Doll Master −人形使い−
 
 そこには尋常ならざる量の本が在った。
 数え切れないほどの書架が立ち並び、奥へと続く通路は終わりが見えない。ひとたび上方へ目を向けると、やはり霞んで見えない書架の高さに圧倒されることになる。ここで本を探そうとしたとき、その目当ての一冊を見つけるのにいったいどれほどの時間がかかるのだろうか。考えるだけで眩暈を覚える。
 そして、低音を重く響かせながらも決して邪魔にはならない程度に繰り返し繰り返し流れる葬送行進曲が、この無限の蔵書を誇る図書館の夢幻感をいっそう強くしていた。
 
 そんな非現実的な風景の中にひとりの女がいた。
 
 美しいと表現するに十分すぎる――むしろどこか幻想じみた美貌。軽くウェーブのかかった髪は、透き通るような白い肌とは対照的に、艶のある綺麗な黒。全体的に落ち着いた雰囲気を纏いながらも、その顔にはどこか凛としたものがあった。身を包む服は黒をベースに白いレースでアクセントをつけたゴシック調で、その上からやはり黒のケープを肩にかけていた。
 彼女は今、閲覧者用の広いテーブルに向かい、気だるそうに頬杖をつきながら本を読んでいた。上品なデザインのコーヒーカップとソーサーを脇に置き、そのしなやかな指でページをめくり続ける。
 そこに、何処からともなく男が現れた。
 金髪の白人男性。歳は三十代前半くらいだろうか。西洋人の特徴を持つ顔は、紳士然としていて品が感じられた。背が高く、体つきもしっかりしている。そして、手には鞘に収められた直剣が握られていた。
 男はテーブルを挟んで彼女の正面に立った。
「私は《神聖十二使徒》、第四位使徒のアルフォンス。《神狩人》のSARAとお見受けする」
「ええ、その通りですわ。ですが、貴方のような方をここに招いた覚えはありませんわよ?」
 本へ視線を落としたまま、顔も上げずに彼女――SARAは答える。また一枚、ページがめくられた。
「失礼。こらちも急いでいたもので、許可をいただく前に入らせてもらった」
 アルフォンスと名乗った男はよく通る声で、礼を失した己の行為を詫びた。
「ここに『偽書』があるはず。それをこちらに渡して頂きたい」
「『偽書』……」
 SARAはつぶやきながらも、手と目の動きは止めなかった。。
「私(わたくし)、本の名前を正しく言えない人は嫌いですの。正式名称は『魔術戦争(アーマゲドン)における《永遠の月》の喚起、および《神を喰らうもの》の覚醒の書〜その霊的改竄文書』ですわ」
「……もう一度訊く。ここに『偽書』はあるな?」
 アルフォンスはSARAの訂正を無視し、再び問うた。
「もちろんですわ。ここは《夢幻図書館》。一度でもこの世に書物として生を受ければ、その瞬間に同時複製され、ここに並びます。ないものなどありませんわ」
「なるほど。聞きしに勝る霊的領域だな。それではそれが収められているところへ案内して頂こう」
「貴方、目は悪い方?」
「なに?」
 SARAの言わんとしている意味がわからず、アルフォンスは訊き返した。対するSARAはようやく顔を上げ、呆れたように嘆息した。
「私、見ての通り本を読んでいますの。それを中断する気は毛頭ありませんわ。その代わり場所を教えましょう。こちらに……」
 そう言ってSARAは右手を水平に上げ、指を差した。フレアスリーブの袖が揺れる。
「一週間ほど歩いて、そこから通路の奥へ三日ほど入ったところにありますわ。大丈夫、安心して。確かお目当ての本は、貴方の目の高さよりやや下にあるはず」
「冗談はよして頂こう。どうやら自分のおかれている状況がわかっていないようだ」
 アルフォンスは剣を持ち直した。無論、それは言うまでもなく、いつでも抜けるようにと意図したものである。
「我々の目的は『偽書』。そのためなら多少乱暴な方法をとることも辞さない。生命が惜しくば速やかに渡すことだ」
「無理ですわ」
 SARAは間髪入れず答えた。
「貴方に私は斬れません。試してみてもよろしいですわよ?」
「よく言ったッ」
 
 次の瞬間、アルフォンスの剣が閃いた。
 
 一瞬にして剣を鞘から引き抜き、SARAを横薙ぎに斬りつける。
 だが――、
 その光の煌きにも似た神速の斬撃よりも速く動いたものがあった。『それ』はふたりの間に飛び込んでテーブルの上に立つと、手にした刀の、鯉口を切って引き出した10センチほどの刃の部分でアルフォンスの斬撃を受け止めた。
 金属と金属のぶつかる硬質な音が辺りに響き、残響を残す。
「これは……、人形?」
 そう、まさしくそれは人形だった。
 まるで人間のように滑らかな動きをするものの、その身体を構成する素材や、刀を握る指の関節、端正だが無表情な顔などを見ると、明らかに人形であるとわかる。
 全高120センチ、羽織袴を着た和風の剣士人形。握る刀の長さは身の丈ほどもあった。
「その子は私が最も気に入っている人形のひとつ。名前は夜叉丸ですわ」
 SARAはそう言いながら立ち上がる。しかし、向かった先は壁際のテーブルだった。そこでコーヒーメーカーの保温ポットから空になったカップにコーヒーを注いだ。
「これが『人形使い(ドール・マスター)』の技か」
 納得するとアルフォンスは一度剣を引き、構え直した。テーブルの上の夜叉丸も納刀したままで刀を脇に持ち、居合いの構えを見せる。
「……」
「――」
 アルフォンスと剣士人形が対峙する。
 先に動いたのは夜叉丸だった。
 足を接地させたままじりじりと距離を詰め、自分の太刀の間合いに入った瞬間、居合い斬りを仕掛けた。小柄な体躯に対してあまりにも長大な刀を、しかし、夜叉丸は器用に抜き放つ。それは人形の体を持ってして初めて可能となる動きだった。
 だが、アルフォンスもまた、剣の達人だった。
 剣士人形の腕と刀の長さを正確に読み量り、首を反らして紙一重でその斬撃を躱した。眉間の前を刀の切っ先が通過する。それを見て取ってから踏み込み、斬りつける。
 夜叉丸が今振り抜いたばかりの刀を引き戻し、受ける。
 ぶつかり合う剣と刀。刃と刃。
 だが、その膂力の差は明確であり、結果、夜叉丸の軽い身体は面白いように飛ばされた。
「所詮は人形か」
 弾き飛ばされ、きりきりと舞う夜叉丸には見向きもせず、西欧の剣士はSARAへと目を向けた。そのSARAは壁際のテーブルに体重を預けるようにして立っている。今の一連の攻防を見ていたようだ。
 コーヒーをひと口飲む。
「それで勝ったつもりですの? だとしたら、甘く見られたものですわ」
 そう言うと、あらぬ場所を見た。
 それが夜叉丸の飛ばされた方向であるとアルフォンスはすぐに気づき、振り返った。そこで見たのは空中で体勢を立ち直し、書架の側面に『着地』する夜叉丸の姿だった。
 夜叉丸は着地と同時に膝を曲げて力をためると、一気に解き放った。
 瞬発力を速さに変えて一直線にアルフォンスへと強襲する。左手に持っていた鞘を投げ捨て、刀を両手で握り直した。
「人形風情が調子に乗るな……!」
 アルフォンスが怒りを込めて剣を突き出した。
 ここにきて身長からくる間合いの差が如実に表れた。夜叉丸が上段斬りを繰り出すよりも早く。アルフォンスの右片手刺突が先に到達したのだ。
 白刃は剣士人形の胸を貫いた。
 刀を上段に構えたまま動きを止める夜叉丸。
 アルフォンスが無造作に剣を引き抜いた――その刹那、再び神速の剣技が閃く!
 瞬きの後、剣は夜叉丸を胴薙ぎに切り捨てていた。その衝撃は夜叉丸の華奢な体を駆け巡り、一瞬にして粉々に粉砕する。
 人形を構成していた部品が無惨に散らばり、主を失った刀が《夢幻図書館》の床に突き刺さった。
 
 SARAが動いた。
 
 最初にテーブルを打つ鈍い音が鳴った。
 それを聞いたアルフォンスが目をやると、その視界の中でSARAの身体が宙を舞っていた。テーブルを踏み台にして跳躍したのだ。SARAが剣士の頭上を飛び越える。
 それを目で追うようにして振り返るアルフォンス。SARAはすぐ目の前にいた。
 敵に指一本動かす暇も与えず、SARAが手を振るう――と、光の粒子が飛び散った。無数の光は一度空中に拡散した後、アルフォンスの周りに集まり、その体を包みはじめる。
 
「《夢幻図書館》の管理者権限をもって命じます。ここより速やかに退去なさい」
 
 その言葉の通り、許可なき来訪者の体は次第に消えはじめていた。アルフォンスはすぐにこれに対抗する術はないと悟ったようだった。この《夢幻図書館》において管理者の権限は、それほどまでに絶対のものなのだ。
「いいだろう。今日のところは退くことにしよう。だが、すでに我々《神聖十二使徒》が動き出していることを忘れるな」
 その言葉が終わると同時に、アルフォンスの姿は光渦に消えた。光の粒子の残照きらめく虚空をSARAが見つめる。
「地の利と力の限定解除があって尚、ここから追い返すのがやっとだった……」
 続けて、自ら傑作と評した夜叉丸の残骸に目をやった。
「さすが第四位使徒ですわね。先日《第二象限》にきた方とは比べものになりませんわ」
 第十一位使途、“殺人鬼”カーマイン。
 あれはただ単に粗暴なだけの人殺しだった。手を下したのはSARAではなかったが、直接当たっていたとしてもさほど苦労はしなかっただろう。だが、先の剣士は……。
 と、そのとき、新たな人物が現れた。
 それも今度はふたり。
「キョウ、もう終わっちゃったみたいよ」
「そのようだね」
 京とシィエラだった。
 赤いチェックのミニスカート、赤いリボンタイのついた白いブラウスの上にブレザーと、まるで私立学園の制服のような格好をしているのがシィエラ。その後ろにブラックジーンズに薄いブルーのカッターシャツを着崩した京が続く。
「今日は千客万来ですわね」
 ため息まじりにつぶやき、振り返る。だが、その表情はどこか嬉しそうだった。
「お久しぶりですわ、京」
「そうだね。2年ぶり、かな?」
 京は椅子のひとつに座ると、足を組み、テーブルに肘をついた。
「そう言う仕草、とても素敵ですわ」
「よしてくれ。ボクがその手の言葉が嫌いなのはキミもよく知ってるだろう」
 面白くなさそうにそう言う京を見て、SARAがくすくすと笑った。
「ねえ、キョウ。あの人が……?」
 シィエラが京に顔を近づけ、小声で尋ねる。少し不機嫌そうだ。京が答えるよりも早く、その様子を見ていたSARAが口を開いた。
「京、そちらのかわいらしい彼女はどなた? 紹介してくださらない?」
「ああ、そうだね。そうしよう。彼女はシィエラ。今のボクのパートナーだ」
 次にシィエラにSARAを紹介する。
「ここにくる前にも言ったけど、彼女がSARA。この《夢幻図書館》の管理人でもある」
「SARAと申します。どうぞよろしく」
 SARAが一歩進み出て、シィエラに握手を求める。だが、シィエラは差し出されたその手をしばらく見つめた後――、
「しらないっ」
 そっぽを向いてしまった。これに驚いたのはSARAで、目を丸くして京へ顔を向けた。無論、京も肩をすくめるしかなかった。
 SARAが話題を変える。
「それで、今日はどんな用でここへ?」
「もう大方の予想はついていると思うが、どうやら事態は急変してるらしい」
 そして、立ち上がって言い加えた。
 
「キミの力を貸して欲しい」
 
 
2009年2月2日公開

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