複雑微妙な先輩後輩の関係。……たかだか有限
   バレンタイン SS
 
 
 2月14日――、
 教室に入った静に、まず最初に声をかけてきたのは花房高貴だった。
「御前様っ」
「いきなり何、花坊。あと、御前様言うな」
 返事をしつつ席に座り、花房を見上げた。その好感の持てる笑顔を見ていると、爽やかで人気が高いのも納得できる。
「これ、俺の気持ち。受け取ってくれ」
「うわ。何これ? チョコ? なんで花坊が僕にチョコをくれるのさ」
「最近流行の逆チョコ」
「待て、それは製菓会社の罠だ……って、僕のお父さんも言ってた」
 いつの時代も製菓会社は、切羽詰ると自分たちでブームを創出するらしい。
「わざわざあげる側に回らなくても、花坊ならいっぱいもらうんじゃないの?」
「そりゃ、まぁ、もらうけど? でも、俺の気持ちは静ちゃん一筋だから」
 そう言って彼は嫌味のない笑みを浮かべた。
 真顔で言うのは恥ずかしいからちょっとおちゃらけた言い方になるのはわかるが、どうにもふざけて言っているようにしか聞こえなかった。
「うーん……」
 ただし、静もその気持ちはわからないでもない。
「じゃあ、女の子からなら受け取ってもらえるの?」
 次に現れたのは志村笑子だった。
「どう? 手作りなんだけど?」
「志村さんが僕に? ……それもちょっと微妙です。にゃあ」
 それ以前に、男子と女子の、クラスどころか学年でも一番人気を誇りそうなふたりが、そろいもそろって自分にアプローチしてくることが不思議でならなかった。
「静くんならそう言うと思ったわ」
 笑子はくすりと笑う。
「それに……」
「まぁ、そうだよな」
 笑子と花房は何やら意味深にうなずき合った。
「ん? なに?」
「ほら、あそこ」
 花房が顎で教室の前の扉を示し、同時に静の前に立っていた笑子が脇に退いて視界を開けた。
 でも、そこには特に変わった様子はない――と思ったら、そーっ、と明るい茶色の髪をした頭が現れた。
 我らが生徒会長、菫だった。
 菫は頭だけを出して教室の中を窺い――静が自分の方を見ているのを認めると、慌てて首を引っ込めた。そして、またしばらくして、ゆっくりと顔を出してくるのだった。
「……なに、あれ?」
 静は一旦、それを無視することにした。
「さあ?」
「でも、わたしたちが静くんにチョコを渡したりしたら、大変なことになるのは確実ね」
 花房も笑子もそう言って笑った。
 横目で見ると菫は、今度は目の辺りまでを出すだけで、静の様子を窺っているようだった。怪しい光景だった。その脇を通ってクラスメイトが教室に入ってきているのだが、生徒会長の奇行に口を挟むものはいなかった。
「にゃー」
 と、鳴きつつ天井を見て、静は考える。
 そして、再び入り口の方に目をやった。途端、逃げるように引っ込む菫の顔。それから静はおもむろに立ち上がり、教室の後ろの扉から廊下に出て、前へと回った。そこには扉に寄り添って、また首だけ中に突っ込んでいる菫の姿があった。改めて見ると間の抜けた構図だ。
「おはようございます、菫さん」
「ッ!?」
 後ろから声をかけると、菫は飛び上がって驚き、慌てて距離をとった。
「や、やあ、静君じゃないか。奇遇だね、こんなところで」
 何やら必死で取り繕っているが、明らかに成功していない。しかも、いつもならひと言目に「学校では先輩と呼びたまえ」と飛んでくるのに、それもなかった。
「奇遇も何も、ここ、僕の教室ですよ?」
「そ、そうだったのか。ははは……」
 挙句、白々しい乾いた笑いが虚空へと振りまかれる。
「菫さん、何か用ですか?」
「い、いや、そういうわけでは……」
 と、そこでさっきから菫の片手が後ろに回されたままになっていることに気がついた。何か隠し持っているようだ。
「もしかしてバレンタ――」
「ち、違う。これはそんなんじゃないぞっ」
 静が言い終わらないうちに、菫は言葉を重ねた。そして、じりじりと後ろに下がっていく。
「これ?」
「いいんだ、そんなことはっ。そもそもお菓子の持ち込みは禁止されているんだ。生徒会長の私がそれを破るはずがないだろう」
 ある程度まで下がると、菫はくるりと身を翻した。それでも何を持っているかは、巧みに隠し続ける。
「いいか、静君。君も見たら注意するんだぞ」
 最後にそう言い残し、菫は足早に逃げて……もとい、去っていった。
 廊下にひとり取り残される静。
「注意……」
 菫の後姿を見送りながら、つぶやいた。
「じゃあ……僕、アウト。実は菫さんにチョコ持ってきたんだけどな。やっぱり女の子にあげるって変かしらん?」
 にゃー、とまたしても鳴いてみる静だった。
 
 
 2009年2月14日公開web拍手にて公開/同年3月4日通常公開
 
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