5分ほどの後、ふたりは近くのカフェにいた。
 表通りに面した窓際のテーブルに、向かい合って座る。
 なぜか悪かった菫の機嫌は、静が道中ずっと服について褒めちぎったことで、いちおうは直ったようだった。……最後にはやっぱり叩かれたが。
 注文したものはたいして待つこともなくテーブルに並べられた。
 静はカフェオレとケーキのセット。菫はブレンドコーヒーのみ。自分だけケーキ、しかも苺ショートを食べてるのってどうなんだろう、と思う静。が、しかし、そこは所詮は幼馴染み。格好をつけても仕方がないという結論に至る。
 
 
 
複雑微妙な先輩後輩の関係。……たかだか有限
   エピソード その2(後編)
 
 
「菫さん、食べます?」
 でも、いちおうフォークで切り分けた最初のひと口を差し出しながら訊いてみる。
「私はいいよ。静君、遠慮なく食べるといい」
 しかし、菫はそれを断り、自分のカップに口をつけた。黒いワンピースと黒いチョーカーを身につけて、黒い液体を飲む。妙にサディスティックな色気のある構図だ。
「で、これからどうするんですか?」
「そうだな……」
 と、菫は思案するように言葉を切り、
「まぁ、いいじゃないか、そんなこと」
「はい?」
 菫の口から出てきた台詞に、静は素っ頓狂な声を上げた。
「いや、だって、何か計画があったんじゃ……?」
「ぐ……。た、確かにそうなんだが、もう半分くらい目的は達成されたというか……」
「ぬ?」
「い、いや、そうじゃなくて……そうだ! 静君の子ダヌキみたいな顔を見たら、どうでもよくなったんだ」
「ぶー。何ですか、それ」
 静は一度頬を膨らませてみせ、それからおもむろにケーキを口に放り込んで、八つ当たりのように力いっぱい咀嚼した。
 そんな静を、菫はおかしそうに見ている。
「なんで、こう、菫さんって僕の前じゃそんなに大雑把なんですかねぇ。あぁ、凛々しい副会長様はどこに行ったんでしょう?」
 静は芝居っ気たっぷりにため息を吐いた。
「最近、特に思うんですけど、菫さん、僕の前だと途端にだらけるっていうか、いい加減になるっていうか――」
「……む。そんなことは――」
「ないですか? ならいいですけど。でも、気をつけた方がいいですよぉ。菫さんのそんな姿見たら、みんな幻滅しちゃいますよ」
「……」
 菫は返事もせず黙り込んだ。
 考え込み、意識をどこかにやったままカップを口に運ぶ。意識と行動が乖離しているようだ。それから置いたカップを両手で包み込み、そのままふた口目を飲む。
 静は肩をすくめ、自分もケーキの続きに戻った。
 半分ほど食べたところで顔を上げると、菫と目が合った。どうやら静をずっと見ていたようだ。
「うに?」
 首を傾げる。
 そこでようやく菫は何かに気づいたように、はっと我に返った。いったい何に気づいたのだろうか。静が見つめ返していたことにか、はたまた自分がいつの間にか静を見つめていたことにか。
 菫は咳払いをひとつした。
「それにしても、君はいつまでたっても幼いな。そんなに嬉しそうにケーキを食べるなんて」
「いーんです。美味しいものは美味しいんですから。それに赤ちゃん飲みしてる菫さんに言われたくないですよーだ」
「これは私の癖だ」
 菫は両手で包み込むようにして持っていたコーヒーカップを、片手に持ち替えた。
「知ってますよぉ」
 静はフォークを振り、自慢げに答える。
「菫さんは考えごとをしていると、そういう飲み方になるんですよね」
「まぁ……」
 改めてはっきり言われると恥ずかしいものがあるのか、菫はばつが悪そうに頷いた。
「で、何を考えていたんですか?」
「……」
「……」
「……別にたいしたことじゃないよ。今度の学園祭の運営について考えていたんだ」
「充分にたいしたことだと思うのは、僕の気のせいでしょーか。……まぁ、いいですけど」
 なんとなく話をはぐらかされたような気分になり、静はガラス越しの表通りに目を向けた。
 すると――、
「あ……」
 丁度クラスメイトたちが通り過ぎようとしていた。
 セントラル・アベニューはそんなに広くはないので、お互いに長時間滞在していれば何度かすれ違うのもそれほど珍しいことではない。
 向こうも静に気がついた。
 クラスメイトたちは足を止め、手を振ったり飛び跳ねたりして、はしゃぎだした。口々に何か言っているようだが、勿論、ガラスを隔てているので声までは届いてこない。
「でも、どーせ静御前とかしずかちゃんとか言ってるんだろうなぁ」
 特に面白がって“静御前”と呼ぶのが困りものだ。
 静も手を振って応じる。
 彼らは今度は菫へとアピールをはじめる。なんと言っても現生徒会副会長で、次期会長と目されている人物だ。人気も高い。ついでに言うと、学校では絶対に見られない私服の、しかも、黒いワンピース姿というのも、彼らのテンションを上げている要因かもしれない。
 菫も軽く手を上げ、微笑みながら応えた。副会長の顔だ。
 それからクラスメイトたちはひとしきりはしゃいで満足すると、頭を下げて挨拶し、去っていった。
 ただ、その去り際、志村笑子だけはもう一度静へ顔を向け、ウィンクを投げかけた。
「みんな楽しんでるなぁ」
 静は苦笑した。クラスメイトたちのハイテンションぶりは、過ぎた後、静けさが戻ってから、妙にこみ上げてくるものがあった。
 勿論、そう言っている静も、菫とカフェでお茶をしている今を楽しんでいる。
 が――、
「はれ?」
 友人たちを見送って顔を戻すと、正面では菫がまたコーヒーを両手で飲んでいた。両肘を突きながら飲み、心ここにあらずの様子だ。
「菫さん?」
「……」
「おーい、菫さーん。どーしちゃったんですかぁ?」
「……何でもない」
 ようやく返事が返ってきた。
「そうですかぁ? あんまりそんな感じに見えないんですけど……」
「……そうか」
 菫はカップを置いた。
「じゃあ、静君にひとつ大事な話をしよう」
「何です?」
「実は先日、生徒会の会計の奴につき合ってくれと言われたんだ」
「は?」
「……二度も言わせるな」
 菫はむすっと言った。
「あ、はい。すみません。……えっと、生徒会の会計っていうと……」
 静は記憶(データベース)から該当する情報を引き出す。
「確か、藤木さん?」
「そう。よく知ってるな」
「まぁ……」
 静も2、3度会ったことがある。面倒見のいい、感じのいい先輩だった。容姿の方もなかなかに整っていたと記憶している。
 急に静の心臓の鼓動が速く、強くなった。
 相手の顔が見えたことで、菫が告白されたという話がいきなりリアリティを持ったのだ。その現実感と事実が胸を圧迫する。
「ふ、ふぅん……」
 それだけを発音するのに、声を喉から絞り出す必要があった。それと多少の平常心と――演技。
 菫がこちらを見ているのに気がついた。
 目が合う。
 何かを窺うようで、何かを待っているような菫の瞳。言葉を継がないと、と静は思う。
「……いいんじゃないでしょうか」
 そして、出てきた言葉がそれだった。
「いいか」
「いいと思いますよ。うん。ほら、藤木さんって真面目だし、かと言って堅物ってわけでもないし。いい先輩です。それから、えっと……」
 と、口を開いたまま動きを止める。
 言葉が出てこない。
 藤木という先輩に褒める部分がないわけではない。探せば――いや、わざわざ探さなくても彼の長所美点は出てくる。実際に静だっていい先輩だと思っているのだから。
 それでも言葉が出てこない。
 静の中で何かが抗っている。
「もういい」
 すると菫が大きなため息を吐いて言った。
「いや、その、僕は……」
「……嘘だ」
「はい?」
「さっきの話、嘘なんだ」
「……」
 静は呆気に取られ、ひどく間抜けな表情で菫の顔を見つめた。
 その静の前で菫は、残ったコーヒーをあおるようにして飲み干した。
「い、いったいなぜにそんな嘘を……?」
 そう問うと、菫は何か言いたそうな、それでいて責めるような目で視線を返してきた。
 そして――、
「……意味はない」
 憮然とした表情で簡潔に答えて、そっぽを向いてしまった。
「元はと言えば静君が……。だいたい何なんだ、あの……二度も……」
 そのまま窓の外を睨みつけるようにして、ぶつぶつとひとり言を漏らす。静の耳に届いてくるのは、断片的な言葉の欠片だけ。
 不明瞭なひとり言は放っておいて、それよりも――、
「そか。嘘か……」
 少し、ほっとした気がした。ため息とともに体から力が抜けていく。自分で思っていた以上に緊張していたらしい。
 乾いた喉を潤そうとカフェオレを口に運んだそのとき、ぐるん、と菫の顔がこちらに向いた。思わず静の口から「ひいっ」と悲鳴が漏れそうになる。
「なんだ、静君、もしかして安心したのか?」
「鬼の首を取ったみたいに言われても困るんですけどね……。べ、別に安心したわけじゃないですよ。むしろ、あぁ菫さんにもついに素敵なカレシができたんだなって喜んだくらいです。にゃあ」
「む……」
 菫は、静の言葉を聞いて一瞬眉間に皺を寄せたが、結局何も言わず、ふん、と鼻を鳴らして再びガラスの向こうに広がる表通りに目をやった。
「君こそ人の心配などしてないで、早くカレシでもカノジョでもつくりたまえよ」
 そして、不機嫌そうにひと言。
「菫さんに言われなくても、そうしますよーだ」
 静は口を尖らす。
 尤も、そうは言っても特に当てはないのだけど。売り言葉に買い言葉、である。
 すると、菫はぴくりと身体を跳ねさせた後、おそるおそる少しずつこちらに顔を向けてきた。
 当然、静と目が合って、
 また慌てて逃げるように顔を背けた。
「……」
「……」
 なんだか微妙な空気が流れる。
 菫の視線は外の景色へ。でも、意識は静の方を向いているようで、心なしかそわそわした様子だった。
 なんでこんなことになっているのかさっぱりわからない静は首を傾げる。
 最近の菫さんはちょっと変、と――
 
 
 2007年7月27日公開 / 2008年1月8日加筆修正
 
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