まぁ、なんだ……2周目突入? ふりだしに戻る?
 それとも千秋那智という人間が猫になった夢を見ているのではなく、実は猫が千秋那智という人間になった夢を見ているのだろうか。つまり、今の姿が現実という。
 この辺りは子どもの頃の「死んだらどうなるの?」という疑問と同じで、証明もできないし考え出すときりがないので、さっさと旅に出ようと思う。なんとしてももとの姿に戻らないといけないという至上命題は、依然、僕に突きつけられているのだから。
 うんにゃ、とドアに飛びつく。猫の手でノブをこねこね、体をふりふりしてドアを開け、部屋から出る。ドア開けの技も慣れたものだ。
 廊下を通って、これまた慣れた調子で階段を下りる。今度はラスト5段目を転げ落ちたけど。うぎゅ。
 家の外に出た。さて、どこに行こうか。
 
 
Simple Life
  お正月特別SS 「なっちの“変身” れっつごー2周目」
 
 
 この姿で歩いていると思う――それにしても猫って、いつも危険と隣りあわせだよなぁ。特に車が横を通り過ぎると怖い。戦車みたいに巨大に見えるし、向こうからはこんな小さな生きものなんて見えていないんじゃないだろうか。
 ほら、また一台、猛スピードで走っていった。ひえぇ。
 と思ったら、その車は急ブレーキをかけて、少し先に止まった。外車だ。左側のドアを開けて、運転手が下りてくる。
「よう、俺の息子」
 なんだ、酔っ払いか。正月だからって猫と人間の区別がつかなくなるまで飲んでんじゃねぇよ。
 こういう輩は無視するに限る。僕はその男の横を何食わぬ顔で通り過ぎた――が、ひとつ思いついて、やおら立ち上がると、
 ぎっち
 と車の横に両手で爪を立ててやった。
「あ゛ーっ」
 不良中年の口から悲壮な叫び声が上がった。
 
 これまでの経験から、知り合いのところに行くとひどい目に遭う気がして、ひとまず知らないところにきてみた。……そんなところに手がかりがあるのか疑問だけど。
 しかし、立派なエントランスのある、ちょっと高級そうな5階建てのマンションの前に差しかかったとき、見たことのある顔と出くわした。全体に細身ながらメリハリのある、スタイル抜群の美人さん。確か周君と一緒にいたお姉さんで、名前は月子さんといったと思う。
 月子さんはデニムにセーターにコートといったラフな格好にも拘わらず大人っぽい雰囲気があり、どうやら誰かを待っている様子だった。
「おや、猫ですか」
 月子さんが僕に気づいた。
『こんにちは』
 と、猫なりに居住まいを正して挨拶をしたところで、この呪われた身では「にゃー」にしかならないが。
 膝を曲げてしゃがみ、僕の頭を撫でる月子さん。年上の女の人にこういうことをされると、気持ち的にかなりくすぐったいものがあるな。
「逃げませんね。なら、これならどうでしょう」
 今度は喉をさすられる。ゴロゴロ。これはマズい。こうあちこちでやられると癖になりそうだ。
「悪い。待たせた」
 そこにマンションのエントランスから、周君が出てきた。
 彼は、少しわけてほしいくらい背が高く、長めの前髪の下にある目は切れ長で、よくみれば育ちのよさそうな整った容姿をしている。
「なに、猫?」
「……周様」
 サマ?
「ぜひこの猫を飼いましょう」
 ぎょ!?
「唐突に何を言い出すんだ」
「この猫、私を見ても威嚇しないし、逃げたりもしないのです」
 冷静な口調の中に興奮が見え隠れする。
「あー、月子さんって、なんでか猫に嫌われるもんな。そりゃ貴重だ」
 周君は頭を掻きながら苦笑する。
 いるな、そういう人。猫が好きなのに、なぜか猫からは理由もなく嫌われる人。月子さんもそのタイプか。
「これはぜひうちで飼うべきかと」
「それとこれとは話が別。マンションじゃむりだっつーの」
「これは運命の出会いです」
「知るか、そんな安い運命」
「そこを何とか」
「むちゃ言うな」
「……」
 むっとする月子さん。
「……」
「……」
 ついにはふたりの間に言葉がなくなって、
「……シュウのケチ」
 月子さんがぼそっとひと言。
 思わず固まる周君。
 彼は何か言い返そうとしていたみたいだったけど、しかし、そこはぐっと耐え、言葉を飲み込んだ。長く息を吐いてクールダウン。
「よし、わかった。そんなにその猫が好きなら勝手にしろ。初詣もその猫と一緒に行きゃあいい。俺はひとりで行くからな」
 踵を返し、歩調も荒く先に行ってしまった。
 置いていかれた月子さんは、しばらく彼の背中を見送っていたが、やがてくるりとこちらに向き直った。きっぱりとした口調で逡巡なく言う。
「どうやら私たちの運命の出会いもここまでのようです」
 早っ。
「悲しいですが、ここでお別れです。縁があったらまた会いましょう」
 そう言うと月子さんは、周君を追って走っていった。
 いったいどこまで本気なんだろうな。
 
 2階建てのマンションの前。
 そこに、クッキングペーパーの上にビスケットが2枚、置かれていた。
『……』
 なんだろう、これは。
 そばにちょんと座り、見下ろしながら思わず考え込んでしまう。罠だろうか。
 と、首をひねっていたら――、
「確保ー」
『ええーっ』
 いきなり陰から女の子が出てきて、掴み上げられてしまった。
「あれ? いつもと違う子?」
 その女の子は僕を抱え直し、目線の高さまで持ち上げた。
 目が合う。
 はっとするような美少女だった。ひかえめな感じながら華やかさがあって、何よりもグラデーションがかかったような濃淡のあるブラウンの髪が印象的だ。
「ま、いっか」
「よくありません」
 ところがそこに今度は男の子が現れて、彼女の後ろ頭を軽くチョップした。
 目が半開きの眠そうな感じの男の子。しかし、そんな全体の雰囲気にカムフラージュされてわかりにくいが、意外に目の光は鋭い。どこか曲者っぽい感じ。
「食べもので釣って猫を誘拐しようとするんじゃありません」
「えー、いいじゃない。……ねぇ?」
 って、僕に聞かれても困る。というか、拉致られるわけにはいかないので、本当に回答を求められているなら返事はひとつしかない。
「ほら、下ろしてあげなさい」
「むー……」
 女の子はしぶしぶ僕を地面に下ろした。
「君もとんだ災難でしたね。お詫びにこれをあげましょう」
 男の子のほうはたぶんまっとうな神経の持ち主らしく、僕に先のビスケットをくれた。あぐ、と口で受け取る。
「ほら、行きますよ」
 彼は女の子を促し、歩き出した。
「将来、結婚したら絶対猫を飼うべきだと思う」
「そういうのはその相手と相談してください」
「だからしてるじゃない」
 なんかすごい会話だなぁ。いわゆる『結婚を前提におつき合い』というやつだろうか。僕は感心しつつ、もらったビスケットをはぐはぐ食べながら、ふたりを見送った。
 
 それにしても、まさか2回も連れ去られかけるとは思わなかったな。このままではもとの姿に戻る前に、誰かに飼われてしまうかもしれない。やはり知らないところに行くべきではないな。
 そう思って地元に帰ってきた。
『……』
 そのはずだったのだけど、どうも似て非なる場所にきてしまったようだ。うちの近所だと思うのだけど、ところどころ微妙に違っている。さっきたまたま開いていた塀の穴を通った辺りからおかしくなった気がする。
 知らない土地どころか、まるで知らない世界にきてしまった――そんな異邦人。
 なんだろう、この感覚は。
 そこに正面から小柄な人影が走ってきて、横を駆け抜けていった。
 僕はどことなく気になるものを感じて、その姿を目で追うようにして振り返った。すると相手も少し遅れて足を止めて、こちらを見た。
「……」
『……』
 視線が交わる。
 その人物をなんと表現したらいいのだろう。年は人間の僕と同じくらいか。広い意味での、少年。男の子のようにも見えるし、女の子のようにも見える。
「にゃあ?」
 と鳴いたのは、僕ではなくその子のほう。
「どこかで会ったことのある猫なのです」
 猫好きなら誰もがするように、僕の頭と背を撫でてくる。
 どこかで会ったようなとその子は言うけど、僕には覚えがない。だけど、他人のような気がしないのも確かだ。
「む。なんだ、静くん。遅いと思ったら、こんなところで道草を喰っていたのか」
「あ、菫さん」
 横から声をかけられ、その子が応じる。
 寄ってきたのは、先ほどの張りのある声に相応しい、意志の強そうな面立ちの凛々しい少女だった。どうやら名を菫さんというらしい。そして、今僕を撫でているのが静くんか。
「ん、猫かい?」
 すると静くんは僕を抱えて立ち上がり、菫さんに差し出した。
「父さんです」
「頭でも打ったのか、君は」
 菫さんの容赦ないツッコミ。
「それに小父さんはどちらかと言えば犬じゃないか」
 なんか僕と似たようなことを言われているな、静くんのお父さんは。
 僕は静くんに脇を抱えられ、みよーん、と伸びながら、菫さんをじっと見た。ううむ、彼女、誰かに似ている気がする。
「ほら、初詣に行くんじゃなかったのかい? 君がなかなかこないから迎えにきたんだぞ」
「あ、そうでした」
 静くんは僕を下ろした。
「まったく。犬猫の類は静くんで間に合ってるよ」
「ぶー。なんですかそれー」
 菫さんがすたすたと先を歩き、その後ろをまるでカルガモの子どものようについていく静くん。こうして奇妙な二人組は去っていった。なごなご。
 それは兎も角、
 地元に帰ってきたつもりが見知らぬ場所にいて、そのくせそこで会った人間には既視感を覚えるという……。さてさて、ここに長居するのはよくない気がするな。ここはひとまずあの塀の穴を通って、きた道を戻るとするか。
 
 で、
 そうやって戻ってきたのは、なぜか司先輩の家の前だった。
「あら、猫?」
 ぎっくー。
 僕は毛を逆立てて、跳び上がらんばかりに驚いた。なんか嫌だぞ。マズいぞ。よくわからないけど、この展開は危険な気がするぞ。
 僕はこの場から逃げ出すべく、方向転換をした。
「おっし。捕まえたっ」
 が、そこをひょいと掴み上げられる。円先輩だ。
「ん? こいつ、ちょっと体が冷たいわね」
 い、いや、そんなことはないです、よ?
「ほい、司。パス」
 なぬ?
 次の瞬間、僕の体はふわりと浮き上がり――ぽす、と司先輩の腕の中におさまった。
「あら、ほんとね。じゃあ、お風呂に入りましょうか」
『ぎゃあ!』
 なんか話が飛んだっ。おかしいから! その話の進め方は絶対におかしいから!
 しかし、僕の叫びは意味不明な「な゛ー、な゛ー」といった猫語にしかならず――そうして僕は司先輩の手によってバスルームに連れていかれ……、
 ……………………。
 ………………。
 …………。
 ……。
「うわあああぁぁぁ!!!」
 そこでようやく目が覚めた。
「夢か……」
 多重構造とは、正月から凝った夢を見たものだ。しかも、これが初夢だって? 質の悪い冗談だ。
 僕は気を取り直して、うーん、と体を伸ばしてから、ベッドを飛び降りた。華麗に4本の足で着地する。
 ……。
 ……。
 ……。
 あー、またこうなるわけね……。
 思わず口から諦観のため息が漏れる。
 もう知らん。
 僕はふて寝することにした。まるまるっと。
 
 
2010年1月14日公開
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
コメントへのお返事は、後日、日記にて。