少しずつではあるが、曲作りは進みはじめていた。
 アキラも自分のパソコンで作曲し、ある程度できたところでお互いのものを聴き合い、意見を交わすというのが確立した作業の進め方だった。結局、アキラがもう一台パソコンをそろえたこと、もっと遡れば、彼自身の存在が前に進む引き金となったということなのだろう。
 そうやって少し進展があったせいか、僕は本業のほうにも前向きになりつつあった。
「アキラ、午後から学校に行ってくるよ」
 大学のホームページの学生用ポータルからレッスン室の予約をとると、僕はそうアキラに告げた。
「学校? 夏休みに?」
「ああ。レッスン室のグランドピアノを使おうと思ってね」
「ふうん……」
 アキラは何やらしばし考え、
「直臣、オレも一緒に行っていい?」
 今度は僕が考える番だった。
 学校に部外者をつれて入っても大丈夫だろうか? 今は夏休みだし、親戚の子で入学希望だと言えばおおめに見てくれるだろう。じゃあ、レッスン室は? そっちも連弾やアンサンブルでの練習、意見の交換などでふたり以上で利用することも少なくない。
「ま、いいか」
 どうとでも言いくるめられるだろうと結論し、僕はアキラをつれていくことにした。
 
 
 僕が妙に集中しているのを見てか、アキラが昼食にサンドイッチを作り、僕らはそれぞれのパソコンに向かいながらそれを食べた。まさにサンドイッチ伯爵の逸話だが、この場合、手間暇かけてBLTサンドやらツナマヨネーズサンドやらを作ってくれたアキラは伯爵にはなり得ないわけで、彼には申し訳ないことをしたと少し反省した。
 そうして午後、予約した時間に合わせて家を出る。
 マンションの表に出てみて、あまりの暑さに軽い後悔に襲われた。これならマンションの地下のレッスン室を借りればよかったと思ったが、三時間で二千円と無料を比べれば天秤は後者に傾くというものだ。外は暑くとも学校の校舎に入ってしまえば部分的にではあるが空調が効いているし、レッスン室にもエアコンは完備されている。……ただし、設定温度は二十八度固定だが。
 兎に角、さっさと行ってしまおう、と駐輪場から自転車を持ち出した。
「よし、アキラ、ふたり乗りだ。後ろに乗って」
「え……」
 鳩が豆鉄砲を喰らったみたいに目を丸くするアキラ。
「ええと。ふたり乗りってことは、こう、がばっとするわけだよね」
 アキラは両腕を広げ、何かを抱え込む動作をする。たぶん自転車のリアキャリアに乗った人間が、前で運転する人間に抱きつく真似なのだろう。
「まぁ、そうなるね、普通」
「ひとつ提案なんだけどさ。ふたり乗りは道交法的にどうかと思うから、歩いていかない?」
「こんなに暑いのに悠長に歩いてられるか。いいから、さっさと乗れ」
「うわ。今日の直臣、強引……」
 無論、僕とて道交法を無視してふたり乗りを推奨しているわけではない。基本ここは大学まで徒歩圏内だから、歩いていけないこともない。実際、雨の日には傘をさしてそうしている。が、こんな陽射しのきつい日に肌を焼かれながら歩くほど酔狂ではない。
 アキラは渋々僕の指示に従った。
 まず普通にリアキャリアに前向きに乗ろうとして――やめた。次に女の子がよくするような横座りをシミュレーション。体を横に向け、前の人間の腰に片腕を回す動作までして、やっぱり断念した。いったい何が彼をこうまで悩ませているのだろう。照れているのか、それとも潔癖症だからだろうか。
「じゃあ、これで」
 試行錯誤の結果、彼は後ろ向きに乗ったのだった。
 
 
 
 背中合わせのふたり乗りで大学へと向かう。
 普段は十分少々の道のり。もちろん、最大限安全運転を心掛けたが、所要時間はさほど変わらなかった。
 その十分ほどの時間で、僕は今まで触れるのを避けていた話をアキラにした。そうできたのもこうして背中合わせで、お互いの顔が見えなかったからかもしれない。
「アキラ、親には連絡してるのか? 心配してるんじゃないのか?」
 なんだかんだで彼を保護(?)してもう一週間近くになる。アキラが今まで一度も家に連絡してないのなら捜索願ものだ。
「親はオレがふらふらしてるのは知らないと思う」
「知らない?」
「だって、オレ、沖縄から出てきて、こっちでひとり暮らししてるからね」
 なるほど。
 納得すると同時、いろいろ疑問が氷解した。料理が上手いのも当然だ。普段からやっているのだから。人の服と一緒に自分の服を洗濯するのに抵抗があるのは、逆に普段からそういうことをしていないせいだろうか。
「だったら、わざわざ家出なんてしなくてもよかったんじゃないのか? 夏休みなんだし。学校の寮にでも入ってるのか?」
 アキラは僕の問いに一拍おき、そして、答えた。
「……飛び出したかったのは家じゃなくてさ、オレを取り巻く世界なんだよ。家に閉じこもってても逃げられなかったからね、どっか行くしかなかったんだ」
「……」
 そうまでして逃げたかった彼の世界とは、いったいどんなものなのだろう。
 どうせアキラが家出に飽きるまでの間と思っていたから当然なのだが、考えてみれば僕は彼のことをほとんど知らないのだなと改めて思った。
「安心して。こっちでお世話になってる人には、いちおー連絡してるから」
 黙り込んだ僕に気を遣うように、アキラは口調を明るくさせて言う。
「そうか。ならいいよ。……でも、いつまでも逃げてるわけにもいかないだろ」
 人のことを言えた義理か、と心中で自嘲する。僕とて五里霧中なピアノから逃げているようなものなのに。少し前向きになったからって、ずいぶんとえらそうなことを言うものだ。
「わかってるよ。もう少ししたらまた戻るつもり」
「そう、か……」
 戻るのか。
 当たり前だな。
「だからさ――」
 と、アキラは僕の背に、体を預けるようにしてもたれてきた。
「直臣のそばにいる間だけでも、ただの"アキラ"でいさせてよ」
 
 
 
 いつもそうしているように駐輪場に近い正門から構内へと侵入する。
 と、正面から見知った顔が歩いてくるのが見えた。友人、但馬陽輝(たじま・はるき)だ。通称、タージマハール。もちろん、通称と言っても会話の中でふざけているときくらいしか使わないが。
 但馬もこちらに気づき、手を上げている。
「アキラ、止まるよ」
 ひと声かけてから自転車を停車させる。
「悪いけど、あっちに自転車置き場があるから、置いてきて」
「それはいいけど、どうかしたの?」
「友達がいたんだ」
 僕の友人なんかと会ってもアキラが困るだろう。それに僕としても見ず知らずの家出少年を保護したとは言いにくい。
「そっか。じゃあ、いってくる」
「鍵、抜き忘れるなよ」
「わかってるー」
 そう答えるとアキラは駐輪場へと自転車をこいでいく。走りはじめこそふらふらしたものの、すぐに安定した走行になり、遠ざかっていった。
 入れ違いに但馬がやってくる。
「誰、今の女の子」
「女の子? いや、男だよ」
 確かに遠目だとそう見るかもしれないな。近くでもそう見えるし。改めて彼の後ろ姿を見ると、やはりショートカットの女の子のようだった。
「親戚の子。大学(うち)が見たいって言うから連れてきたんだ」
 教職員に会ったときのために、後でアキラともそういう設定で口裏を合わせておこう。
「例のあれ、どうだ? できそうか?」
 但馬が聞いてくるのは、言うまでもなくシンガーロイド用の曲の曲作りのことだ。僕がシンガーロイドのことを知ったのも彼がやっていたからであり、僕にとって彼は偉大なる先人、初歩的なことはすべて彼からおそわった。
「まぁ、少しずつね。最近ようやくまともに進み出したところ」
「ああ、しまったな。こんなことなら貸そうと思ってた本を持ってきとくんだった」
「かまわないよ。僕と会うことを想定して、いつでも持ち歩いてるほうがどうかしてる」
 但馬とは作曲に役立ちそうな本を貸してもらう約束だった。尤も、具体的なことは何も決まっていない、会話の中で交わしただけの約束だが。
「ああ、でも、後でタイトルだけでもメールしといてくれない? 必要に迫られたら自分で買うかもしれないから」
「オッケー」
 但馬は気前よく返事をしてくれた。
 但馬陽輝という男はなかなかの好青年だ。シンガーロイドの曲を作って動画サイトでアップしているというと、ネットに貼りついたコンピュータオタク、あるいは、熱烈なシンガーロイドファンみたいに聞こえるが、それを知らなければ平均以上にスマートな、むしろ根っからの音大生だ。子どものころから音楽の英才教育を受け、楽器もいくつかこなす。それでも作曲科のコンピュータ音楽専修へと進んだのは、彼自身何か考えがあってのことなのだろう。
「そういえば、さっき鹿角と会ったぞ」
「鹿角さんと?」
 夏休みなのにいろんな人間がきてるな。学生らしいと言えば学生らしいが。
「お前がぜんぜん連絡くれないって怒ってたぞ」
 但馬はからかうように笑う。
 鹿角水緒美(かつの・みおみ)は、弦楽器専修の学生で、歴史あるこの大学の卒業生にして世界で活躍する有名指揮者、鹿角周二の娘でもある。彼女にも父親のその音楽的才能が継承されているのか、もうすでに学生バイオリニストとして各方面に名を轟かせていた。
「怒るだけで自分からしない辺り、あのお嬢様らしいよな」
「確かにね」
 僕も苦笑する。
「じゃあな、狐塚。鹿角が本格的に怒り出す前にちゃんと連絡しとけよ」
「ああ、そうする」
 但馬は挨拶代わりに僕の肩を軽く叩いて去っていく。彼が向かう先は駐車場。学生のくせに時々自動車で通学してくるあたり、但馬もたいがいお坊ちゃんなのだ。
 駐輪場のほうを見ると、ちょうどアキラが戻ってくるところだった。
 
 
 器楽科支援室で学生証を提示し、レッスン室の鍵を受け取る。
 夏休みの大学なんて空調は最低限しか利かせていないだろうと思っていたが、案の定、廊下はその範囲外だった。陽射しにさらされないだけマシと思い、廊下を進む。
 レッスン室は三階の一角にあった。二十ほど並んだ小部屋がそうだ。普段なら時期によっては満室になるここも、今はほとんど利用されていないようだった。指定されたナンバーの部屋を先ほど受け取った鍵で開ける。と、今日は朝から誰も使っていないのか、中はむっとした空気がこもっていた。あまりの不快さに、隣でアキラが「うわっはー」と苦笑いをこぼした。僕の顔も思わず歪むが、まぁ、狭い部屋だ。エアコンを点ければすぐに冷えるだろう。
 レッスン室は廊下に面した側が嵌め殺しの窓で、ドアも中からは鍵がかけられないようになっている。楽器の練習以外のことに使わないようにとの措置だろう。授業がある時期なら先生が見回り、気になる学生や自分が担当している学生がいると中に入って聴いていったり、指導していったりもするのだ。
 もの珍しそうにしているアキラにかまわず、僕はグランドピアノの前に座った。鍵盤蓋を開け、指慣らしに楽譜がなくても弾けるような定番の練習曲をいくつか弾いてみる。
「直臣ってさ、家じゃぜんぜん弾かないよね」
 レッスン室に一脚だけあるイスに座り、アキラが聞いてくる。
「してるよ。アキラがうるさいだろうと思って、君のいないときにね」
「気にしなくていいのに。……でも、練習は一日八時間とか言わない?」
「そういうのはプロやプロを目指す人間がやるもんだよ」
 そうはぐらかしておいて、すぐに自分こそがまさにそうであることに気づく。僕も与えられたチャンスをつかむためには、練習に練習を重ねないといけないのに。
 僕は鞄から楽譜を取り出し、立てた。
 指の動きもよくなってきたし、次はもう少し難度の高いのものにする。ショパンの練習曲。ピアノの練習用として有名な曲のひとつだが、ひとたび完璧に弾きこなそうと思うと高度な技術とセンスが要求される非常に完成された作品だ。この大学では入学時に当たり前のようにこのレベルを求められる。
「いいね。すごくいい」
 ひと通り弾き終えると、アキラが感激したように目を輝かせた。
「そうかな?」
「うん。オレはいいと思うよ」
 お世辞の欠片も感じさせず褒めてくれるアキラに、僕は曖昧に笑うだけ。
 僕だって悪いとは思っていない。確かに入学前から弾けていた曲だが、今はさらに完成度が上がっていると自負している。だが、このところ評価されない日々が続いているせいか、どうしても自ら疑問符をつけざるを得なかった。
「そうだ。いいこと思いついた」
 急に何か閃いたのか、アキラは身を乗り出す。
「今つくってるあの曲に、直臣のピアノの生演奏を入れよう!」
「僕の?」
 何もシンガーロイド用の曲はすべてDTM音源で作らないといけないと決まっているわけではない。部分的に生の演奏を使っている曲も少なくはなく、そういう贅沢な作りは強力なセールスポイントとなる。実際に音楽に携わっている身から言わせてもらうと、人間が演奏する"血の通った"音があると、曲は一気に変わってくる。僕もひとつくらい生の演奏を入れたいという思いはある。
 が、しかし、それが自分自身となると話は別だ。果たして今の僕にそれが務まるかどうか。
 アキラの提案に返事を詰まらせていると、ドアがノックされた。
 思わずぎょっとする。普段なら誰か入ってくることも珍しくない。人の練習の邪魔をしないのが不文律だから、入ってくるのは学生ではなく主に先生だが。しかし、今は夏休み。その先生すら入ってくることはないだろうと、すっかり油断していた。
 ドアを開けて姿を現したのは、僕の指導教員である有馬先生だった。
 有馬先生はもう初老といっていい年で、その世界では名の知れたピアニストだった。有馬先生の指導を受けたくてこの大学を志望するものも多い。しかし、気難しい性格で、実際に講義や指導を受けた学生には人気はない。指導教員にしたくない先生ナンバーワンなのだが、どういうわけか僕はこの有馬先生にあたってしまったのだった。
「やあ、狐塚君。お邪魔するよ」
「どうも」
 先生と会うことなど予想だにしていなかった僕の挨拶は、そんな短い素っ気ないものだった。
「何の気なしに見て回っていたら、君がいるのを見かけてね。……ところで、そっちは?」
 有馬先生は視線でアキラを示した。
「はい、先生。ボクは直臣とは従兄弟(いとこ)で、来春には音大に進みたいと思っているので、校内を見せてもらっていました」
 が、答えたのは僕ではなく、当のアキラだった。
 僕はそれを聞いて、おや、と思った。なぜならこの時点でまだ設定の口裏合わせをしていなかったからだ。にも拘らず、アキラは僕が考えていた嘘とほとんど変わらぬことを口にした。どうやら部外者が校内に入るための口実を考えた末、彼も同じ結論に達していたようだ。
「ほう、そうかね。いったいどの学部を志望しているのかな?」
 ところが、だ――この設定なら部外者を入れてもおおめに見てくれると思ったのだが、有馬先生はそこに喰いついてきてしまった。
「はい。声楽か作曲のほうでと思っています」
 一方のアキラも、座ったままではあるが背筋を伸ばし、この突発的な状況にも落ち着いて、物怖じせず答える。好印象な笑みすらたたえているその様子に、僕は素直に感心した。
「声楽か作曲、か。……もうすでに何かそういう活動を?」
「はい。先生のような方には笑われてしまうかもしれませんが、いわゆるポップスです。歌ったり、いくつか作曲の真似事をしたりもしています。大学ではそういうのを本格的に学びたいと考えています」
「……む。そうかね」
 有馬先生がかすかに戸惑いを見せた。当然だ。先生はクラシック音楽の人間で、ポピュラー音楽など眼中にはない。
「いやいや、別に笑いはせんよ。でも、そういうのは歴史あるこの大学では少々毛色が違うな。ポピュラー音楽を扱うところに行ったほうがいい」
 先生は急速に興味を失い、僕に向き直った。
 視界の端でアキラが可笑しそうに苦笑し、肩をすくめるのが見えた。これが先生の矛先を逸らすために狙ってやったことなら、見事にしてやったりだ。
「狐塚君。調子はどうかな?」
 有馬先生は指導教員らしく問うてくる。
「自分では悪くないと思っています」
「そうか。なら一曲弾いてもらおうかな。聴いてみよう」
「……はい」
 先生が現れたときから、こうなるであろうことは予想していた。さて、何を弾く? まだ未完成だがマゼッバを弾いて挑戦意欲を示してみせるべきか。それとも完璧にものにしたプロコフィエフのエチュードか。
 迷った末、プロコフィエフにした。
 今自分が出せるすべてのものを出し、最高の演奏をするつもりで弾きはじめる。そして、それは間違いなく達成されたと自信をもって言えた。だが、弾き終えたとき、目を閉じ腕を組んで聴いていた先生は、そのままの姿勢で静かに首を横に振ったのだった。……ああ、この反応は今までと同じだな。
「悪いが、やはり今回は諦めたほうがいいかもしれないな」
「……そうですか」
 案の定だった。もう何が悪いのか問う気にもならなかった。僕のピアノへの有馬先生の評価が下がりはじめたころは幾度となく尋ねた。喰い下がりもした。だが、先生はいつも感覚的なことしか言ってくれなかった。挙げ句には「何が悪いか、君自身がいちばんわかっているのではないかね」。わかっていたらこんなに悩みはしない。
「なに、君にはまだチャンスはあるんだ。諦めることはない」
「わかりました」
 僕はうなずくよりほかはなかった。
「君がよくなったと思ったら、またいつでも聴かせてほしい」
 そう言うと有馬先生はレッスン室を出ていった。
「何あれ、感じわるーい」
「ああいう性格だから」
 アキラが口をへの字に曲げ、僕は苦笑。だからこそ有馬先生は評判が悪いのだ。
「ところで、今の、何の話だったの?」
「ああ。留学の話だよ」
「……え?」
 突飛な話に聞こえたのか、アキラは唖然呆然とする。。
 この大学にはオーストリアに姉妹校があり、毎年優秀な学生を何人か留学させているのだ。その選考は夏に行なわれ、僕の名も挙がっている。が、先のやり取りからわかるように、どうやらもう望みは薄いようだ。別にこれに自分の将来をかけているわけではないが、チャンスがあるならつかみたいと思うのは学生として当然だろう。音楽の都で本場のクラシックに触れたいと思う。しかし、僕には候補に名は挙がりはしても、そこから抜け出るほどの実力はないということか。
 その後、僕はしばらく練習を続けたが、レッスン室の利用時間を三十分以上も残したまま家に帰った。
 
 
 
 表面的にはいつも通りだった。
 夕食と、その後片付け。その後は各々の作業。僕は勉強をしたり曲作りをしたり。アキラはテーブルに置いたノートパソコンに向かっている。この家出少年は勉強のほうは大丈夫なのだろうか。
 表面的には、いつも通り。
 ただ、そのアキラの様子が少しおかしかった。
 何か考えているようで、口数が少ない。今もパソコンの前に座っているわりにはそれを操作するわけでもなく、横に置いてあるルーズリーフにペンを走らせるわけでもなく、作詞にしても作曲にしても、あまり手についていないようだった。
 しかし、もとより悩みがあって飛び出してきた身だ。何かの拍子に考え込んでしまうこともあるだろう。そう思い、僕はあえて何も声をかけずにいた。
 そのまま午後九時を回ろうかというころ。
「……直臣」
 アキラが久しぶりに口を開いた。
 僕はイスを回転させ、彼のほうへと体を向けた。
「あ、あのさ――」
 アキラが戸惑いがちにも意を決したように切り出してくる。
 と同時、タイミングの悪いことに僕のスマートフォンが着信を告げてきた。ディスプレイを見れば、そこには鹿角水緒美の名があった。しかも、音声通話。
「悪い。ちょっと待ってて。後でちゃんと聞くから」
「う、ううん。気にしないで」
 アキラは首を横に振り、そして、どこかほっとしたように笑みを浮かべる。
 僕は端末をつかんで立ち上がった。
「もしもし?」
 電話に応じながらキッチンスペースへと出る。
『狐塚君? 私よ』
 鹿角さんの鋭い声が耳を打った。彼女の発音は普段から少々威圧的に響く。よくも悪くもお嬢様なのだ。しかも、それが今はいっそう苛烈だ。つまるところ、怒っているのだろう。
「ごめん。ぜんぜん連絡できなくて」
 僕は後ろ手にドアを閉めた。
『いいわ。そんなことより、明日会える?』
「それはいいけど……?」
『そう。じゃあ、いつもの喫茶店で。午後四時に』
「わかった」
 僕の返事を聞くと、鹿角さんは一方的に電話を切った。とても彼女らしい態度だ。それも機嫌が悪いときの。普段はそれなりにかわいらしい姿を見せるのだけどな。
 苦笑しつつ居室へと戻る。
「悪い、アキラ。明日、少し出かけることになったから」
「もしかしてデート? 今の電話、彼女からだったりして」
 アキラは、先ほど話すタイミングを外したことで逆に肩の力が抜けたらしく、努めて明るく、からかうように言ってくる。
 僕はばつが悪く、頭をかいた。
「実はその通りなんだ」
 僕は現在、鹿角水緒美と交際中。彼女は僕の恋人ということになる。
「でも、まぁ、明日はそういうのではなさそうだけど」
 このところ連絡していなかったからわがままの虫が暴れ出して、なんでもいいから僕を呼び出したかったというところだろう。
「あ、直臣、彼女いたんだ……」
「まぁね。あまりそうは見えないだろう? 友達にもよく……うわっぷ!」
 いきなりクッションが飛んできて、僕の顔に炸裂した。無論、投げたのはアキラだ。最近得意技となりつつある。
「なんだよ、いきなり」
「知らない! そんなのオレにだってわかんない!」
 アキラは勢いよく立ち上がると、ロフトへと駆け上がっていく。
「あ、おい。話があったんじゃ……」
「もういい!」
 そう言い放ち、彼はロフトの奥に姿を消した。
 
 
 2014年1月28日公開

 


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