部屋の中はメロディで満ちていた。
 それに合わせて歌声が響く。
 ただし、歌うのは人間ではなく、音声合成ソフト"シンガーロイド"シリーズのひとつ、『流華』。
 僕とアキラはデスクトップパソコンのスピーカから流れるそれを、真剣な表情で耳を澄ませ、じっと聴き入る。僕はパソコンの前でキャスタ付きのチェアーに座り、アキラは床から見上げて。
 やがて四分弱の曲が終わり――部屋には沈黙が訪れた。
「完成した?」
 先に口を開いたのはアキラ。静かに問うてくる。
「ああ、完成した」
「したね」
 僕たちは呆けたように、まるで意味のない会話を交わす。
 一拍。
 僕は深い息を吐いて背もたれに脱力した。
「お疲れ、アキラ」
「うん。直臣もね」
 あれから二日。
 僕とアキラは何かに憑りつかれたように曲作りに没頭した。ろくに外にも出ず、部屋にこもりっきり。作詞作曲が終わっても、むしろそこからが本番だった。DAWでのアレンジ、打ち込み、ミキシングにマスタリング。シンガーロイドでメロディと歌詞を入力して音声パートを作成した後は、再びDAWに戻ってそれにリバーブをかけたり、イコライザで高域と低域のバランスをとったりといった調声を施す。そうして今日ようやくひと通りに作業が終了し、たった今通して試聴したのだった。
「結局ポップスっぽくなったね」
「う、うるさいなー」
 不貞腐れたように頬を膨らませるアキラ。
 あれだけ"尖ったセンスの歌詞"に拘っていたアキラだが、結局、恋やら何やらといった単語がちりばめられた歌詞に落ち着いたのだった。まぁ、それこそセンスの問題なのだから、狙って書けるものでもなし。出ないものは頭をひねっても出てこない。
 ――『UNDER THE ROSE.』。
 それがタイトルだった。
 想いを寄せている女の子が振られたのを知って、自分にもチャンスが回ってきたと思ってしまった男。自己嫌悪を感じ――だから彼はそんな自分を、彼女は振られたことを、一緒に何もかもを忘れて踊り明かそうというストーリィの詞。最後にはなんでもかんでも踊って解決してしまうインド映画かよと思わなくもないが、まぁ、邦楽の歌詞なんてそんなものだろう。会いたくても会えない、出会えた奇跡、感謝の言葉を並べるラップなんかは、定番を通り越してもはや笑いどころのような気がする。日本の作詞家は皆、シェイクスピアを読むべきだろう。豊富な語彙で悪口が書かれているから。
「歌詞はアキラに任せたことだし、文句を言うつもりはないけどね」
 アキラに異存がなければ、これで完成だろうな。
 さて、次なる問題は、これを動画サイトにアップするために、それなりの形式にしなければいけないことだ。動画とは名ばかりの、静止画に音楽を流すだけでもかまわないのだが、それすらもしたことがないのがこの僕である。画面が真っ暗なまま曲だけ流すという手もないわけではないが、サムネイルが真っ黒の作品を見ようと思う人間は少ない。これは最終手段だ。まずは但馬に頼んでみることにしよう。あいつ自身は動画師ではないが、そういう知り合いがいるらしいとは聞いている。
「あのさ、直臣――」
 と、そこで何やら異存があるらしいアキラ。
「提案なんだけど、やっぱりピアノ部分は直臣の生演奏にしない?」
「僕の、ねぇ」
 あの日、レッスン室で語った思いつきを、アキラはまだ諦めていなかったらしい。
 しばし考えてみる。
 今の僕は一時期ほどピアノを遠ざけていない。削っていた練習時間も増えつつあるし、作曲の際に鍵盤を叩きながら考えることもあった。たぶん先日、有馬先生に引導を渡されたせいだろう。吹っ切れてしまったのだ。むしろこれこそがリスタートのための第一歩だとすら思っている。よって、弾くこと自体は吝かではない。
「生の演奏を入れるとして、別に僕である必要はないよな。もっと上手いやつをつれてくればいい」
 この反論は、実は際限なく広がってしまう。何せ器楽科に籍を置いている身だけに、楽器を扱える知り合いは多い。下手をすると今回の曲に使った楽器のプレイヤをひと通り集められてしまい、生演奏でまかなえる以上何もDTMで曲を作る必要がないという結論に達しかねないのだ。
「でも、これは直臣の曲だよ」
「僕とアキラの曲だ」
 僕はすかさず訂正する。
「え? あ、うん、そうだね」
 と、アキラは顔を赤くして、しどろもどろになった。
「そ、そうだとしても、直臣の頭の中から生まれた曲なんだもの、直臣以上に上手く弾けるやつなんていないでしょ?」
 それでも彼は力強く主張する。
 確かに一理あるか。どんな楽曲でも解釈は大きな問題だ。解釈が違えば作品の雰囲気もまったく違ってくる。この曲の最大の理解者は僕であり、僕こそが唯一無二の適任者だと言えるだろう。
 今回僕は、DTM音源とシンガーロイドを利用して、ひとりで曲を作ることに拘った。アキラという予定外の協力者を招くことになったが、それは置いておこう。その拘りを貫いた上でピアノの生演奏を入れるという妥協、あるいは付加要素を入れるのならば、それは僕の手であるべきだろう。
「仮にそうするとして、録音機材はどうする? マイクで拾って完了ってわけにはいかないんだから」
 口で言うほど簡単な話ではない。
「直臣の学校でどうにかならない? 音大なんだからさ。むりならオレが――」
「あぁ、あるな」
「へ?」
 アキラに指摘されて思い出した。腐っても音大、というか、ぜんぜん腐っていない日本でもトップレベルの音大なので、学校のメディアセンターに簡易のスタジオがあるのだ。基本的にはクラブやサークルで使うもので、個人で貸してもらえるかはわからないが、そこが使えるなら録音機材の問題はクリアできる。
 僕はちょうどパソコンの前に座っていたこともあり、すぐさま大学のホームページから施設の利用案内を確認してみた――のだが、これが意外に不親切で、個人で利用できるかどうかまではわからなかった。ただ、どうやらレッスン室のように学生用ポータルから簡単に予約ができるものではなく、器楽科支援室で申請書を書かなくてはいけないということだけは確かだった。
「行って聞いてみるか。どっちにせよ一度は行かないといけないわけだし」
 
 
 
 こういうことは早いほうがいいと思い、さっそく学校に行くことにしたのだが、アキラもついてくると言い出し――今、僕たちはまたもや自転車のふたり乗りで学校に向かっていた。もちろん、今回も背中合わせだ。
 そして、前もそうだったが、こういうときに話すのは決まって……。
「曲、完成しそうだね」
「そうだね」
 曲自体はでき上がっている。後はピアノ部分を僕の生演奏に入れ替えたら終わりだ。学校のスタジオが借りられなければ、その試みを諦めてこのまま完成という可能性だってある。
「この後、どうする?」
「んー?」
 アキラは少し考え、
「戻る、かな?」
「……」
 つまり帰るべき場所に帰るということなのだろう。当然だ。いつまでも逃げてはいられないと、アキラ自身も言っていた。ならばこれがいい機会だと言える。
 盆も過ぎた時期の夕暮れどきとあって、日中に比べると暑さは和らいでいるように感じた。うるさかった蝉の自己主張も、最近ではおとなしくなった気がする。僕は夏の夕方、リアキャリアにアキラを乗せ、ゆっくり自転車をこぐ。
「直臣、オレがいなくなったらさびしい?」
 アキラは少しからかうような調子で聞いてきた。
「別に。もとの状態に戻るだけだよ」
「ちぇ」
 そして、口を尖らせる。
 正直、嘘だ。
 ひょんなことから家出少年を拾ってしまい、どういうわけか一緒に曲作りまですることになってしまったが、今ではよきパートナーだ。いなくなればきっとそれはもうもとの状態ではなく、どこかもの足りない日々になるに違いない。
「ずっと置いてよ。ダメ?」
「そんなわけにいかないだろ」
 そう。それでも戻らなければならない。
「オレのあっと驚くような秘密をおしえてあげるって言っても?」
「秘密? なに?」
「内緒。秘密だからね。直臣がずっといてもいいって言ってくれたらおしえてあげる」
「……」
 秘密、か。気になるところではあるな。
 誰でも大なり小なり秘密をもっている。僕だってそう。そして、アキラも。薄々そんな気はしていた。アキラには何か秘密がある、と。それも彼が言うところの"あっと驚くような"だ。それが今回の家出につながっているのだろう。
 でも――、
「いらないよ。アキラの秘密なんて」
 そんなものは必要ない。
 そんな僕の返事に、アキラはどこか不満げに問い返してくる。
「知りたくないってこと?」
「アキラはアキラってだけで十分ってこと」
 なぜなら彼自身が言ったのだ。
 
 ――直臣のそばにいる間だけでも、ただの"アキラ"でいさせてよ。
 
 アキラがまだ戻る踏ん切りがつかないというのならここにいればいいし、だからと言ってそんなことを話す必要もない。僕だって聞きはしない。ここではわざわざ"アキラ"以外のものになることなんてないのだ。彼にとってここはそういう場所であればいい。
「そっか」
 僕の思うところを理解したらしいアキラは、笑みを含ませた発音で短くそうとだけ答えた。
 それからいつぞやと同じく僕の背に体を預けてくる。
「あーあ。直臣のところにきたの、失敗だったかなぁ」
「……」
 果たしてそれは、どういう意味をもって紡ぎ出されたものなのだろうか。
 
 
 
 器楽科の支援室で話を聞くと、スタジオは個人でも貸してもらえるということだった。
 僕はアキラを見た。
「やろうよ」
 この期に及んでまだ迷っている僕の背を、彼が押す。
「仕方ない。やってみるか」
 どうやらその期待に満ちた目には勝てそうになかった。しかし、実際のところ口で言うほど渋々ではない。こうなったらやれるところまでやってみるのもいいだろう。アキラに拘りたい部分があるのなら、彼が納得するまで一緒に追求しよう。
 簡単な説明を受けた後、さっそくその場で利用申請書を書くことにした。だが、使用日時の項目で手が止まってしまう。先ほど聞いた説明には、利用の申請は前日までにすることとあった。つまり今利用者がいないからといって、すぐに使うなんてことはできないのだ。もちろん、練習も何もしていないから、仮にできたとしても今すぐ収録するつもりはないが。
 少し迷った末、使用日時は明後日の夕方に設定した。僕が作った曲なのだ。単に弾くだけなら、楽譜なしで今すぐにでも弾ける。最後のほうは実際に鍵盤を叩きながら曲を書いていたし、日課である練習にも使っていたくらいだ。二日あればものにできるだろう。
 ついでにスタジオ使用時間の直前にレッスン室の予約もとっておいた。本番前最後の練習のためだ。
 
 
 帰るとさっそく練習に入った。
 現状、アキラにはもうすることがなく、夕食を作り、その片づけをした後は僕の練習を聞きながら自分のノートパソコンでネットサーフィンでもしているようだった。とても機嫌がよさそうで、やがてピアノに合わせて歌を口ずさみはじめた。
「歌、上手いね」
「え?」
 僕はただ素直に感想を口にしただけなのだが、彼は驚いたように小さな発音をもらした。
「どうかした?」
 鍵盤へのタッチを抑えめにしただけで、僕は相変わらずピアノを弾いたままで問いかける。ピアノはまるで僕たちの会話のBGMだった。
「ううん。そんなこと言われたの、久しぶりだと思って」
「そうなんだ」
 それだけ上手ければ周りから称賛の声が上がりそうなものだけどな。
 僕は器楽科で声楽は専門外だ。でも、声楽家の友人もいて――カラオケに行けばものまねをしたり、洋楽のナンバーを演歌風に小節をきかせて歌ったりと変なことばかりしている連中だが、おかげで耳は肥えている。アキラは確かに上手い。
「歌うのは好き?」
 僕は鍵盤を試すように、確かめるように叩きながらアキラに問う。……うん。今の音の流れはよかったな。
「どうかな。わかんない」
 アキラは何かを曖昧にするように、苦笑いしながら答えた。
 まぁ、そんなものか。たとえばカラオケという娯楽に対して、好きだから行く、嫌いだから行かない、とはっきり表明するものは多いだろうが、ほとんどの人間にとっては「まぁ、好きなほうかな?」「つき合いだから」くらいの認識でしかないだろう。真面目に好き嫌いを論じるような題材ではないのだ。
「でも――」
 と、アキラは言葉を継ぐ。
「この歌は好きだよ」
「僕もだ。初めて作ったにしちゃ上出来なんじゃないかな」
 それもこれもアキラのおかげだろう。これでも自分の音楽的才能を理解しているつもりだ。途中で頓挫しないにしても、僕ひとりでは曲の完成までにもっと時間がかかったことだろう。最悪、学生生活をかけて完成させる気長な作業と位置づけていたかもしれない。
「アキラさ、どんな気持ちでこの歌詞を書いた?」
「え? どうして?」
「うん、弾くときの参考にと思ってね」
 ノリがよければいい、というのが作曲段階での僕の意図なのだが、ここは作詞したアキラの意見も聞いておきたい。楽譜通りに音を奏でるDTM音源と違い、僕という人間がピアノを弾くのだ。やはりそこには感情を込めないと意味がない。そのためにもアキラの意図を知る必要がある。オーケストラを率いる指揮者は、作曲者の生い立ちすらも頭に入れてその楽曲の解釈に臨むのだから。
「もしかして体験談?」
「べ、別にそんなんじゃないよ。ただ何となく」
 弱々しい言い訳のようなアキラの声。
 高校生ならもう異性や恋愛に対して興味がいく年ごろだ。そういう体験や経験があってもおかしくないと思ったのだが。照れて言えないだけなのか、それとも言葉通りに体験談でないのならば、空想の産物――小説か、詩(ポエム)か。どちらにしてもあまりしつこく聞いてやるとアキラが恥ずかしいかもしれない。実際、彼はこれ以上詞について語らなさそうだった。
 僕は再び指に力を込めてピアノを弾き出す。
 仕方がない。僕の解釈でやらせてもらうことにしよう。
 
 
 
 そして――。
 
 アキラは言った。この曲を僕以上に上手く弾けるやつはいない、と。……そうだ。僕こそが最大の理解者だ。
 ならば自信をもって弾こう。
 イメージするのは、心のままに踊り続ける様。
 夏空の下で、月下で、一心不乱に踊る。
 嫌なことは忘れ、それどころか何もかもを忘れて――代わりに体を満たすのはリズム。奥底から湧き上がってくるリズムに身を任せ、今はそれがすべてであるかのように、ただただ踊り明かす。
 そして僕は、そのイメージを胸に鍵盤を叩く。
 不意に――入り込んだ。
 時々ある。ピアノが自分の一部になったような、自分がピアノの一部になったような、そんな感覚。
 一体感。
 万能感。
 今の僕は頭に描いたイメージを欠片も損なうことなくピアノに乗せることができる。
 やがて最後の一音。
 その残響すらも消えた後、僕は体から力を逃がすように、長く深く息を吐いた。
 顔を上げ、アキラを見る。ガラスの向こうのコントロールルームで、ヘッドホンをつけた彼が笑顔を見せていた。それが何を意味するかは言うまでもない。あぁ、僕も満足だ。僕はアキラに笑い返した。ガラスを挟んで僕らは笑い合う。
 こうしてピアノの収録は無事に終わった。
 
 
 
 二度目の編集作業はすんなりとすんだ。
 DTMで作成したピアノパートを僕の生演奏に置き換えるだけ――と言えば簡単に聞こえるが、実際にはそうでもない。が、それでも一度目ほどには難航しなかったのも確かだ。
 でき上がったものを聴いてみれば、アキラは大絶賛だった。
 これで正真正銘の完成。
 だが、まだこれを動画サイトにアップするという最後の難関が残っている。現状ではただの音声データでしかないので、これをかたちだけでも動画形式にしなければならない。真っ黒に曲だけ流すのは、前にも述べた通り、人に聴いてもらいたいのなら論外だ。せめて人目を引くイラストを置いてそこに曲を流し、できれば歌詞も表示させたいところ。
 だが、残念なことに僕には動画を編集する技術がない。やはりここは但馬に曲と歌詞を渡して任せるしかないか。
「直臣ー」
 デスクトップパソコンの前で思案していると、アキラが僕を呼ぶ。
 振り返れば彼はテーブルで自分のノートパソコンに向かっていた。傍らにはカルピスのコーラ割りであるキューピッドが置かれている。
「前から気になってたんだけど、これ何?」
 と、アキラはノートパソコンを回し、僕のほうに向ける。どうやら見ていたのは動画サイトのようで、そこには歌に合わせて踊る3Dモデルが映し出されていた。
「ああ、これはMMDだよ」
「MMD?」
 初めて聞く単語だったのか、アキラは聞き返してくる。
「そう。3Dモデルを動かすツール」
 何の略だっただろうか。Mover Model Dance? 忘れた。兎に角、3Dモデルを自由に動かすツールとして発表され、これを使えば手軽にキャラクタを踊らせたり、ストーリィのあるシーンを作れたりできるので、現在では動画サイトの一ジャンルを形成している。
 僕の説明を聞いたアキラが、目を輝かせて身を乗り出してくる。
「面白そう。直臣、これやろう!」
「むちゃ言うなよ」
 確かに僕は先の説明で"手軽に"と言った。だが、それは必要なものがそろっていたらの話だ。ツールはフリーソフトなのですぐにでもダウンロードできる。モデルやステージデータは有志によって公開されているので、これも手に入る。音楽は当然自前だ。未だ世に出ていないものが手もとにある。だが、肝心要のモーションデータがない。
 本来ならば発表されたシンガーロイド曲に合わせて誰かがオリジナルの振り付けをつけ、それをモーショントレースしてデータが生み出される。しかし、未発表の曲に合ったモーションデータなんて、どこを探してもありはしない。振り付けすらないのだ。
 作ったオリジナルの曲を、MMDを使ったプロモーションビデオつきで発表するのは確かにひとつの手かもしれない。だが、それには人とスキルが必要だ。立ちふさがる壁が高すぎる。
「大丈夫! できるって」
 できるか、と反論しようとし――次のアキラの言葉を聞いて、僕はそれを飲み込んだ。
「オレと直臣ならできる!」
 アキラは力強く断言する。
 そして、僕の口から代わりに出てきたのはこんな返事。
「……まぁ、やるだけやってみようか」
 最近の僕はどうにもアキラに甘いというか弱いというか。いつからだろうか、と考えかけ――やめた。
 
 
 2014年2月11日公開

 


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