最終話 03-冬(3)「いつかわたしのことを好きだと言わせますから」 駐車場は開けた場所のせいか、寒かった。 南雲さんの車のドアはロックされていないから、入ろうと思えば入ることができる。彼も中で待たせるつもりだったはずだ。だけど、それで暖かくなるかというと、それはまた別問題のような気がしてならない。 わたしはあいた駐車スペースの車止めに腰を下ろした。 見上げれば冬の空が広がっている。陽射しはかすかに温度をもっているようだった。 「こんなはずじゃなかったのになぁ……」 ため息混じりにつぶやいてみる。 善は急げ、思い立ったが吉日とばかりに家を飛び出し、東京から遥々やってきて、その勢いのまま南雲さんに告白したら、断られるどころかあっさり受け入れられてしまった。本来なら喜ぶべきところなのだろうけど、なぜだか素直に喜ぶことができなかった。 何かが違っていた。 『歪み』。 これも南雲さんの『歪み』の一端なのだろう。 なら、わたしはこれを解き明かしてみせようと思う。彼という人間をもっとよく知るためにも。 南雲さんは10分で戻ると言った。タイムリミットは10分。いや、余裕をもたせて言っただけで、もっと早く戻ってくるかもしれない。兎に角、南雲さんがここに帰ってきたときが、ガウント・ゼロだ。 ――ゼロ。 南雲さんとのことを振り返ってみる。 思い返せば出会いはかれこれ3年近く前。お友達のつき合いでドリームフラグメントに参加したという彼は、同人誌即売会などという場所にはそぐわない人だった。同人なんかにはまったく縁がなさそうな人。それなのに会場にきたらきたで、それなりに楽しんでいるふうだった。 いつ会っても短い挨拶だけで、別れるときもやっぱりひと言の挨拶でいきなり消えていなくなる。つき合いが悪いのかと思えば、そういうわけでもなく。食事に誘ったら拍子抜けするほどあっさりオーケーしてくれたり。でも、日が変われば取りつく島もないくらい冷たく断られたりもした。 そんなとらえどころのない彼に呆れつつも、そこには確かに魅力があって、わたしは少しずつ惹かれていった。 果たして南雲さんの方はわたしのことをどう思っているのだろう――と考えたところではっと気づく。 「そっか……」 先ほどの彼とのやり取り、何かおかしいと思っていた。大きな違和感があった。が、今さらながらようやくその正体に思い至った。つまりそれは、彼の意志がまったくなかったからだ。 わたしのことをどう思っているか。 わたしの告白をどう受け止めたか。 そういった反応を南雲さんは一切見せなかった。ただ快く首を縦に振っただけ。 「……」 あぁ、わかったような気がする。 それにさえ気がついてしまえば、ちぐはぐに見える南雲さんの態度も辻褄が合う。たぶん彼はそういう人なのだろう。 「お待たせしました」 思わず飛び上がりそうなほど驚いた。 南雲さんが向かった方に背を向けて座っていたせいで、彼が帰ってきたことに気がつかなかった。こんなことなら反対を向いて座ればよかった。 「ところでこれからどうしましょうか。優希さん、どこか行きたいところはありますか」 「そうですね……」 「先ほどの話の続きも、車の中でしましょうか」 「……」 ちょっと顔が熱くなった。 それは兎も角、ひとつ試してみようと思う。 「じゃあ、南雲さんのオススメの場所かお店に連れて行ってください」 「そういうのは苦手なのですが、まぁ、努力してみましょう」 「あと、実は考えなしに飛び出してきたので、今晩の宿がなくて、その……できたら泊めてくれませんか?」 本気ではないと言え、さすがにこんな大胆なことを言うのは恥ずかしかった。ドン引きされたらどうしようかと心配になる。 でも、予想通りなら――。 「それは……」 南雲さんは腕を組み、左手を顎に当てて、少し困った様子を見せた。 「まぁ、姉に頼めば何とかなると思いますが」 「確か詮索好きのお姉さんとか言ってましたけど、大丈夫なんですか?」 「仕方ありません」 「……」 わたしはじっと南雲さんを見る。彼は見られていることにも特に動じたふうもなく、ただ黙ってわたしの次の言葉を待っていた。たぶんこういうところも南雲さんの欠落のひとつなのだろう。 やがてわたしはおもむろに切り出す。 「南雲さんって人づき合いができない人なんですね」 直後、彼はかすかに驚いた素振りを見せた。 「……そうですか? 俺はそのつもりはないのですが」 「はい。でも、確かにそうです。ドリフラのたびに会ってくれてるし、次もわたしに会いにきてくれると約束してくれました。一緒に食事もしたりしましたし、それに……」 わたしの告白も受け入れてくれた。 「だけど、それぜんぶ受け身なんです」 「……」 「南雲さんの人とのつき合いって、すごく受動的なんですよね」 だから、自分から声をかけない。 だから、きて欲しいと頼めばきてくれる。 だから、誘えば約束がない限り応じてくれる。 「自分をゼロだと考えてるんじゃないですか? 自分をゼロとしてまったく計算に入れていないように、わたしには見えました」 だから、いきなりあっさり帰ってしまう。 だから、知った顔を見ても素通りできてしまう。 だから、……。 「自分の意志がなくて、あらゆる行動が人任せなんです」 もしかしたら自分の存在意義の決定すら他人に委ねているのかもしれない。 それが南雲さんの『歪み』だ。 「ゼロ、というのは面白い表現ですね」 南雲さんは車に乗ろうとしていた動きを止め、わたしに向き直った。まるで決定的な証拠を突きつけられて観念したかのようだった。 「自分をゼロとまで思ったことはありませんよ。あなたの表現を借りるなら『小さい数字』といったところですね」 「小さい数字?」 「無視できるほど影響の少ないパラメータ。考慮する必要のない小さい値」 彼はいつもの自嘲的な笑みを浮かべた。 「例えば、人間自身が持つ引力なんかですね。質量が小さすぎて発生する引力はあってなきが如し。俺もそれと同じ。いていないようなものです」 「わかりません。どうしてそんなふうに思うんですか?」 「さぁ? 俺としてはそのつもりはないのですが、人格形成の過程で何か問題があったのかもしれません。どうしても自分がどうでもいい人間だとしか思えない」 まるで他人ごとのような語り方だった。 「たぶん俺は自分が嫌いなんでしょうね。自分ですら嫌いな自分に、他人が好意を持ってくれるとは思えない。だから見えないつながりみたいなものを素直に信じることができない」 淡々と自分を分析していく。 今までの南雲さんを思い返してみて納得ができた。確かに彼は、普通なら当たり前のように声をかける場面でも、幾度となく素通りしようとしていた。彼にとって少し話をした程度の関係など、半年も経てば白紙に戻ってしまうのだろう。いや、それどころか翌日にはリセットされているのかもしれない。 「わ、わたしは、南雲さんのことが好きですっ」 そんな彼を見て、わたしはたまらず堰を切ったように言葉を紡いでいた。 「それに南雲さんは小さい数字なんかじゃないと思います。だって、わたしは南雲さんに会うためにここまできたんですから。それってすごい引力じゃないでしょうか」 思わず拳を握りしめて力説しているけど、自分でも何を言っているかよくわからない。そして、案の定、南雲さんは苦笑していた。 「あなたは面白い人だ」 「す、すみません……」 時々見境がなくなるもので。 「本当に俺みたいなのでもいいんですか?」 「え? あ、はいっ」 わたしは力いっぱいうなずいた。 「南雲さん。わたし、今はダメでも、いつか南雲さんにわたしのことを好きだと言わせますから」 何ごとにも受動的な彼に、自分の意志で自分の気持ちを言わせること。それがわたしの目標だ。 「さて、それは――」 南雲さんは顎に拳をあて、考えるポーズを見せた。 「やっぱり難しいですか?」 「いえ、むしろ意外に早いような気がしますね」 「ぇ?」 きょとんとするわたし。えぇと、それはつまり……? ああ、なんだか頭がうまく回らない……! 南雲さんはポケットから銀鎖の懐中時計を取り出し、その文字盤を見た。 「じゃあ、そろそろ行きましょうか」 「あ、はい。……って、え? でもその、今の……」 だけど、戸惑うわたしにかまわず、南雲さんは車に乗り込んでしまった。 「ああっ、もう、南雲さんったら……!」 これからわたしたちのおつき合いというものがはじまるのだけど、離れた距離は南雲さんにはちょうどいいだろう。 わたしは毎日メールや電話をしようと思う。 離れていてもこんなにもあなたのことが好きです、と南雲さんにわかってもらうために。 でも、たまには忙しいときもあって、突然ぱったりと連絡を取らなくなるかもしれない。そうなったら南雲さんは、恋人だとかおつき合いだとか、そういう目に見えないつながりはやっぱり信じられないと思うのだろう。 それでもわたしは慌てず騒がず、例え一週間、例え一ヶ月、間があいたとしても、いつも通りの声を聞かせるつもりだ。わたしたちの間には確かな結びつきがあるのだと彼に示すために。 だって、わたしはいつだって南雲さんの引力につかまっているのだから。 Hide'N Seek −了− 2009年5月21日公開 |
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