「例えばさ――」
 そう言って僕は話を切り出した。相手は後ろの席でいつものように文庫本を読んでいる遠
矢一夜(とおや・いちや)だ。
「一夜が朝、家を出た後で本を持ってくるのを忘れてるのに気づいたらどうするの?」
「……どうもせん。なくても困れへんしな」
 意外と普通の答えだった。ちょっと拍子抜け。
「なにがっかりしとんねん。俺が活字見んと死ぬ思うとったんか?」
「いや、そんなことは思ってないけどね。それに近いことは起こるんじゃないかなって」
「……アホ」
 
 
Simple Life
 第三話 約束?
 
 
 片瀬先輩に関する情報――
・片瀬司(かたせ・つかさ)
・17歳/聖嶺学園高校3年 美術科
・容姿端麗(学園一の美少女と専らの噂)
・性格は明るく社交的。そのため大袈裟な人は『学園のアイドル』と称したりする(素敵な
センスだ)
・特定の男子と付き合っている様子なし。過去、何度かそういった噂が流れたが事実だった
試しはない。
・言い寄ってくる男子生徒は後を絶たないが、ことごとく断っている模様(巷ではこれを『玉
砕イベント』と呼称している)
・また定期的に他校から何か勘違いしたイケメン色男が「墜としてやるぜ」と自信満々でやっ
てくるが、全て返り討ちにあっている(この場合は『撃墜イベント』と呼ばれるらしい)
・ついに先日の犠牲者をもって近辺の学校を全て網羅したため『撃墜王(エース)』の称号
が与えられたとのこと(誰だよ、与えたのは)
 
 昼休みまでに一年の数人に聞いただけでもこれだけ集まったのだから、どれだけ先輩が注
目されているかがよくわかる。
「三年にも聞いてみ? もうちょい詳しい武勇伝が聞けるわ」
 一夜はまたいつも通り本から顔も上げずに答えた。素っ気ない口調の関西弁。だからと言っ
て話すのが鬱陶しいわけではなく、話しかければちゃんと返事が返ってくる。そして、今は
いつも以上にウルトラCだ。本を読みながら僕と話し、さらには弁当を食べているのだから。
「いや、そこまではいいや。……唐揚げ頂戴」
「甘えんな」
 一夜の弁当箱に美味しそうな唐揚げを見つけたので箸を延ばしたら、同じく箸で防がれて
しまった。何で本を見ながらそんなことができるのだろう?
「何や、那智、先輩のこと気になってんかいな?」
「男として当然だと思わないか?」
「なるほど。そういう回答できたか」
 はぐらかしたつもりが一夜には通用しなかったようだ。ただ、これ以上追求してこない辺
りとてもありがたい。
 正直、片瀬先輩のことは気になっている。前は遠くから見ていただけで満足していたけど、
先日、直で話してから今まで以上に憧れを強くした自分がいる。まあ、結局は憧れの域を出
ないのだけど。
「あ、いたいた。千秋発見」
 突然自分の名前を呼ばれ、僕の思考と食事は中断された。声のした方を見ると、教室の机
の間を抜けてひとりの女の子がこちらに向かってきていた。
 宮里晶(みやさと・あきら)――
 ショートカットの髪から快活な印象を受ける。実際、僕から見たら呆れるほどアクティブ
な奴だ。
「どうした、サトちゃん……ふぎゃっ」
 額にチョップが飛んできた。
「私、そんな薬屋のゾウみたいな渾名を持った覚えはないわ。……やり直し」
「どうした、宮里。僕に何か用?」
「そう、そうなのよ」
 僕もたいがい白々しいが、こいつもいい根性していると思う。
「隣のクラスから3on3の挑戦状、叩きつけられたのよ」
「ほー、そりゃあ大変だね。いつ? 後で応援に行くよ」
「なに言ってんの? 千秋も来るの」
 何をぬかしますかね、この人は。
「嫌だよ。また体育科なんて言うんだろ?」
 以前、同じようなことがあって助っ人に行ったら、相手が体育科の連中でえらい目に遭っ
た覚えがある。筋トレが趣味で、時間があったら身体を動かしているような連中に勝てるわ
けがなく、当然、そのゲームは見事に惨敗した。
「大丈夫。今日は普通科だから」
「人数揃わなかったって断ったら?」
「冗談じゃないわ。そんなことできますかっての」
 だろうね。負けず嫌いの宮里が敵前逃亡なんて選ぶはずがない。
「それに相手のうちふたりがバスケ経験者なのよ。ここは我がクラスのタブセと呼ばれた千
秋の……きゃあっ」
 デコピンかましてやった。
「僕もそんな恐れ多い渾名を持った覚えはない」
「洒落の通じんやっちゃ。……とにかく助っ人お願い」
「まあ、いいけどね」
 何か断り切れそうにないし。
「で、もうひとりは?」
「まだ。誰にしよう?」
 まるっきり他力本願じゃん。
「向こうは男子ふたり、女子ひとりのメンバーだから、こっちももうひとりは男子がいいわ」
「一夜……」
「断る」
 ひと言だった。
「仕方ない。誰かテキトーに捕まえよう」
 弁当箱を閉めて片づけると、僕らは第二体育館へと向かった。後ろからはなぜか知らない
が、一夜がしっかりとついてきていた。
 
 バスケットボール部が使う第二体育館はゴールが八つある。長方形をした体育館の長辺に
三つずつ、短辺にひとつずつで、計八つ。昼休みには解放されていて、専ら3on3が主流だ。
オールコートで試合をするとふたつ占拠するので嫌われたり、それ以前にメンバーが十人必
要だからなかなか集まらなかったり、そういった理由に寄るところが大きい。
 昼休みの体育館にはけっこう人が集まっている。コートにプレイヤー、周りに交替待ちや
野次馬。隅で友達同士ただ喋っているだけの生徒もいる。
 待っていた問題の相手チームは百八十センチ前後の男子がふたり、百六十センチくらい
の女子がひとりという構成だ。
「あっちは背が高いね」
「頑張って大きくなりなさいな」
「………」
 クラスメイトは無理難題をおっしゃる。
 こっちは自称百六十(本当は百五十九)センチの僕と百六十五くらいの宮里に、もうひと
りは百七十五あって中学時代運動部に所属していたクラスメイトを連れてきた。それでも平
均身長で負けている。救いは僕も宮里もバスケ部に所属していたことか(宮里に至っては何
と主将だ)。
 と、そこで体育館の壁際に片瀬先輩の姿を見つけた。
 コートの方を見ている様子はなく、何人かのクラスメイトと話しているのを見る限り、ど
うやらお喋り組のようだ。
「男なんて不潔よーっ」
 いきなり宮里に蹴られた。
「何だよっ。ちょっと見ただけじゃん」
「はいはい。わかったからさっさとコートに入る。綺麗なお姉様の気を惹きたかったらプレー
でがんばりなさい」
 ああ、なるほどね。みんな心なしか張り切ってると思ったら、さり気なくアピールしてい
るわけね。でも、悲しいかな、片瀬先輩は友達との話に夢中になっていてコートの方は見て
いない。単純にお喋りの場をここに選んだだけなのだろう。
「じゃあ、はじめようか」
 そして、僕はコートに入った。
 
 ゲームがはじまった。
 ポジションの関係上マンツーマンマークをしたとき、僕は敵チーム唯一の女の子とマッチ
アップすることになる。そこでひとつ気づいた。
(バスケ経験者ふたりのうちのひとりって、この子だったのか)
 ディフェンス時、迂闊なパスを出せばカットできる、且つ、隙があればスチールもできる
絶妙な距離に位置に立ってプレッシャをかけてくる。まぎれもなく経験者だ。
「ま、いいけどね」
 隙をついてマークを振り切った宮里にクイックでパスを出す。すぐさま駆け出してボール
を返してもらい、ドリブルでゴールを目指す。追ってきた女の子をクロスオーバーで抜き去
り、切り込んでシュートを撃つ。だが、ここで僕の動きを読んでいたように最後のディフェ
ンダーがチェックに入ってきていた。百八十の長身が僕の行く手を阻む。
(もうひとりはこいつか)
 すでに跳んでしまっている以上、かわす手段はひとつしかない。シュートしかけていたボー
ルを戻し、ディフェンダーの腕をかいくぐって再びシュートを放つ。ダブルクラッチだ。少々
体勢は崩れたが、幸いにして何とかリングに収まった。
 なのに――、
「アホー。あんたはパワーフォワードかっ? ガードのくせに隙があったら切り込むんかっ?」
 文句言われました。
 宮里さん、貴女はダブルクラッチという高等技術を出した上、ちゃんとゴールを決めた僕
に何の不満があると?
 実は中学の部活の時も、無茶な切り込みをやってセンターに潰されていた。顧問の先生に
も宮里と同じようなことを言われていたので耳が痛い。
 その後も終始こんな感じだった。
「アホかー、自分のサイズ考えて勝負せーい」
「あんたはじっくり攻めるということを知らんのかっ」
 新発見。宮里は一夜の影響で興奮すると中途半端な関西弁が飛び出すようだ。
 それは兎も角、ゲームの方はというと、中学時代に僕がシューティングガード、宮里がパ
ワーフォワードだったこともあって攻撃的なチームとなり、平均身長で劣りながらもいい勝
負をしていた(当然、リング下ではてんでダメだけど)。
 そんな中、僕の視界に妙な場面が飛び込んできた―― 一夜が女生徒と話していたのだ。一
夜はいつものように本を読みながらなので、女生徒の方が一方的に話しているようにも見え
る。女生徒は制服の着慣れた様子や落ち着いた雰囲気から、上級生のように思えた。
(逆ナンパ?)
 真っ先に思いついたのがそれだった。一夜は一見して知的美少年なのでそういうことがあっ
てもおかしくはない。まあ、体育館で本を読んでる姿は浮きまくっていて絶対におかしいけ
ど。一夜が女生徒に声をかけられている場面はそれほど珍しいものでもないし、誰が相手で
あろうと平等に素っ気なく対応する。なのに、今回ばかりは僅かに不機嫌な顔をしているのだ。
(珍しいな)
 と、一瞬でも意識が一夜の方に向いたのが悪かった。
 何せ今はゲーム中――
「千秋ー、ボールいったよー」
「へ? ……ふぎゅるっ」
 迂闊。
 バスケットボールが顔面を直撃した。それでもルーズボールを取りに走った根性は認めて
欲しい。ただ、このとき、僕は慌てすぎてもうひとつ失態をやらかしたのだけど。
 これは遊びとは言え試合形式の勝負。一旦コートに入ってゲームが始まればプレイヤーは
真剣だ。ルーズボールは敵も追いかける。そして、この場合は僕と相手チームの紅一点。僕
は間抜けなミスを取り戻そうと視野が狭くなっていた。
 結果、僕らは衝突し、絡まるようにして転倒した。
「ちょっとぉ、大丈夫?」
 宮里が駆け寄ってきた。ゲームは一時中断の模様。
「どうした、那智。いけるか?」
 なぜか一夜までやって来る。
「ダメ。今度こそ肋骨折れたかも……って、そうじゃなくて。ゴメン、大丈夫だった?」
 謝りながら手を差し出し、彼女を立たせる。幸い怪我はなかったようだ。
 そのとき――、
 何となく嫌な予感がした。
 誰かに見られているような、視線を感じるような。いや、どっちも同じ意味だけど。それ
で、そっちを見た。
(ひいいいぃ〜〜)
 片瀬先輩が見ていた……。
 いつから? コケたところから? もしかして、ボールを顔で受けたところから!? だ
としたら、なんて間が悪いんだ。
 丁度そこで昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。片瀬先輩が体育館から出て、教室へと
戻っていく。
 ゲーム終了――
 僕もある意味終了――
 ああ、最悪……
 
「何をこの世の終わりみたいな顔しとんねん」
 帰り道、電車の吊革につかまりながら僕の横で一夜が言った。
「はぁ……」
 それに僕はため息で応えた。
 ため息だって吐きたくもなる。別に格好いいところを見せようと思ってたわけじゃないけ
どさ、何もあんな格好悪い場面だけしっかり見られることもないだろうに。印象最悪。神も
仏もあったものじゃない。
「要するに意識してるんや?」
「……かもしんない」
「俗物」
 あれ? 機嫌悪い?
 ついでに機嫌悪いで思い出した、
「そう言えば一夜さ、僕がゲーム中、上級生の女の人と話してなかった?」
 あのときの一夜も珍しく機嫌が悪そうだったのを覚えている。
「あれって何だったの?」
「知らん」
 うわあ、さらに不機嫌になった。今日の一夜は機嫌が悪い率が高い。もしかして逆ナンパ?
とか言ってからかってやろうと思ったのに、そんな雰囲気じゃなくなってしまった。
「じゃあな」
「あ、うん」
 やがていつものように一夜が先に降り、僕らは別れた。
 電車に揺られながら、僕はもう何も考えないことにした。が、それも長くは続かなかった。
電車から降りて改札口を通る頃にはもうとりとめもないことを考えはじめていた。
(俗物、か……)
 確かにそうかもしれない。以前は片瀬先輩に憧れながらも高嶺の花と諦めて遠くから見て
いるだけだったのに、ちょっと接点ができたと思ったら浮かれて舞い上がって、馬鹿みたい
に先輩を意識してる。これじゃ他の奴らと変わらない。一夜に俗物と言われても仕方のない
ことだ。
(でもさ、ああいうことがあったんだ、意識して当然だよなあ)
 どこかでそう思ってる自分がいる。
 当然の成りゆき。
 不可抗力。
 つまり――、
「かまってくれない先輩が悪いっ」
 ………。
 ………。
 ………。
 どんな結論だよ?
 我ながら素晴らしい論理の飛躍。言ってて虚しくなるね。
「はぁ……」
 またため息を吐く。
 どうやら一夜の機嫌が悪い率並に僕のため息率も上がっているらしい。ダメだ。ため息で
肺の空気がなくなる前にさっさと家に帰って気分を変えよう。
 そう思って歩調を早めたとき――、
「那智くん、つっかまっえたっ♪」
「わあっ」
 突然、誰かが背中にのしかかってきた。首に絡まってくる腕を慌ててすり抜け、後ろを振
り返ってみる。
「か、片瀬先輩……!」
「やっほ」
 そこには片瀬先輩が立っていた。笑顔とともに胸に前で小さく手を振っている。
「おどろいた?」
「おどろきますよ。当然でしょう。あー、びっくりしたぁ」
 そんな僕の様子を見て先輩はくすくす笑う。
 この人は驚かせるのが趣味なんだろうか。そう言えば、前にも似たようなことがあった気
がする。いや、それを言うならいきなり飛びついてくる辺り明らかに以前よりパワーアップ
してる。しかも、何か背中に、ぎゅむ、って感触があったし。
「………」
 あー、やめた。あまり深く考えないようにしよう。
「どうしたの、那智くん?」
 いや、もう考えないようにしたいんで、ホント、人の顔を覗き込むのやめてください。
 僕が視線を逸らすと、先輩はくすりと笑った。
「那智くんを見てると飽きないわ」
「もしかして僕のこと、からかってます?」
「さあ? 気のせいじゃなぁい?」
 ……嘘だ。
 澄ました顔してるけど、とてつもなく確信犯的な表情だ。
「それにしても……」
 そう言って話題を変えながら、片瀬先輩は何か面白いことを思いついた悪戯っ子のような
笑みを浮かべた。
「そっか、そっかぁ。那智くん、そんなこと思ってたんだ」
「な、何のことでしょう?」
 ……嫌な予感がする。
 本日二度目の嫌な予感。一度目は見事的中している。
 そして、先輩は勿体つけるようにたっぷり間を空けてから言った。
「『先輩がかまってくれないから悪いっ』」
 と――
(ひいいいぃ〜〜)
 大当たり。
 百発百中じゃないか、僕の悪い予感は。いやいや、全然嬉しくないから。
「え〜っと、それはですね……」
「可愛いわ、そういうの」
 そう言って微笑む先輩を見て、僕はどきっとした。
 片瀬先輩はいろんな表情を持っている。人をからかって子どものように笑ったり。そうか
と思うと、今みたいな仕草でやっぱり年上なんだと思わせたりする。本当に多彩な顔を持つ
人だ。
 それに――、
「じゃあ、今度の日曜、あいてる? どこか出かけようか?」
 絶対に人を驚かせるのが趣味なんだと思う。
「は、はいぃ?」
 先輩の口から飛び出した不可解な言葉に、僕は目が点になった。
 
 
2004年12月31日公開
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)