雨ノ瀬とふらふら校内を見て回っているうちに昼どきとなった。 「悪い、雨ノ瀬。そろそろクラスの手伝いに入らないといけない時間だ」 それに関してはあらかじめ彼女に伝えてあった。だいたい今くらいの時間ならひと通り見終って、雨ノ瀬も満足して帰るころだろうと踏んでいたのだが……あまりそんな雰囲気ではないな。 「残念。……あ、じゃあさ、藤間のクラスで何かおごってよ」 「それはいいけど、喫茶店だからケーキとかクッキーとかしかないぞ」 いちおう自慢の商品ではあるが、昼食にするには少々もの足りないのではないだろうか。 「大丈夫。女の子だもの。お菓子でできてるから」 「マザーグースかよ」 しかし、雨ノ瀬は僕の言ったことの意味がわからなかったのだろう、頭の上にクエスチョンマークを飛ばしながら首を傾げている。 「あるんだよ、マザーグースにそういうのが。それによると女の子は砂糖とスパイスと素敵な何かでできてるんだそうだ」 「へー、かわいいフレーズ」 因みに、男の子はカエルとカタツムリと子犬のしっぽでできてるらしい。男に恨みでもあるのだろうか。 「でも、雨ノ瀬の場合、お菓子喰って生きてるだけだろ」 中学のときも、どこからともなくチョコバーを出してきては、よく僕に勧めていた。 「うーん、否定しきれないところもあるけど、そこまで食生活テキトーじゃないつもり」 「じゃ、行くか。何かおごるよ」 「へっへー。ごちそーさまー」 さっそく僕たちはクラスの喫茶店に足を向けた。 たかが喫茶店、されど喫茶店。昼どきとあって、客はそこそこ入っていた。だが、学園祭なんかで昼食をとろうと思う学生や一般参加者はもっと重い食べものをチョイスするようで、客層は明慧の女子生徒を含めた女性客に比重が偏っていた。休憩の延長なのだろう。 適当に空いているテーブルを見つけて雨ノ瀬をそこに座らせる。ラミネート加工したメニューを手渡すと、僕は「ちょっと待ってろ」と言ってバックヤードに入った。 「遅ぇ!」 いきなり容赦ない文句を浴びせてきたのは、男ではないが少年のような容姿をした礼部紅緒さんだった。 「遅くはないだろ。交代の時間にはちゃんと間に合ってる。それに客をつれてきたんだ。文句を言われる筋合いはないよ」 「客? 槙坂さん?」 「いや、中学のときの同級生」 いかん。ついに僕から槙坂先輩がナチュラルに連想されるようになったか。いよいよ末期だな。 「藤間がつれてきた客というと、あの女の子だな」 と、口をはさんできたのは今回このクラスの出しものとして喫茶店を提案した成瀬だった。彼はフロアとバックヤードを仕切りカーテンを少し開け、向こう側を覗き見ている。 「前の彼女だったりして?」 礼部さんが面白がるように問うてきた。 「……」 「ゆえや!」 黙っているとなぜか彼女にキレられてしまった。 「言えよ、何かっ」 「あ、いや、確かに仲はよかったけど、そういうのじゃなかったよなと思ってね」 さて、挨拶もすんだので雨ノ瀬のところに戻るとするか。こんなところでひとりほっとかれても居心地が悪いだろう。 「じゃ、僕は少しあいつの相手をしてるから。いよいよ手が回らなくなってきたら手伝うよ」 「勝手なやつだなぁ」 こんなお祭りイベントなのだ、別のクラスや学外の友達が見にきたからちょっとしゃべりにいく、なんてのはよくある話で、僕だけが堂々とサボっているわけではない。礼部さんのかたちばかりの文句を聞きながらフロアに舞い戻ると、雨ノ瀬は脇目も振らずものすごい気迫でメニューを睨みつけていた。先の心配は無用だったようだ。 「雨ノ瀬、決まったか?」 「あ、うん。じゃあ、アイスコーヒーとね、クッキーのセット」 お願いします!とばかりにメニューを両手で突き出してくる。それはそこに置いとけ。 「わかった。すぐ用意する」 そして、再びバックヤードに入る僕。 「成瀬、クッキーひと皿もらうよ」 「いいけど、金は払えよ」 わかってるよ、と僕は成瀬に手を上げて応え――作り溜めというか盛りつけ溜めしてあったクッキーの皿のひとつからラップを取り外し、アイスコーヒーを添えて雨ノ瀬のもとへと運んだ。 「おおっ」 何やら感嘆の声を上げる雨ノ瀬。僕も自分のコーヒーとともに彼女の向かいに座った。 と、そのとき、スラックスのポケットに突っ込んでいた携帯電話が着信を告げてきた。メールだ。もしや学園祭中ろくに相手をしていない誰かさんだろうかと思ったが、違っていた。僕の被害妄想(?)だったようだ。 「何?」 「実行委員の業務連絡らしい」 聞いてくる雨ノ瀬に答えながら、僕はメールを開いた。 『一般参加者の中に素行のよくない人がいるとのことです。四人組。各人注意してください。目に余る行為を見かけたら、近くの先生を呼ぶこと』 (素行のよろしくない連中、ね……) こんなどこにでもある学園祭で何をするつもりなんだかな。……ま、いちおう気にしておくことにしよう。 「美味しい!」 携帯電話を閉じたところで、向かいの雨ノ瀬が歓声を上げた。見ればクッキーを口に頬張っていた。 「このクラスの自慢の品だからね」 成瀬も喜ぶことだろう。何せ彼は企画立案者であると同時に、お菓子作り班のリーダーでもある。お菓子作りが趣味なのだそうだ。 「すみませーん」 教室のどこかで店員を呼ぶ声がする。盛況のようで何よりだ。僕はようやくコーヒーに口をつけた。 「お願いしまーす」 そして、もう一度。 早く誰か行ってやれよ――と思っていると、 「藤間、頼むー」 「……」 さっそくか。ゆっくりサボらせてくれ……というのはさすがに勝手な文句か。サボりもそこそこ認められるが、忙しいときにはちゃんと手伝うのが暗黙の了解だ。緩さの中にもルールあり、である。 「悪い。ちょっと行ってくる」 なかなか落ち着かせてもらえないな。僕は立ち上がると、注文を取りにくるのを待っている客のところに向かった。 「すみません。お待たせしました」 「あ、藤間君だ。ラッキー」 明慧の女子生徒で、三年生と思しき二人組。ひとりは、背が高くて髪も長く、見るからにスタイルもいい。もうひとりは、平均的な身長ながらアスリートのような印象を受ける。髪も短めだ。名前を呼ばれるものの、こちらはまったく見知らぬ顔だった。 「ねね、今そっちのテーブルに座ってたみたいだけど、もしかして指名できたりするの? 後で話につき合ってよ」 スタイルがいいほうの女子生徒が、身を乗り出し気味にしながら下から覗き込んでくる。 「ここはそういうシステムの店じゃありませんから」 僕はホストかよ。 「えー、三年のお姉様のちょっと大人の魅力に興味ない? 私、インナーに凝るタイプで、体育の前の着替えのときなんかエロかわいいと評判なんだよー」 「あんたのは単に色気過多なだけでしょ。それにお姉様の魅力なら、藤間君は槙坂さんで十分間に合ってると思うけどね」 アスリートのような先輩が、冷めた口調で口をはさむ。 「う、それもそうか。さすがに槙坂さんには負けるわ……」 「下手すると、もう見慣れてる可能性も」 「も、もうそんな関係っ!?」 ががーん、とショックを受ける先輩。 「……」 もう当事者がいなくても勝手に話が進みそうな勢いだな。 とりあえず僕はテキトーに話を受け流し、注文をバックヤードに伝えて雨ノ瀬のところに戻る――と、どういうわけか彼女はしらーっとした表情をしていた。 そして、おもむろに口を開き、 「……藤間ってさ、年上に好かれるタイプ?」 「知るかよ、そんなこと」 自分がどの層に受けるかなんて考えたこともない。 「そのうえ本人は年上に弱いとかね」 雨ノ瀬は呆れたようにため息を吐く。 いや、その自覚はないんだがな。しかし、言われてみると心当たりがないこともない。中学のときは美沙希先輩に引っ張り回され、今は槙坂涼に振り回されている。しかも、そこそこ悪くないと思っているあたり、なかなか重症だ。 「それより雨ノ瀬、これからどうするんだ?」 僕は客観的に自分を見つめ直すことをやめ、話題を変えた。 「僕はまだしばらくここを離れられないぞ」 「んー、できれば古河先輩と合流したいと思ってる。それにあの人に藤間のことも聞いてみたいしね」 あの人とは槙坂先輩のことだろう。 「わかった。後で僕から美沙希先輩に連絡しておくよ」 因みに、大学受験を目の前にひかえた三年生は、明慧祭への参加は自由となっていて、クラスごとに参加不参加を決めることができる。槙坂先輩のクラスは例のお化け屋敷で参加している。一方、美沙希先輩のクラスは不参加だ。よって、美沙希先輩は確実につかまるだろう。そこに先ほど同様、槙坂先輩がいるとは限らない。……できればいないでほしいところだ。 程なくしてクッキーを平らげ、互いにコーヒーを飲み干すと、雨ノ瀬を廊下に待たせて僕はバックヤードの会計係のところに向かった。 飲み喰いした分の支払いを済ませてから廊下に出る。 さて雨ノ瀬はどこだ、と見回し――いた。見つけた。が、いたのはいいが、彼女はどういうわけか男数人に言い寄られていた。雨ノ瀬の顔には困惑と戸惑いの表情が浮かんでいる。上手くあしらえないのか、男どもがしつこいのか。……大昔もこういうことがあったな。 男の数は、四人。どうやら素行の悪い連中といきなり遭遇してしまったらしい。 僕はスラックスのポケットを探ると、運営本部に返さず持ったままになっていた実行委員の腕章を取り出し、腕に通しながら男たちに歩み寄った。尤も、この印籠がどの程度効果があるかは定かではないが。 まずは雨ノ瀬が僕に気づき、「あ……」と小さく発音した。 「すみません。ほかの参加者の迷惑になる行為はやめてもらえますか」 僕が声をかけると、男たちがいっせいにこちらを向いた。僕たちと同じ高校生くらいだろうか。でも、あまりガラはよろしくなさそうだった。 「藤間っ」 雨ノ瀬が小走りに駆けてきて、僕の背に隠れた。彼女に逃げられたのを見て、男のひとりが「ちっ」と舌打ちする。 「お前、俺らに何か用かよ?」 「僕はこの学園祭の実行委員のものです。ほかの方に迷惑になるようなことはやめてもらいたいのですが」 「あ? 俺たちはそっちのかわいい子にちょっと声をかけただけだろうが。実行委員っつーのは、それだけのことまで取り締まんのかよ」 うちの学園祭に何しにきたのかと思えばナンパかよ。まぁ、明慧の女の子は全体的にレベルが高いと思うが、同時にこいつらみたいなのに引っかかる子もいないだろう。 ひとりが威嚇するようにしてこっちに近づいてきて、僕の肩に手をかけようとした。やっぱりこの手のやつらはバカだ。相手の実力も測れず無防備を晒す。 僕は男の手が肩に触れる直前、その手を掴み、一気に後ろ手にひねり上げた。 「い、いててててて……」 肩が壊れる寸前までひねってから解放。男の背を突き飛ばして、お仲間に返品する。 「実行委員なんて建前に決まってるだろ。この子は僕の友達だ。怖がらせるなよ」 「て、てめえっ!?」 いきり立つ男たち。 相手は四人か。美沙希先輩なら兎も角、僕では無傷とはいかないだろうな。とは言え、仕方ない。これも学園祭実行委員の責務……ということにしておこう。 一触即発の空気。 騒ぎを聞きつけた集まってきていた生徒や学外からの参加者も、固唾を飲んで成り行きを見守っている。 「おーい、やめろやめろ」 と、そこに現れたのは、皺だらけのスラックスにワイシャツ、よれよれの白衣、ついでに無精髭と咥え煙草――が、いかにも似合いそうな我が担任教師、八頭司先生だった。 「せっかくの学園祭なんだ。乱闘騒ぎとかしてもつまらんだろうが。……お前ら、どこの学校だ? ん?」 八頭司先生は男たちに向き合う。 ちょっとした間があり、 「……ちっ。はいはい。どうもスンマセンでしたー。反省してまーす。……行こうぜ」 男たちはあっさり拳を収めたのだった。それどころか捨て台詞のように代わるがわる舌打ちして去っていってしまう。 「……」 その気持ちはわからなくもなかった。八頭司先生のやる気のなさそうな態度に気勢を削がれたわけではない。どうにもただならない雰囲気があったのだ、この先生に。僕もそれを感じてしまった。 「ほら、お前たちも行った行った。見世ものは終わりだ」 その八頭司先生は周りの生徒たちを散らすと、僕へと向き直った。 「藤間、お前ってけっこう喧嘩っ早いのな」 「そういうつもりはありませんよ。これも実行委員の務めです。ライフセーバーだって海水浴場にサメが出たら戦うでしょう」 「戦わねーよ」 苦笑する八頭司先生。 「ところで、先生は何か格闘技でも?」 「ああ、通信教育でジークンドーをちょっとな」 「……」 またベタなネタを。 こうやって韜晦されると、けっこうイラッとくるな。……やめた。何だか狐と狸の化かし合いみたいになってきた。八頭司先生については後で美沙希先輩に意見を聞こう。 「お前も実行委員だからって厄介ごとに首を突っ込まず、学園祭を楽しめよ」 と、そこで僕の後ろにいる雨ノ瀬をちらと見て、 「ま、言うまでもなさそうだがな。……槙坂に刺されるなよ」 「よけいなお世話です」 僕がむっとして言い返せば、八頭司先生はやれやれとばかり肩をすくめて去っていった。……やれやれはこっちだ。 「雨ノ瀬、大丈夫か?」 「あ、うん。大丈夫」 「ならよかった。すぐに美沙希先輩と連絡をとるよ。後はあの人にひっついてればいい」 僕はさっそく美沙希先輩に電話をし、待ち合わせ場所を決めると(もちろん方向音痴の雨ノ瀬のために、この上なくわかりやすい場所にした)、雨ノ瀬をそこに向かわせた。 「これでよし、と。……ん?」 雨ノ瀬の背を見送っている僕の携帯電話に、メールの着信があった。開けてみれば槙坂先輩からだった。 『藤間くんは時間が空いたら、わたしに連絡すること。わたしは今日はずっとあいているから』 どうやら美沙希先輩のそばにはまだ槙坂先輩がいたようだ。 クラスの手伝いが終わったら、次に実行委員の仕事に入るまで時間があるし、そのときに連絡を入れるとしようか。 その女、小悪魔につき――。 2015年9月19日公開 |
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