4.心のかたち

 また気を失ったのだろう、次に気がついたとき、京は自分の部屋のベッドの上にいた。見
慣れた天井を見ながら記憶の糸を手繰る。
「やれやれだ」
 思い出し、京はつぶやいた。
 ベッドから上体を起こす。背中の皮膚が少しつっぱるが、傷はほとんど治っていた。おそ
らくシィエラが魔術的な治療を施してくれたのだろう。ここまで大怪我をしたのは初めてだ
が、今までにも彼女の魔術の世話になったことは幾度かあった。
 ベッドの脇に綺麗に揃えて置かれていたスリッパを履き、立ち上がる。そこで初めて自分
が寝間着を着ていることに気がついた。もちろん着替えた覚えはない。とすれば、そういう
世話を焼いてくれるのはひとりしかいない。京は複雑な思いで頭を掻いた。
 壁に掛かった時計を見ると、針は午前七時を指していた。
 部屋からリビングへ出る。そこには、案の定と言うべきか、シィエラがいた。ソファに座
り、肘掛けに身体を預けるようにして眠っていた。彼女の方はまだ昨日の服のままだった。
京は起こさぬよう静かにキッチンへと向い、コーヒーでも入れようと準備をはじめる。
「キョウ!」
 振り返ると、シィエラがソファから立ち上がっていた。
「あ、悪い。うるさかった?」
 だが、シィエラは何も言わず走ってくると、勢いよく京に抱きついた。少しよろめいたが、
シィエラの軽い身体を支えることはできた。
「キョウ、よかった……」
 か細い声で彼女は言った。
「ゴメン。世話をかけたね」
「ううん、そうじゃない。わたしのせいでキョウが……」
「気にしなくていいよ。傷もほとんど痛まないし」
 言いながら京はシィエラの身体を引き離した。申し訳なさからか、彼女はうついたまま京
の顔を見ようとしなかった。
「でも、もとはと言えばわたしが……」
「うん、まあ、確かにそうなんだけどね」
 京が肯定すると、シィエラはさらに肩を落とした。
「あのね、シィエラ。別に怒ってるわけじゃないんだ。ただボクは君を危険な目に遭わせたく
ないと思ってる」
 その言葉を聞いてシィエラが顔を上げた。反対に今度は京が少し恥ずかしそうに斜め上を向
いて視線を逸らした。
「そんなこと言ったらバカにするなって、君に怒られるかもしれないけどさ
「ううん、そんなことない」
「そうか。それならよかった。……だから、もう少しボクの忠告を聞いてくれたら嬉しい」
「……うん」
 シィエラは素直に返事をした。京もそれを見て満足げに笑顔を浮かべた。
「じゃあ、この話はこれでお終い。さて、朝食だけど、作るのが面倒だな。シィエラ、一緒に
外に食べに行かないか?」

 約三十分後、ふたりは近くの喫茶店でモーニングセットを食べていた。ここは、さっき京が
言ったように作るのが面倒なときや、朝食の材料を買い忘れたときなどによく利用している店
だった。知り合ってから何度もふたりで来ている。
「昨日のシィエラのアレ。凄かったね」
 ナイフとフォークを使ってサラダを食べている京がシィエラに言った。
「アレ?」
「ほら、最後に使った、あいつを消滅させた術。凄い威力だったじゃないか」
「ああ、あれ」
 やっと京が言わんとしていることがわかった。
「ちょっとした裏技」
「裏技?」
「そう。キョウ、わたしがいつも指にしてたリング、覚えてる?」
「ああ、シルバーのやつだね。そういえば今日はしてないんだね」
 今頃気づいたのかと、シィエラは何となくむっとした気分になった。
「うん、あれにね、わたしの魔力が入ってたの。何かあったときに解放して使えるようにね。
わかりやすく言うと、それを使うと一時的に魔力が二倍になる」
「そりゃあ、凄い。確かに裏技だ」
 そう言って京は驚嘆した。
「あれね、長い時間かけて、ちょっとずつ魔力を入れていくの。すっごい手間と時間がかか
るのに、あんな下級天使に使うとは思わなかった。しかも、使ったらリング壊れちゃう。あ〜
あ、もったいない」
 言ってから、サンドイッチを食べていると、正面で京がくすくすと笑う声が聞こえてきた。
「なに? おかしい?」
「いやいや、おかしくなんかないよ。ただ、君の調子が戻ってきたようで嬉しかったんだ」
 瞬間、シィエラは顔が赤くなるのが自分でもよくわかり、思わずそっぽをむいた。しかし、
それがよけいに京を楽しませる結果となってしまったようだ。
 楽しそうに笑いながら食事を続ける京を横目に、シィエラは思う――

◇              ◇

 わたしがキョウと初めて会ったとき、敗北感に似た気持ちになったのを覚えている。
 中性的で魅力的な顔とか、スラリと背が高くてスタイルのいい身体とか、余裕があって柔
らかい態度とかもそうだけど、何よりもひと目見た瞬間にわたしの心を全部奪っていってし
まったのだから。
 はっきり言って惨敗だ。
 そう、わたしはキョウが好き――。
 それは疑いようもない事実として、そこに存在している。
 だからといって、わたしの想いがキョウに届いているとか、キョウもわたしのことが好き
だとか、そんな幻想を抱いたことはない。キョウは素敵だから、異性からは当然のこと、同
性からも好かれる。友達もたくさんいる。わたしもその『たくさん』の中に埋もれたひとり
なのかもしれない。
 でも――、
 やっぱりそんなのは嫌だ。わたしにとってキョウが『特別』であるように、わたしもキョ
ウの『特別』になりたい――そんなことを思うわたしは変だろうか。
 よくキョウはわたしにこう言う。
『シィエラ、君はいつも不機嫌そうな顔をしているね』
 そう、わたしはいつもそんな顔をしている。そうでなければふてくされている顔か、拗ね
ている顔。全部キョウの言った言葉だけど、どちらにしても好きな人の前でする顔じゃない。
『雑誌じゃあんなに笑顔なのに、本当、不思議だよ』
 わたしだってキョウの前で笑いたい。普段から笑顔を見せたい。でも、どうしてもできない。
友達といるときも、仕事のときもちゃんと笑えるのに、キョウの前でだけは笑顔になれない。
 だって、キョウは『特別』だから。
 わたしがキョウのことを好きだとか、キョウが素敵だとか、そういったことを全部含めて
キョウは『特別』で、ちゃんと顔を見られない。だからと言って不機嫌な顔をする必要はな
いのだけど、なぜかそんな顔になる。男の子は好きな女の子に意地悪をすると言うけど、
わたしがやっていることもそんなのと同じ。つまり、わたしは小学生並みのメンタリティしか持
ち合わせていないということだ。
 これでキョウが少しでもひねくれていたり、天の邪鬼な性格だったら、わたしもキョウの
ことを『悪友』だとか『けんか友達』だとか言えただろう。ところが、困ったことに――い
や、困っているのはわたしだけなのだけど、キョウはそういったところが全然ない。だから、
よりいっそうわたしのひねくれた性格だけが目立つ結果になる。
 時々、売り言葉に買い言葉で喧嘩になることがあるけど、そのたびにキョウの方が折
れてくれる。わたしから謝ったことなど、数えるほどしかない。そんなことをするから、わたし
の身勝手さがさらに強調されるのだというのに……
『キョウ、嫌いっ』
『もう絶交』
『顔も見たくない』
 気持ちに反してそんなことを何度言っただろう。
 そして、
『ああそうかい。気が合うね。ボクもだよ』
 そう言われるたびに、わたしは心臓が止まりそうな思いになる。『ごめんなさい』と素直
に言えたら、『本当はキョウが好き』と心の底から叫んで、キョウの胸に飛び込めたならど
んなに楽なことか。本当にそうしようと思うことだってある。でも、結局、その前にキョウ
が妥協してくれて、わたしは機会を失ってしまうのだ。
 キョウはわたしのような嫌な女の子でも、思ったままに素直に誉めてくれる。『さすがモ
デルだね。この写真なんか可愛く撮れてるよ』とか、『ボクは君のファンだからね』とか、
いろいろ。そう言われて、わたしは照れくさくて、やっぱりそっぽを向いている。きっとそ
ういうときの顔はいつもにまして不機嫌そうで、ふん、と言わんばかりだろう。
 ところが、ある日、キョウはとんでもないことを言ったのだ。
『キミほど拗ねた顔が可愛い女の子は、ボクは他に知らないね』
 わたしは思わず両手でテーブルを叩き、立ち上がっていた。当然、キョウは驚き、『そん
なに顔を真っ赤にして怒らなくてもいいだろう。ゴメン、謝るよ。そんな誉められ方をして
喜ぶ女の子なんかいないよな。ボクが悪かった』と言った。わたし自身顔が真っ赤になって
いることは十分にわかっていた。もちろん、それが怒っているからじゃないことも。
 また別のある日、キョウはわたしの載っているファッション誌をめくりながら言った。
『キミは何を着ても似合うね』
 そんなことはない。モデルのわたしは、迷いに迷い、選びに選び抜いた服を、鏡に自分を
映しながら、あちこちチェックしてようやく出来上がる。普段のわたしも似たようなもの。
 だけど、キョウは違う。キョウはスマートで、スタイルもいいので、何を着ても似合う。
別にブランド物の服を着る必要はなくて、どんな安い服でもそれを感じさせない。本当の意
味で服を選ばないのはキョウの方だ。
 それなのに、キョウはファッションに疎く、着るものに拘らない。いいセンまでいってる
のに、後ひとつ何かが足りない。そんなとき、わたしがそれを補う。胸にサングラスを差し
てみたり、髪にバンダナを巻いてみたり。『キョウ、似合ってるよ』とわたしが言うと、
『じゃあ、これで行こう』とキョウは納得する。これがキョウに対して唯一わたしがイニシ
アティヴを取れることだ。今ではキョウをコーディネートすることはわたしの楽しみで、キョ
ウがそれを喜んでくれることはわたしの喜びにもなっている。
 わたしはキョウがいなければきっと生きていけないだろう。
 キョウにとってのわたしもそういう存在になれたら、どんなにいいことだろう……。

 
◇              ◇
 
「そういうのって何だと思う?」
 突然のシィエラの質問に、キョウはフォークを操る手を止めた。
「あのね、シィエラ、君内部で何か思考はリンクしてるんだろうけど、それを知る術もない
ボクにいきなりそんな質問を投げかけられても、答えようがないじゃないか」
「そっか、それもそうだね」
「改めて納得することじゃないだろ」
 京は呆れたようにそう言うと、一度止めた手を再び動かしはじめた。それと同時にシィエ
ラの思考も再び活動をはじめる。
 そして、ひとつ思いついた。
「ねえ、キョウ?」
「ん?」
 咀嚼の最中だったらしく、京からは不明瞭な音の返事が返ってきた。
「わたしたちって『心のかたち』が同じだと思わない?」
 京は一瞬目を丸くし、手も口もすべての動きが止めた。それからしばらくして思い出した
ように食べていたもの無理矢理に飲み込む。
「君があまり日本語が巧くないことは重々承知しているよ。でもね、それはあまりにも感覚
的すぎやしないか?」
「やっぱり?」
「ああ、そうだ。でも……」
 京は言い淀んだ。シィエラが「でも?」と続きを促す。
「でも、全くの意味不明というわけじゃない。言葉が拙いからこそ感覚的になって、感覚的
だからこそ同じく感覚的に理解できることだってある」
「言ってること、よくわかんない」
「つまりね、君の言ったこと、ボクにも少しは理解できるってこと。それと、君の言う通り、
ボクたちは『心のかたち』が同じかも知れないっていうことさ」
 その瞬間、シィエラの顔が真っ赤になった。そして、いつものように顔を逸らす。
「おいおい、何でそうなるんだよ。怒る場面か、ここが」
 もちろん、彼女が怒ってなんかいないことは言うまでもない。
 
 
2004年4月1日公開/2006年6月24日改稿

 

 

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