィエラはそっぽを向いてしまった。そんなシィエラの様子にキョウは「やれ
やれだ」とため息をつくと、触らぬ神に祟りなしとばかりに前方へと向き直った。
 と、そのとき、
 ───!
 ふたりは弾かれたように同じ方向へと顔を向けた。
「キョウ!」
「うん、どうやら、この近くで『天界の扉ベヴンズ・ドア』が開いたようだね」
《神狩人》は特殊な感覚を持っている。精神エーテル体が見えることや、『天界の扉ベヴンズ・ドア』の発生を感じ
ることがその一種である。
「行こう。きっとあいつらが降りてきてる」
「ダメだ」
 京は走り出したシィエラの腕を掴み、引き止めた。
「何で止めるの?」
「今行くのは不利だ。『魔術師ウィザード』の君の場合は関係ないかも知れないが、今のボクは武器が
ない」
 武器――つまり京がいつも使っている長大、かつ強大な鎌、『告死天使アズライール』のことである。
「……持ってないの?」
「見たらわかるだろう。ボクは手品師じゃないんだ。あんなもの出し入れ自由ってわけには
いかないよ。……まあ、何もないわけじゃないんだけどさ」
 そう言うと、羽織っていたブルゾンの内側を見せた。シィエラが覗き込むと、そこにはホ
ルダーと、そこに固定されている大振りのナイフがあった。
「あるじゃない」
「馬鹿を言え。護身用だ。こんなものでこちらから仕掛けるなんて、君のサポートがあって
も無謀ってものだ」
「それよっ」
 突然シィエラは大きな声を出した。
「キョウがサポートに回ればいいのよ。わたしが前に出るから」
「ダメだ」
「何でよっ」
「何でって、それは……」
 珍しく京が口ごもる。
「降りてきたあいつらをほっとくわけにいかないじゃない。地上で力をつけられたら、今よ
り大きな『天界の扉』が開いちゃうのよ」
 シィエラは真剣な眼差しで京を見つめた。京もその目を見つめ返す。
 しばしの沈思黙考。
「いいだろう。ただし、いつもと同じ事ができると思わないこと。無理だと感じたらすぐに
退くよ。いいね?」
「うん」
 ぱっと輝くような笑顔とともに、シィエラは返事をし、走り出した。
 
◇              ◇
 
「シィエラ、そっちに行ったぞ。……違う。そっちじゃない。そうだ、そっちに追い込むん
だ。まだ仕掛けるなよ」
 京は、今、携帯電話でシィエラに指示を出しながら、自らも天使を追いかけていた。
 京たちはあれからしばらくして降りてきた天使を見つけた。すぐには手出しせず、姿を隠
しつつ、それでいて気配だけははっきりと感じさせながらここ――港の倉庫街まで導いたの
だ。日もすっかり沈み、辺りには人の姿は見られなかった。それでも京は念には念を入れて、
さらに奥の方へと追い込む。
「よし、シィエラ、この辺りでいいだろう」
 京は携帯電話の通話を切ると、天使の前へと出て行った。少し離れた場所にシィエラが立っ
ている。
『何者だ?』
 京とシィエラの姿を見て、天使が問う。
「《神狩人かがりび》……」
 ただそれだけ言うと、京はブルゾンの内側から先のナイフを抜き、身を低く構えた。いつ
もの鎌に比べれば玩具のようなものだが、刃には対精神エーテル体用攻撃呪紋が分子レベルで刻まれ
ていて、それなりの殺傷力は持ち合わせている。
『そうか、汝らがあの《神狩人》の一族か』
「説明する必要はないみたい。わたしたちってけっこう知名度があるのね」
 シィエラが口を挟む。
『ちょうど良い。捜す手間が省けた。まずは汝らから抹消するとしよう』
「やれるものならっ」
 言うと同時に京は駆け出した。瞬く間に間合いを詰めると、握りしめたナイフで斬りつけ
た。だが、天使は予備動作もなく身体を後ろにスライドさせ、京の初太刀をかわした。
(ボクに決定打がない以上、シィエラに頼るしかない)
 そのためには時間を稼がなくてはならない。威力の大きい魔術は使用する魔力量も大きく、
それに比例して呪文の詠唱時間も長くなるからだ。
 京は手を止めず攻撃を続けた。ナイフの利点は鎌に比べて小刻みな連続攻撃に向いている
ことにある。京はその利点を活かし、斬り、払い、薙ぎ、突く――。だが、天使は足を動か
すことなく後ろへ、時には軸をずらしながら身体をスライドさせ、京のナイフを避けた。
『《神狩人》と言えども所詮は人間。どう足掻こうがこの程度。……汝は私の探し求めるも
のではない』
「なに……?」
 次の瞬間、天使の腕が炎に包まれた。そして、その炎を帯びた手を京へと振るう。しかし、
京は驚異的な反射神経でもって上体を反らしそれをかわした。一瞬前まで京の顔があった空
間を炎が通過し、熱風が顔を撫でた。
 京はそのまま地を蹴り、大きく後方へと飛び退いた。
「シィエラ!」
京の声にシィエラは行動で――すなわち、魔術の発動をもって応えた。
 シィエラの掌から四つの魔力弾が放たれた。それぞれに不規則な弧を描きながら天使を強
襲する魔力弾。天使はそれを今までのように身体をスライドさせながら回避していく。だが、
それも三つまでが限界だった。次第に余裕がなくなり、ついには最後のひとつを避けること
ができず、肩口に被弾した。天使の肩が吹き飛び、腕が千切れ飛ぶ。まるで爆薬が炸裂した
かのような威力。一発しか命中しなかったのが悔やまれた。
 えぐり取られた天使の肩からは一滴の血も流れず、それが否応なく異質さを感じさせる。
『この力はまさか……』
 驚嘆する天使。
 突然、天使の傷口が淡い光を放った。
再生リジェネレーション!」
 天使の傷はすでに再生をはじめていたのだ。
「シィエラ、急げ」
「わかってる」
 シィエラは追撃するべく次なる魔術の詠唱をはじめた。だが、それよりも早く天使の掌か
ら火球が飛び出した。しかも、呪文詠唱中のシィエラに向けて。
「ちいっ」
 弾かれたように京が駆け出す。
死神デス』に属する京は卓越した白兵戦能力と、それを支える身体能力を持つ。だが、『魔術
師』であるシィエラの場合、血の恩恵は魔力と魔術という形で表れている。いちおう常人以
上の身体能力を備えているとは言え、今のシィエラでは高速で迫り来る火球を回避するのは
至難の業だった。それをよく知るからこそ京は駆け出したのだ。
「シィエラーッ!」
 京がダイブする。
 そして――、
 火球が京の背中に直撃した。
「キョウ!」
 崩れ落ちる京の身体をシィエラが抱きとめ、そのままふたりはともに倒れた。
「キョウ! キョウ!」
 何度もその名を呼ぶが、気を失っているのか返事はない。
 京の背中を見るとブルゾンもブラウスも焼け、肌が露出していた。その肌も酷い火傷だっ
た。
『余計な邪魔が入ったか。ならば今一度……』
 再び天使の掌に炎が現れた。そして、次の瞬間、火炎は倉庫へ、リフトへ、アスファルト
の地面へと、四方八方に飛び散り、あっという間に辺り一面を火の海に変えた。シィエラは
咄嗟に自分と京を包む積層結界を形成し、炎を遮断する。
 やがて焼けた倉庫が崩壊をはじめた。
「キョウ……」
 シィエラは京の身体を抱きしめた。
『このまま為す術なく朽ち果てるか。……どうやら汝ではなかったということか』
 天使はふたりを見下し、嘲笑うように言った。
「………」
 シィエラが無言で唇を噛みしめる。
 やはり京の言った通り、用意の不十分な今の状態でここに来るべきではなかった。反対す
る京の言葉を聞かず、半ば強引にここまで来たのは、あのときシィエラが口にしたような使
命感からではなかった。ふたりで組んで行動するようになってから、京は自ら進んで前面に
立ってばかりいた。「これが適材適所なんだよ」と京はいつも笑っていたが、それでも危険
な役目を押しつけているようでシィエラは心苦しかったのだ。だから、今日、このときだけ
でも立場を逆転させる好機だと思ったのだが、しかし、それが結果として京をいつも以上の
危険に晒すことになってしまった。そして、ついにはこの有様だ。
「う……、シ、シィエラ……」
 気がついたのか、京がシィエラの腕の中で苦しげな声を上げた。
「キョウ、しっかりして」
「シィエラ、ボクをおいて行くんだ。君ひとりなら逃げられる」
「キョウ……」
 確かに京の言う通りシィエラひとりならばこの場を脱することはできるだろう。だが、誰
のせいで今の事態に陥ったのかを考えれば、そんな選択肢はないも同然だった。そんなこと
をするくらいなら、いっそこのままふたりで死んだ方がマシだとすらシィエラは思う。
 シィエラは再び京を抱きしめた。
「大丈夫、キョウ。すぐ終わるからね」
 京の頭の後ろで、シィエラは自分の指から銀のリングを抜き取った。人差し指と親指でつ
まんだまま、それを目の高さに持ってくると、短い呪文をつぶやく。
 次の瞬間、リングは砕け散った。
 途端、内部に封じられていた『力』がシィエラに流れ込んできた。その衝撃に似た感覚に
思わず身体を仰け反らせる。そして、それが余すことなく身体を満たした後、シィエラは京
をそっと地面に寝かせた。
「少し待っててね」
「何を……?」
 京の問いにシィエラは微笑みで応えると、意を決したように立ち上がった。
「わたしの……」
 そこで言葉を切った。
「わたしの力が知りたいんでしょう?」
 言い直したその言葉は彼女の母国語だった。天使相手に言語の種類など関係なく、京に聞
かせる必要がない以上、わざわざ拙い日本語を使う理由はない。もっと言えば、伝えるとい
う指向性さえあれば言葉にする必要すらない。
「見せてあげるわ」
 シィエラの全身から魔力が放たれた。そのあまりに膨大な量の魔力は物理的な圧力となり、
シィエラを中心に突風に似た流れを生み出した。そして、それは一瞬にして荒れ狂う炎を吹
き飛ばす。
『オオォ……』
 天使が驚愕の声を上げる。
『やはりの力の正統なる継承者であったか。ならば私の役目もここまで。この場は退くが
得策というもの』
その言葉の通り、おそらく天使は空間転移を試みたのだろう。だが、何も起こらなかった。
『なぜだ、なぜ転移できぬ。し、しかも、身体も動かぬ……っ』
 焦る天使。
 その姿を見てシィエラがくすくすと笑う。
「見えないでしょうね。この魔力糸が」
 そう言うと、シィエラは無造作に手を横に振った。それに連動し、天使の身体が見えない
力に引っ張られるように吹き飛び、瓦礫へと突っ込んだ。
『魔力糸だと……』
 続けて今度は手を逆へ引くと、天使の身体も同じ方向へと引っ張られ、アスファルトの上
を滑った。無様に引きずり回されるその姿に、天使としての威厳や神々しさはすでに欠片も
なかった。
「終わりよ」
 言うと、シィエラの口から呪文が紡ぎ出され、それに合わせて印が切られる。その長い呪
文詠唱によって生成されていく魔力が尋常な量ではないことは端から見ていてもわかるほど
だった。
 溢れる力にシィエラの髪が反応し、なびく。
「消えなさい……」
 その言葉とともにシィエラの掌から放たれた魔力の奔流は、周囲の空気を歪曲させながら
物理世界に現出すると、一気に天使を飲み込んだ。そして、その魔力波が消え去った後、天
使の存在は完全に消滅していた。
 シィエラは強力な魔術の行使による疲れと、安堵からため息をついた。
 と、そのとき、幽かに輝く光の球体が夜空の彼方へと消えていくのが見えた。人の言葉で
言うところの魂なのだろうか。そう思い、シィエラはそれを黙って見送った。
 後には奇妙な静けさだけが残った。


2004年3月31日公開/2006年6月24日改稿

 

 

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