サニーサイドアップにブラックペッパー

第2章


6.
 ゴールデンウィーク初日の朝。
 梓沢可純の起床時間は午前8時だった。学校がある普段より2時間ほど遅い。
「うーん……」
 真っ白いパジャマ姿のままベッドの上で行儀悪くあぐらをかき、両手を上げて伸びをする。立ち上がって窓のところへいくと、カーテンをあけた。差し込む朝日が可純の健康的な褐色の肌を照らす。
「おはよう、キャロル」
 部屋の隅に目を向ければ、与えられた寝床で丸くなっているトラ猫。ちょっと太め。名前をキャロルという。だが、反応がない。
「おーい、ドジスン先生。朝だぞー」
 再度呼ぶと、ようやく尻尾を2度ほど振ってみせた。起きているが起き上がる気はないらしい。そして、飼い主に向かってその態度もどうかと思う。
「……あいかわらず、ぐうたらなやつ」
 可純は呆れて嘆息をもらす。
 ダメ猫はほうっておくことにして――パジャマをベッドの上に脱ぎ散らし、ホットパンツにTシャツというラフな部屋着へと着替えた。
 2階の自室から1階へ。
 まず顔を洗ってから、朝食の用意。今日は片面焼き卵(サニーサイドアップ)とトーストだ。コーヒーメーカで入れるコーヒーは濃いめに作って、牛乳と一対一にしてしまうのが可純流。……要するに背伸びをしているのだ。
 テーブルにそれらがすべてそろい、トーストに最近お気に入りのマンゴージャムを塗りたくったところで、リビングの電話が鳴った。休日のこんな時間にかけてくるのは、ほぼ確実に家族だ。
 可純はトーストを持ったままリビングへと向かった。
 ナンバーディスプレィ機能によって表示された番号は、家族の引っ越し先のものではなく、父が勤務する研究所のものだった。父は休日でも出勤らしい。
 ――これで取らなかったら、次はケータイが鳴るんだろーな
 可純は受話器を取り上げた。
「もしもし?」
『おはようございます、可純くん。僕です』
 電話越しの、張りのある声。まだ若いのに研究者然とした父の顔が頭に浮かぶ。
「ん、おはよう」
 答えてから、小さめにトーストをかじった。
『どうですか、そちらは』
「特に変わりはなし。大丈夫。心配するようなことは何もないよ」
『そうですか。安心しました』
 電話の向こうで父が微笑むのがわかった。
「そっちは休日なのにお仕事?」
『そうなんですよ。休みだったら帰れたんですけどねぇ』
 そう言う父の声には、しかし、嘆くような響きはなかった。スタートを切ったばかりの研究所の仕事は、忙しくも充実しているのだろう。
「帰れないから羽純ちゃんが寂しがってるんじゃない?」
 羽純(ハズミ)とは可純の妹の名前だ。
 彼女の場合、中学3年生に上がる前に急に引っ越すことになってしまった。ゴールデンウィークには帰ってきて、こちらの友達とも会いたかっただろうに。
『そうですね。でも、今日はこっちでできたお友達と遊びに行くらしいですよ。僕が家を出るころには朝ごはんを食べてました』
「ふうん、そうなんだ」
 どうやら可純と同じらしい。
「こっちはいい天気だけど、そっちはどう?」
『それがですね――天気はいいんですよ、天気は』
 そこで父の声に次第に泣きが入りはじめる。
「でも、少し風がありましてね。おかげで僕の愛車が灰だらけですよ」
 あぁ、桜島かぁ――と、トーストを口に運びながら思う可純。
「せっかくだから車、シンデレラって名前にする?」
『可純くん、笑えませんよ、それ。まったく……おのれ、火山灰!』
 壊れ気味の父。それもそのはず。車はまだ買って半年ほどなのだ。休日にはせっせと洗車や車内の掃除をしていた父の姿が思い出される。
「いいのかなぁ、そんなこと言って。怒らせると怖いよ。あれ火山だもの」
『確かに、それは困りますね。後でそちら方面に向かって謝っておくことにしましょう』
 どこまで本気なのかわからないが、地質学者である父は自然の怖さについては重々承知だ。
『ところで、今日は可純くんはどうするんですか?』
「今日はボクも学校の友達と遊びに行く予定」
『そうですか。じゃあ、気をつけて行ってきてください』
 そう父は微笑むように優しく言い、電話を切った。
 可純も受話器を置いて、ダイニングテーブルに戻る。
 ゴールデンウィーク初日の今日は、耀子たちと遊びに行く約束をしていた。待ち合わせは正午だが、それまでに掃除や洗濯、この朝食の後片づけなど、やっておきたいことはたくさんある。
「あ、そう言えば、耀子が一時間早くこいって言ってたな……」
 可純はトーストにかじりつきながら時計を見た。何時に家を出て、それまでにどんな順番で家事をするか――。頭の中では午前の予定が組み立てられていった。
 
 
 2010年5月7日公開

 


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