那智くんが女の子から告白されているのを目撃した。
 正確には、廊下で見かけた那智くんの様子がおかしかったのでついていってみたら、そ
ういう場面に出くわしてしまったのだけど。
 相手は二年の女の子。
 小柄で、のんびりおっとりした感じの可愛らしい子だった。
 でも、彼女は振られてしまった。
 わたしは思う。年上の女の子は不利だと。男の子にしてみればきっと年下の女の子の方
が扱いやすくていいだろうと思うし、もしつき合っている間に年下の女の子が現れたりし
たら絶対太刀打ちできないのだから。
 
 
Simple“school”Life
  (4) 回り道
 
 
「それでも振られた女の子はかわいそうだと思うわ」
「なぁに余裕ぶってるのよ。人のこといってる場合?」
 そう言ったのは向かいに座る円だった。
 昼休み、学生食堂で円と一緒にランチを食べながら、先日見たことを話した。
「なっちが本当に年上だからって理由で振ったんだとしたら、司だってそこに含まれるん
でしょうが。危機感を持ちなさいよ」
「わ、わたしは関係ないでしょっ」
「なんで?」
「なんでって――」
 わたしは一旦そこで言葉を飲み込み、気持ちを落ち着かせた。深呼吸をして熱を逃がす。
 それから円に顔を近づけ、周りに聞こえないように再び話を続けた。
「わたしは別に那智くんとつき合おうとか、特別な関係になろうとか思ってないんだから」
「ふうん。まぁ、司がそう言うんなら、別にいいけどね」
 円は疑わしげにそう言った。
「ええ、いいわ。わたしは最初からそのつもりだし、これからもそのつもりです」
 それが最初から一貫したわたしのスタンスだった。
 那智くんは今までわたしが出会った中でいちばん気になる男の子だけど、だからといっ
て周りをうろうろして迷惑はかけたくない。良い先輩、良いお姉さんとして、少し近くで
那智くんを見ていられたらそれでいい。
 それでいいと思っている……のだけど……胸がざわざわするのはなぜだろう。
 例のシーンを見て以来、ずっとこんな感じだ。
「…………」
 急に那智くんの顔が見たくなった。
 何となく、彼の顔を見ればこの気持ちも収まるような気がした。
「ねぇ、円? 円、今日は那智くんに用はないの?」
「用? 別にないけど」
「そう……」
 使えない親友だ。この前は何やら社会科資料室でふたりきりでいたというのに。親友と
いうならこんなときくらい役に立って欲しい。
 ……こんなときって何だろう?
「あ−、そう言えば……」
「な、なにっ?」
 わたしは期待して椅子から半分腰を浮かす。
「なっちってさ、バスケ上手いから、一度、一対一で勝負したいのよねぇ」
「あら、そうなの? じゃあ、わたしがそのことを伝えてきてあげるわ」
「はぁ?」
 素っ頓狂な声を上げる円をおいて、さっそくわたしは立ち上がった。
「そういうことは早い方がいいわ。あ、気にしないで。わたしが親切心でやるだけだから。
その代わりこのトレイを片づけておいてくれたらいいから」
 食べ終えたランチの乗ったトレイを円の前に押し出す。
「い、いや、ちょっとアンタ――」
「じゃあ、いってくるわね」
 そう言ってわたしは親友のために那智くんの教室に向かった。
 
 一年の教室が集まる辺りまできた。
 いやに張り切った声で挨拶をしてくる新入生の男の子たちに応えながら、那智くんの教
室を目指す。
 各教室には空調が効いているけど、五月という過ごしやすい時期で、今が昼休みという
こともあって、教室の扉は開け放たれている。
 少しだけ歩く速度を落とす。
 ここにきて今さらながら那智くんとどうやって会えばいいのか考えていなかったことに
気づいた。
 中を覗き込んで声をかける?
 誰かに頼んで呼び出してもらう?
 でも、それ以前にここで那智くんと一緒にいること自体、変に思われたりしないだろう
か?
 なにか、こう、人に頼まれて伝言を伝えにきたというのが周りにわかるのがベストなの
だけど。
 いい案が浮かばないまま教室の前に辿り着く。
 とりあえず、さりげなく中を覗いてみようと扉に寄ると――、
「ひっ!?」
 中からぬっと表情の欠落した顔が出てきた。しかも、その顔は、男性らしいことはわか
るけど、年齢も国籍もはっきりしない人間離れした造作で……と思ったら、それは大きな
人形だった。
 たぶん、腹話術の人形のようだ。
「…………」
 でも、それを持っている女の子も人形並みに表情のない顔をしていた。
 多少不安は感じるものの、丁度いいのでこの子に聞いてみるとする。
「ちょっと聞きたいのだけど、那……千秋くんはいる? ……えっと、その、友達から伝
言を頼まれてきたの」
「…………」
 彼女は無言で私の顔を見る。
 その眉間に錯覚レベルの浅い皺が寄ったように見えた。
「…………」
「…………」
 互いの顔を見合う。
 やがて彼女は首を回して斜め後ろを見た。そこにはまた別の女の子がいた。少し気の弱
そうな、おとなしい感じの子だ。
 どうやらバトンタッチのつもりらしい。
「え、えっと……、と、遠矢君なら千秋君と一緒に図書室に行ったみたい、です。百科事
典を返しにいくって……」
「…………」
「…………」
 わたしと人形の子と、ついでに腹話術人形の目が、答えてくれた子に集まる。
 なぜ主語になる人物が入れ替わっているのだろう。ケアレスミスをした英文和訳のよう
だ。
 でも、きっとこのことには突っ込まない方いいのだろうと思う。
「そう、わかったわ。ありがとう。図書室ね。行ってみるわ」
 お礼を言って教室を離れようとしたとき、先ほどの人形の子がまたわたしを見ているこ
とに気づいた。
 と、不意に人形に口がカクカクとぎこちなく動き出した。
『ちょっと美人だからって勝ったと思うなよ』
「…………」
「…………」
『あい・しゃる・りたーん』
 そう言い残すと、人形の子はゆっくり静かに廊下を進んで、去っていってしまった。
「…………」
「…………」
 それをわたしとおとなしい系の女の子と、ふたりで見送る。
 やがてその子も何かに気がついてはっとすると、彼女を追って廊下の先に消えていった。
「…………」
 ……いったい何が何だかわからなかった。
 わからないので、もう帰ってきて欲しくないと思った。
 
 次にわたしは図書室を目指した。
 昼休みと放課後に開放されている図書室は、図書委員を含めても十人程度しかいなかった。
定期試験が近づけばもっと増えるのかもしれない。
「百科事典とか言っていたわよね……」
 辞書辞典の類が収められた書架に足を向けた。
 そこは閲覧席以上に人気がなかった。
 誰もいない図書館 本に隠れキスした――
 そんな歌詞が思い浮かぶ。どこで聴いたのだろう。わたしが生まれる前の歌だったと記
憶している。確かにここならそれくらいのことはできそうだ。
 わたしは思わず想像してしまった。
 駅や電車で人目もはばからず身を寄せているカップルのように、向かい合わせで身体を
くっつけてじゃれあっている自分。その相手は……
 ぶんぶんぶんぶん
 次の瞬間、頭を振ってその想像を追い出した。
 わたしったら何を考えているのだろう。
 顔が熱い。
「…………」
 でも、悪くない想像だったかもしれない。とりあえず、こういうスポットがあることだ
けは覚えておこうと思う。
 それにしても、那智くんの姿はどこにもない。もう用が済んで帰ってしまったのだろう
か。
 いちおう、もう少し読みやすい本の並ぶ一般書籍の方も見て回ってみる。
 と――
 そこに遠矢君がいた。
 書架から取り出した本を手に、ぱらぱらとページをめくっている。
 その横顔は評判通り整った容姿だった。男の子でここまで素直に綺麗と言える相貌も珍
しい。少しだけ見入ってしまう。
「……何か?」
「…………」
 ちょっと驚いた。
 一度もこっちを見てなくて、そんな素振りもなかったのに、いつの間にかわたしに気が
ついていたらしい。
 彼は本を読みながらいろんなことを同時にできると那智くんから聞いていたけど、なる
ほど、納得した。
「那智くんがここにきてるって聞いたのだけど、もう帰ったのかしら?」
「あいつやったら、ついさっき女に追いかけられて飛び出していきましたよ」
「…………」
「…………」
「…………」
 那智くんはわたしが想像もつかないようなエキサイティングな学園生活を送っているら
しい。
 それ以前に、なに、その情熱的な女の子は!?
「あいつに何か用ですか?」
 遠矢君は不機嫌そうな声で、そして、相変わらず本のページをめくりながら訊いてきた。
「ええ、そう、円からね、ちょっと伝言を頼まれたの」
 しかし、その答えに遠矢君は、ちらりとわたしを一瞥しただけだった。
「…………」
「…………」
 ……わたし、この子、苦手かも。
 と――、
「あの様子やったら体育館やろな、行くとしたら」
「そう。じゃあ、行ってみるわ。ありがとう」
 わたしはそう言ってその場を後にした。
 それでもやっぱり遠矢君は微動だにしなかった。
 
 体育館へと来た。
 本来、体育館に入るときは体育館用のシューズを履かなくてはならないのだけど、上靴
のまま入る。ただ入るだけならいつもそんなもの。常態化しているとは言え体育科の先生
に見つかったら説教ものだ。
 図書室同様、昼休みに開放される体育館は、たくさんの生徒がバスケットボールを追い
かけて、ありあまったエネルギィを発散していた。男子の中にはやけに鬼気迫るプレイを
している子もいる。
 入り口を入ったところから中を見回してみる。
 だけど、ここにも那智くんの姿はなかった。
 代わりにひとりの女の子に目が止まる。確かあの子は、以前、那智くんがここで遊んで
いたとき同じチームだった子だ。
 彼女は交代待ちなのか、脇で応援しているだけだった。
 近くに寄って声をかけてみる。
「あなた、確か一年の特進クラスの子よね? 千秋くんを捜しているのだけど、ここに来
なかった?」
「あー、千秋だったら、さっきまでそこにいたんですけど……」
「あら。行き違いになったのかしら?」
 そう答えながら、わたしは内心ショックだった。
 また行き違い。
 手が届きそうで届かないとは……
「怪奇・妖怪ネコ娘に見つかって、走って逃げていきました」
「…………」
「…………」
「…………」
 一度、何が起きているのか確認した方がいいのかもしれない。
「後で千秋にそちらに行かせましょうか?」
「ううん。いいわ。そこまでするほどたいした用でもないから。もう少し捜してみること
にするわ。ありがとう」
 と言っても、もう間もなく予鈴がなる時間だ。これ以上捜す時間もなければ手がかりも
ない。
 仕方なくわたしは教室の帰ることにした。
 
「司、司。聞いて聞いて」
 教室に戻るなりクラスメイトが、同じ言葉を二度ずつ繰り返しながら駆け寄ってきた。
「さっきね、教室の前に千秋君がいたの〜」
「ぇ……」
「声をかけたら何でもないですって帰っちゃったんだけど、もしかして司に会いにきたん
だったりして〜……って、きゃあ!」
 思わず脱力して、わたしはクラスメイトに正面からしなだれかかった。
「ちょっとちょっと!」
「…………」
 言葉が出ない。
 泣きたくなった。
 わたしは無言のままクラスメイトから離れると、ふらふらと自分の席に戻った。
 両手で机を抱きかかえるようにして突っ伏す。
 なんという巡り合わせの悪さだろう。あれだけあちこち回ってぜんぶ空振りで。しかも、
その間に那智くんはここにきていたという。
 もしかしたらわたしたちはそういう運命なのかもしれない。
 大きなため息を吐く。
「……くんに……たいなぁ」
「えっ!?」
 いきなり前の席に座っている子が振り返った。
「ふえ?」
 びっくりしてわたしも顔を起こして、変な声を出してしまった。
「…………」
「…………」
 黙って見つめあう。
「みょ?」
「ふにゅ」
「きゅるるん」
「いぇぃ」
「ぐばばー」
「って、さっきから何なのよっ!?」
「それはこっちの台詞でしょっ。司が何か言ったみたいだから振り返ったのに、また変な
声を出すんだからぁ」
「あ、あれ? わたし、何か言った?」
 ぜんぜん覚えがなかった。
 いったい何を口走ったのだろう……?
「もぉ、しっかりしてよね〜」
「はぁい。反省しまーす」
 確かに彼女の言う通り、もう少ししっかりしないといけない気がする。
 
 放課後――、
 いつもなら課題の続きをするために美術室に行くのだけど、今日はさすがにそんな気に
なれず、先に学生食堂に行くことにした。
 何か飲んだら気分転換になるかもしれない。
 そう思ってブリックパックのジュースの自動販売機に向かう。
 でも、相変わらずぼうっとしていたらしい。歩きながら財布から硬貨を取り出し、自販
機に辿り着くと同時に投入口に……というところで横から伸びてきた腕にわたしの手がぶ
つかった。
 わたしと同じように自販機を利用しようとした人がいて、周りがあまり見えていなかっ
たわたしが、その邪魔をしてしまったようだ。
「あ、ごめんなさいっ」
「す、すみませんっ」
 同時だった。
「「 あ…… 」」
 そして、次も同時。
 聞き覚えのある声にわたしはその相手を見る。向こうもわたしを見ていた。
「那っ……千秋くん!」
「先輩!?」
 わたしがもとめてやまなかったものは、いきなり、拍子抜けするほどあっさりと、わた
しの前に現れた。
「…………」
「…………」
 次の言葉が出てこない。
 そして――、
「「 ど、どうぞ…… 」」
 自販機を指し示し、三度、声が重なる。
「じゃ、じゃあ、僕から……」
「え、ええ、どうぞ……」
 意を決したように那智くんが言い、わたしが応えた。考えてみれば自販機の順番ひとつ
で何をかしこまったやり取りをしているのだろう。
 那智くんが自販機に向かっている間、わたしは彼に気づかれないように深呼吸をして、
気持ちを落ち着かせた。
 周りを見てみる。放課後だからだろう、あまり生徒はいない。基本的に食堂そのものの
営業は平日の昼休みと土曜の放課後だけで、今は自販機が動いているきりなので無理もな
い。
「那智くん、昼休みにわたしのクラスにきたって聞いたけど、何か用だったの?」
「えっと、特に用があったわけではなくてですね……」
 那智くんは出てきたジュースを取り出しながら答えた。そうして立ち上がり、振り返る。
「ちょっと怪人に追いかけられているうちに辿り着いただけなんです」
「あ、そう……」
 特に用があったわけではないという部分に寂しいものを感じる。
「先輩の方こそ、なんか僕を捜してたって聞いたんですけど、何かあったんですか?」
「え? ああ、そうだったわね」
 そんなこともあったと思い出した。
「円がね――」
 と、そこで言葉が止まる。
 円は確か那智くんとバスケットボールがしたいと言っていたはず。でも、それが実現し
たらどうなるだろう。わたしは蚊帳の外でふたりだけで楽しんで、とても面白くないこと
になるような気がする。
「どうしたんですか?」
 話しかけたまま止まっているわたしに、那智くんは怪訝そうな顔を向ける。
「ううん。何でもないの」
 結局、言うのはやめにした。
「ちょっと那智くんに会いたかっただけ」
「え……?」
 途端、那智くんが固まった。
「あ、れ……?」
 わたしも固まった。
 今、何かとんでもなく恥ずかしいことを言わなかっただろうか。
「えっとね、深い意味はないのよ?」
「あ、はい。大丈夫です。わかってます!」
 那智くんは少し顔を赤くして、何度も頷いた。
 たぶん、わたしはそれ以上に赤くなっていたと思う。そして、誤魔化しながら「ああ、
そうか」と納得する。
 さっきわたしが教室で知らず口走った言葉がようやくわかった。
 それにここまでひどく遠回りをした気がした。
 お互い顔を赤くして次の言葉を探していると、チャイムが鳴った。
「わ。授業が! じゃあ、僕、戻ります」
「ええ。またね」
 そうか。特進クラスは今から七限目か。
 忙しい子だ。
 駆けていく那智くんの背中を見送るわたしには、もう気分転換など必要ないようだった。
 
 
2006年8月31日公開
何か一言あればどうぞ(拍手だけでも送れます)
コメントへのお返事は、後日、日記にて。