聞き慣れた声に顔を上げてみれば、そこに槙坂涼が立っていた。 まさかこの場に槙坂先輩が現れるとは思わなかった。いや、ここは彼女の地元(テリトリー)だから十分にあり得ることだったか。むしろ僕がうっかりそこに飛び込んでしまったと言うべきかも知れない。 「今日は一日会えないと思ってたのに、奇遇ね。嬉しいわ」 テーブルの脇に立つ彼女は、大人っぽい笑みを浮かべてそう言う。 にしても、愉快なときに鉢合わせしてしまったものだ。さて、どうしたものか。 「法事は終わったの?」 「つつがなくね。僕の務めは果たしたよ」 「そう」 と、納得した後、槙坂先輩はちらと切谷さんに目をやった。さすがに見逃すわけがないか。 「ところで――そちらは? 親戚の方?」 「いや、葬儀の会場で声をかけた女の子だよ。なかなかかわいいと思わないか?」 「ええ、確かに」 僕の言葉に彼女は素直に同意した。 因みに僕はというと、向かいに座る黒セーラー服の少女にテーブルの下で足を蹴っ飛ばされ、切りそろえた前髪の下にある目で睨みつけられていた。 槙坂先輩は少しばかり考え、 「『かわいい子だから声をかけた』とは言ってないわね。"かわいい"ことと"声をかけた"ことは相互に無関係。でも、藤間くんはきっと嘘は言ってない。ただ、まだ言ってないことがあるだけ。違う?」 「……」 なかなかの読解力だ。やはりこの程度では騙されてくれないか。 と、そのときだった。 「……帰る」 そう簡潔にひと言発して、切谷さんが立ち上がる。 「コーヒー代、どうしたらいい?」 「別にいいよ。僕が出す」 「そう。ありがと。じゃあ、またね。……真」 奢ってもらうことをあっさりよしとし、切谷さんは槙坂先輩の後ろを通ってテーブルを離れていった。ドアベルの音と、それと同じくらい涼やかな「ありがとうございましたー」の声が重なる。 「……」 真、ね。どういう心境の変化だろうな。多少なりとも兄と認めたけど、いきなりそう呼ぶのは恥ずかしいといったところだろうか。にしても、僕は年下から軒並み呼び捨てにされるな。 「……すいぶんと仲がいいのね」 「……」 槙坂先輩の声の温度が、わずかに下がった。……ああ、なるほど。単に火種を投げ込んでいっただけか。世の中甘くはないな。 「妹さんらしいですよ」 そこにやってきたのは店長の奥さん。 「もー、藤間くん、なかなかちゃんと説明しないから、横で聞いててはらはらしましたよ」 聞いてたのか。その横では槙坂先輩が「妹?」と目を丸くしていた。 テーブルの上から切谷さんが飲んでいたカップが片づけられ、その席に槙坂先輩が座った。 「今日はどうします?」 「じゃあ、ブレンドをいただきます」 「ブレンドひとつですね。藤間くんもおかわりはどう? サービスしますよ?」 僕のカップは切谷さんがいるうちに、とっくに空になっていた。 「では、僕ももらいます」 「はい。じゃあ、ちょっと待っててくださいね」 注文を書き留めることもなく、彼女はカウンタへと戻っていった。 「妹?」 向かい合ったところで、槙坂先輩が改めて問うてくる。 「まぁね」 「いたの?」 「たった今あなたも見ただろう? 尤も、僕も見たのは今日が初めてだけど」 尋常ならざる家庭環境のなせる業だな。 こちらの複雑な事情に思い至ったのか、ああ、と槙坂先輩は発音した。 「じゃあ、今の女の子が本当の奥さんとの子なのね」 「いや、別の愛人との子だよ」 「ちょっと待って」 しかし、唐突に制止の声。 「ごめんなさい。わけがわからないんだけど……?」 「あれ、言ってなかったっけ? 僕の父親には、正妻の他に愛人が3人いたんだ」 言ったと思ったのだが、気のせいだったが。 「お待たせしました」 さっそくコーヒーが運ばれてきた。 槙坂先輩は話を整理しているのだろう。カップがテーブルに置かれるのを黙って眺め――そして、不意に何かに気がついたように声を発した。 「あれ、このカップ、初めて見ますね」 カップ? 「あ、わかりました? この前、わたしが選んで取り寄せたんですよ」 そうなのか? 僕もさっきから同じカップで飲んでいたが、ぜんぜん気がつかなかった。もとよりカップのデザインなんて気にしたこともない。きっとカップが十角形だろうが九角形だろうが、気にはしないだろう。 「今度、気に入ったカップで飲めるサービスをはじめようと思ってるんですよ」 「すごくいいと思います」 「そうですか? じゃあ、槙坂さんのお墨付きももらったし、本気で考えてみようかな。……ゆっくりしていってくださいね」 店長の奥さんは嬉しそうに言い、弾むような足取りでテーブルを離れていった。 まずはそれぞれひと口めを口にする。 僕は2杯目だけど、やはり出されたばかりは美味しい。 「つまり、さっきのあの子は藤間くんと同じ立場の子ということ?」 そして、話が戻される。 「そういうこと」 「あなたのお父様、ずいぶんとモテる方なのね」 そう言った槙坂先輩の口調は呆れ気味。まぁ、女としては当然か。 「あれは別に財力だけってわけじゃないんだろうな。齢五十近くにしてなかなかの美男子だからね。おかげでその子どもたちも、そろいもそろって美男美女ばかりだし」 遠矢さんに、切谷さん。本妻との子の三姉妹も人並み以上に目を引く容姿をしていた。 「その中に藤間くんも含まれるわけね」 「残念ながら、僕は実に平均値寄りさ」 「謙遜するのね」 槙坂涼はわけ知り顔で微笑する。 謙遜かどうかはさておき、少なくともやり方次第では平均値付近に埋もれることができるのは、この一年で実証済みだ。 「ああ、藤間くんがそのお父様の血を引いてるかと思うと、将来がとても心配だわ」 急に演技じみた口調でそんなことを言う槙坂先輩。 「何を心配することがある?」 「周りにたくさん女の子がいるじゃない。古河さんに三枝さん、最近じゃ唯子もあなたのことを気に入ってるみたいよ」 「……」 そんなつもりはないのだがな。 「だったら、どうだろう? これを機に僕に愛想を尽かせてみては? お互い気が楽になると思うんだがな」 「大丈夫よ。ライバルが多いほうが気合いが入るもの」 「気合い、ね」 槙坂涼らしからぬ単語だな。 当の本人は、気合いとは無縁のすまし顔でコーヒーを飲んでいる。 「お休みは今日だけ?」 「ああ、明日は登校するよ。それが?」 またぞろ何か企んでるんじゃないだろうな。 「別に。なんでもないわ」 「ただ、学校で藤間くんの姿が見えないのは寂しいと思っただけ」 槙坂涼は、言葉通り本当に何でもないことのように、そうさらりと言い、コーヒーカップを口に運んだ。 「……」 何か企んでくれたほうがよっぽどよかったな。 その女、小悪魔につき――。 2013年1月31日公開 |
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