槙坂さん、赤裸々(レッドカード)ガールズトーク(前編)
 
 藤間くんと並んで駅まで歩く。
 終始無言。
「じゃあ、僕はここで」
 駅に着き、ようやく藤間くんが沈黙を破った。
「じゃあね」
 わたしがそう応えると、彼は困ったような笑みを見せてから、改札口の向こうへと消えていった。
 藤間くんが見えなくなるまで見送り、わたしは帰路へとついた。
 自宅の私室で、机の上の鏡で自分の顔を写してみれば、意外にもいつも通りだった。
 いつも通り。
 キスをしたにも拘らず。
 そう、わたしは藤間くんとキスをした。
 初めてのキス。
 それはただ唇を重ねるだけの幼いもので、ほのかにコーヒーの味と薫りがした。
 藤間くんはわたしが初めて、いいな、と思った男の子。カッコよくて知的で――何より、わたしから逃げようとする。そんな子は初めてだ。だから気になって仕方がない。好きだと言い換えてもいい。
 つまり好きな男の子とキスをした。
 それなのにわたしはいつも通り。
 これがただの通過点だから?
 彼がわたしを好きなことはわかっていたから?
 どちらにせよ何にせよ、わたしは普段通りに振る舞えている。ある意味『槙坂涼』らしくはある。
 きっとわたしたちは、今日を境に何かが大きく変わるわけではなく、キスをしたという事実を胸の中で大切にし、お互いを昨日より少しだけ特別な存在だと意識する。その程度だろう。
 その程度だけど素敵なことだと思う。
 彼のことを思い出して微笑めば、鏡にはいつもより嬉しそうな自分が映った。
 結局、この後わたしは、毎日そうしているように、シャワーで今日の汗を流し、食事をし、明日の授業の予習をして、もう一度お風呂に入ってから眠りについた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 そのつもりだった。
「あれ……?」
 暗闇の中でぱちりと目を開ける。
 ぜんぜん寝つけなかった。
 急に藤間くんのことが頭の中を巡り出したのだ。
 なぜ今ごろ?
 どうにかしようと思ってタオルケットを頭からかぶってみたけど、やっぱりどうにもならなかった。
「ど、どうしよう……? キス、しちゃった……」
 唇を指先でなぞってみれば、さらに生々しく記憶が蘇ってくる。
 こちらを見つめてくる右だけかすかに鳶色をした瞳、わたしの肩に添えられた手、重ねられる唇とその感触。そして、彼はわたしを優しく押し倒し、さっきまでキスをしていたその口で「涼……」と――、
「いきなり名前を呼ぶなんてズルい……って、違うわ。途中から単なる妄想でしかないわ……」
 明らかに記憶と妄想が錯綜していた。
 かぶったタオルケットを跳ね除け、無心になろうと今度は枕に顔を埋めてみる、
「……」
 が、
(キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった、キスしちゃった……)
 要するにわたしは、ずっと現実感を欠いていて、今ごろそれを取り戻したのだろう。ぜんぜん無心になれず、うっかり窒息しそうになっただけだった。
 わたしは右へ左へ寝返りを繰り返す。
 というか、息が上がるほどどったんばったんしているこれは、正しくはのた打ち回っているとか悶えているとか、そういう運動ではないだろうか。両親の寝室と離れていてよかったと思う。このあと特に。
 結局、駆け巡る妄想のせいで騒ぐ体をどうにか静め、疲れとようやくやってきた睡魔に負けるかたちで眠りについたのは、窓の外の空が白みはじめたころだった。……睡眠時間は正味2時間。
 起きて鏡で自分の顔を見てみれば、目の下にうっすらクマができていた。
「ひどい顔ね。こんなので藤間くんに会うつもり?」
 苦笑しながら自分に問いかける。まぁ、これくらいなら化粧で誤魔化せそうだけど。
 と、そこでわたしは動きを止めた。
 藤間くんと、会う……?
 ……。
 ……。
 ……。
 わたしは唐突に崩れ落ち、ベッドの上に突っ伏した。
「ど、どんな顔をして会えばいいの……?」
 昨日キスをしたばかりで。
 ちょっと強引にリードされて、彼に言われるままに……いや、これは違うけど。
「わたし、こんな調子で藤間くんに会って大丈夫かしら……?」
 
 
 
その女、小悪魔につき――。
 
 2013年6月26日公開

 


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