サニーサイドアップにブラックペッパー
第2章 慣性の法則
Q.なぜ地球は回り続けるのか?
1. 4月ももう下旬。 翔星館高校に入学して半月ちょっとが過ぎ、可純は高校生活にもずいぶん慣れてきたものだと感じていた。学生食堂での昼食も、その慣れてきたもののひとつだ。 昼休み、梓沢可純と村神耀子はいつものように日替わりランチを食べ終え、今は食後のティータイムに突入していた。耀子は微糖の缶コーヒー。可純の手の中にあるのはブリックパックのカフェオレだ。 「ボクもさ、高校生活にいろんな希望を持って翔星館に入ったわけ」 ストローの刺さったパックを両手で包むようにしながら、可純はこぼす。 「それがさ――なに、この慣れ具合は? 入学半月にして新生活の新鮮味はどこへやらだ。高校ってこんなもの? 中学のときとたいして変わらない気がするんだけど」 「単に可純の順応力が高いだけじゃないの?」 耀子はばっさりと斬り捨て、缶コーヒーに口をつけた。 実際、彼女の目から見て、可純の環境への適応力は高いと思う。中学までが『地域』なら、高校は『社会』に近い。そんな周りは他人ばかりの、しかも、男女比の偏った特殊な環境ではじまる新しい生活にも可純は臆さず、すぐに周囲とも打ち解けた。男女問わず仲のよい生徒が多い。――耀子には腹の立つ話だが。 しかし、実はその馴染み具合とは裏腹に、可純はよく目立つキャラクタをしているのだが、知らぬは本人ばかりなり、だ。 「耀子だって人のこと言えないくらい慣れ切ってるじゃない」 己が嘆きを一蹴された可純は反撃を試みる。 確かに耀子も尋常ではない。慣れないブレザーの制服に着られている新入生も多い中、彼女は見事な着崩しで着こなしているし、その態度も冷たいほどに落ち着いている。 「ま――私は、ね」 「もう3年生の貫禄だよね」 「……」 耀子は黙り込む。怒ったのではなく、呆れているのだ。でも、まぁ、いいわ――と、特に何も言い返さないことにした。 と、そこで食堂内がにわかに騒がしくなった。空気が変わる。 何かわかりやすい騒ぎが起こったわけではなく、囁き声のさざ波のような伝播。それが食堂中に広がったときには、可純と耀子もその理由を理解した。 2階――通称ラウンジへとつながる階段。そこからとある生徒が下りてきたのだ。 この翔星館高校に何人かいる有名生徒の中でも、その筆頭。 柚木紗羅。 その類稀な美貌の最上級生は、艶やかな蜂蜜色の髪を揺らしながら、ラウンジから降りてきた。騒がれることには慣れているのか、自分を話題にした囁き声にも気にしたふうはない。 その後ろには長身の周防麗。彼女はなぜか紗羅の分のトレイまで持っているが、両手がふさがっているにも拘らず、危なげなく階段を下りてくる。身体能力が高い証拠だ。 ふと、先を歩く紗羅の足が止まった。 下から5段目辺り。 高い位置から見下ろすブラウンの瞳も一点に定まり、その先には――、 「え? ボク?」 可純がいた。 ただただ見惚れているだけだった可純ははっと我に返り、驚いて自分の鼻を指さす。紗羅の視線につられて可純を見た徒も多い。 その向こうで紗羅がにこりと笑った。 とんとん、と弾むような軽い足取りで残りの数段を下り、そのまま可純のもとに向かう。 「こんにちは、可純くん」 「こ、こんにちは……」 可純は呆気に取られつつも、挨拶をされたら挨拶を返すという、身についた習慣で言葉を返していた。 「隣、座ってもいい?」 「え? あ、はい。どうぞ」 「あなたも」 と、紗羅は今度は耀子に顔を向ける。 「一緒させてもらっていいかしら?」 「……どうぞ。ご勝手に」 耀子の返事は短く、素っ気なかった。目も合わそうとしない。 向かいでそれを見ていた可純は、上級生に対してそれはないんじゃなかろーかと思うが、今はそれところではなかった。すぐ横の席に紗羅が腰を下ろしたのだ。 食堂内がまだざわめく。 ……え? どうして柚木さんがあそこに行くわけ? ……あの子とどんな関係? ……私も柚木さんと仲良くなりたいっ。 そんな意味のひそひそ声が断片的に聞こえてくる。上級生であれ新入生であれ、誰もふたりの接点を想像できないのだろう。 思いがけず話題の人となり、居心地の悪い思いをする可純。紗羅のような大物にはとうていなれそうもない。 そこに食器を返却してきた麗が合流する。 「よっ、おふたりさん。今日もおそろいだね」 背の高い彼女は、座った状態からだと見上げるようだ。 またひとり増えやがった、と心の中で密かに悪態をつく耀子。こうなるのは当然の流れなのだが、投げやりにコーヒーを煽る。 「じゃ、アタシはこっちに座らせてもらおっか」 「ダメよ。麗は先に飲みものを買ってきて」 耀子の横に座ろうとした麗を、紗羅の声が制した。 「人使いが荒いね、まったく。それで、何をご所望?」 「そうね。今日は可純くんと同じものがいいわね」 彼女は可純の手の中のカフェオレにちらりと目をやってから決めた。「へ?」と、きょとんとする可純。いいのか、こんな甘ったるいもので。 麗は、いつものことなのか「りょーかい」と陽気に答えて、自動販売機コーナーへと歩いていった。 残ったのは可純と耀子と、そして、紗羅。可純は何か盛り上がる話題を振らねばと思うのだが、紗羅がすぐ横にいる緊張でうまく頭がはたらかない。その彼女は、笑顔で可純の顔を眺めるばかり。助けを求めるように耀子を見るが、私は知らん、話したくないオーラを目いっぱい漂わせていた。 そうこうしているうちに、というか、何もできないうちに麗が戻ってきた。 「ほい。買ってきたよ」 「ありがとう」 彼女は買ってきたブリックパックのカフェオレを紗羅に手渡してから、耀子の隣に腰を下ろした。可純の斜め前の位置だ。 「アタシは紗羅に対抗して、耀子と同じもので」 見れば麗は、耀子が飲んでいるのと同じ銘柄の缶コーヒーを持っていた。 「……私は名前で呼んでいいと言った覚えはありませんが」 「気にしないの、そんな小さなこと」 しれっと言って、麗は缶のプルタブを上げた。 どうやら彼女は耀子のことも知っているらしい。可純についても紗羅から聞いていたし、情報収集のためのアンテナの性能はいいようだ。 隣で耀子の機嫌がまたひと目盛り分悪くなった。 「可純くんたちは普段からお昼は食堂なの?」 カフェオレで喉を潤した紗羅が問う。 「あ、はい。先輩たちも、ですか?」 「ええ。この上で、ね」 彼女は真上を指さす。ラウンジだ。 「ボク、入ったことないんですけど、どんなところなんですか?」 「いいところよ。ちょっとしたセレブ気分ね」 紗羅はいたずらっぽく笑った。わざと定義の曖昧な言葉を選んで、明確な説明を避けたのだ。可純はまんまとその意図に引っかかり、いっこうにかたちにならない想像を巡らせては首をひねる。 「ま、気になるんだったら、一度上がっといで」 麗が横から口をはさむ。 「……一年生は入れないはずですが?」 それに応じたのは耀子。 ラウンジに関しては生徒間の不文律がある。一年生のうちは利用不可、入れるのは二年生、三年生だけ――という。 「あったね、そんなルール」 麗は笑った。 「でも、アンタだったら別にいいんじゃない?」 「私は一年ですので、お間違えなく」 耀子は麗の言葉にかぶせるようにして発音した。 可純も思ったことがあった。耀子なら一年には見えないくらい大人っぽいし、周りの雑音にも動じない。二重の意味でラウンジに上がれそうだ、と。 「何を隠そう、こちらのフリーダム姫はそんなルール、入学初日で破ってんのよね」 可純は驚いてフリーダム姫こと柚木紗羅を見た。そんな武勇伝があったとは。 「わたしはいつでも自由よ」 彼女は当然にようにそう言ってのけ、ストローに口をつけた。 麗は続ける。 「で、このラウンジには他にもルールがあるわけよ」 即ち、上級生に招待された場合に限り一年生でも入ってよい――という。 「要するに上級生が一緒なら入ってもオッケーってことですか?」 「そーゆーことね」 それが伝統的なルールらしい。 「だから今度、わたしが可純くんを招待してあげるわ」 「ボク?」 「ええ」 目をぱちくりさせる可純をに、紗羅はうなずいた。 向かいでは、「じゃ、アタシは耀子を」「……けっこうです」などと言い合っている。「行きたくなったら勝手に行きますので」。行くのかよ。二代目フリーダム姫か。 「あれ? 紗羅が誰かを呼ぶなんて、初めてじゃない? アタシはクラブで後輩を抱えてるから、ちょくちょく上げてるけど」 「言われてみればそうね」 麗の指摘と、紗羅の納得。 「そう。じゃあ、わたしの初めては可純くんね」 「は、初めて……」 その言葉に何やら意味深長なものを感じて、可純は思わず照れてしまう。 「麗、時間は?」 「ん。気がつけば10分前」 そんな可純の勝手なドキドキをよそに、紗羅と麗は時間を確認する。可純も体に似合わない大きなダイバーズウォッチを見てみれば、確かに昼休みはあと10分ほどで終わろうとしていた。浮かれていて時間の感覚がおかしくなっていたようだ。 「戻りましょうか。……じゃあね、可純くん」 上級生ふたりが立ち上がる。 「耀子。ボクたちもそろそろ帰ろう」 この辺が潮時だろうか。いつの間にかパックの中のカフェオレも空になっていた。憧れの先輩がそばにいた緊張と興奮で喉が渇き、知らないうちに飲み干してしまっていたのだろう。 耀子も無言で腰を浮かし、可純の提案に態度で同意を示した。 ところが、そのときだった。 「可純くん、ちょっと」 きなさい――と、紗羅に手を引かれた。 されるがままに連行される。少ないながらもまだ食堂に残っていた生徒がなんだなんだと見守る中、つれていかれたのは何本かある柱のすぐそば。近くのテーブルには誰もいなくて、ふたりだけの話をするには丁度いい。 「可純くん、あなた、話し方が硬いわよ」 紗羅は振り返り、可純に向き合う。 先ほどまでのやわらかい表情とは打って変わっての、問い質すような真顔。しかも、やや突き出す感じ。腰に手を当てたポーズはまるで怒っているように見えて、可純はたじろぐ。 「い、いや、だって、その……上級生の人と話をするわけだから、失礼な態度があったらいけないし……」 それに相手はただの上級生ではない。誰あろう美貌の最上級生、柚木紗羅だ。憧れの先輩なのだから、嫌われたくはないし、緊張だってしてしまう。 「そう。礼儀というものを知っているのね。いい子だわ」 彼女は納得し、寄せていた顔を戻す。 「あ、ありがとうございま――」 「でも、」 紗羅は可純の言葉が終わらないうちに発音し、 そして、微笑みかけた。 「わたしにはそんなこと気にしなくていいの。わたしを他の二年生、三年生と一緒にしないで。そんな関係じゃないでしょう?」 「……」 可純は返事に窮する。 「わかった?」 「わ、わかりました……」 いえ、実はわかってません。そんな関係じゃないって、じゃあ、どんな関係なんでしょう? 「はい、よろしい」 しかし、困惑する可純に、紗羅はもう一度満足げに笑みを浮かべた。 それでも――可純にわかることがある。それは紗羅が他の上級生と一緒にするなと言ったのと同じように、彼女もまた自分を他の下級生と一緒にしていないことだ。 2010年3月25日公開 |
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