鬼子月下 〜Moonlit “K”night〜
 
/後編
 
 香澄を担ぎながら建物から建物へと次々に飛び移り、逃げる織人。それを何とか視界に捉
えるようにして、清十郎が追う。追いながら清十郎は考えていた。
(なぜあいつなんだ!? あいつには両手があった。“鬼哭十蘭”は奴らに再生不能の傷を
与える呪刀。なのになぜ……?)
 思考が高速で回転をはじめる。
 香澄をつけ狙う武内織人と会ったのが一昨日の夕方。そこで織人は変貌し、正体を現した。
清十郎は織人と一戦交え、結果、その腕を斬り飛ばすに至る。にも拘わらず、今逃げている
織人は隻腕ではなかった。あのとき、織人は切断された腕を持ち帰っていない。例え持ち帰っ
たとしても接合することは不可能だ。それが“鬼哭十蘭”の特性なのだから。
 そして、その翌朝には目を覚まさず、つい先程まで実に一日半もの間眠り続けていた。何
かあったとすれば一昨日の晩からその翌日の朝にかけてということになる。その間にあった
ことと言えば――
(新しい犠牲者! 奴め、再生は不能と知って、腕を一から再構成したのか。そのために人
ひとり喰って養分にしたんだ……!)
 導き出された結論に清十郎は舌打ちした。
 追跡劇の終着点は清十郎の通う高校だった。逃走を諦めたのか、それとも目障りな追跡者
の排除の場としてここを選んだのか、織人は校庭の真ん中で足を止めた。ここぞとばかりに
清十郎が距離を詰める。地を蹴り、跳躍力を水平移動の力に変える。
「はっ」
 織人が振り向くのとほぼ同時に、清十郎はその側頭部に蹴りを叩き込んだ。織人が吹き飛
ぶ。抱えられていた香澄の身体が宙に投げ出されたが、清十郎は危なげなくそれを受け止め
た。
「相葉さん。大丈夫か、相葉さん」
「う、ん………」
 清十郎が呼び掛けると、少し遅れて反応が返ってきた。
「あれ? ここ、どこ……?」
「学校。校庭の真ん中だ」
「え? なんでこんなとこに? あ、そうだ、武内! 武内が突然起き上がって、そしたら
口に大きな牙が……きゃあぁぁぁっ!」
 香澄の悲鳴に振り返ると、織人がよろよろと立ち上がるところだった。清十郎が香澄を庇
うような位置に立つ。
「何なの、あれ。武内、どうしちゃったのよ!?」
「危ないから下がってろ」
 語調はきつくはないが、反論を許さない様子で清十郎は言った。
「何度も、何度も邪魔をして……。お前は何なんだよ!?」
「前にも言ったろ。同族狩りだってな。
 
 ……桐生清十郎、鬼狩りの一族の末裔さ」
 
 冷たく言い放つと、清十郎は制服のスラックスのポケットに手を突っ込み、何かを取り出
した。人差し指と中指に挟まれたそれは歪な形をした石だった。研磨される前の宝石の原石
のようにも見えるが、そこに秘められたものは神秘性よりも殺気に似た妖しさのように思え
る。
 次の瞬間、それは紅い光を放つと一本の抜き身の刀へと姿を変えた。まるで先程の石が纏っ
ていた殺気と妖気を具現化したようだった。
 これこそが清十郎が父より受け継いだ桐生家の家宝。長さ二尺三寸反り六分の、呪われし
刀――“鬼哭十蘭”だった。
 またも、
 またも武内織人の身体に変化が現れた。
 
 ぼりきっ。ぎちぎち。ぶつっ。ぶつっ。きちきち。
 
 異様な音を立てて骨が軋み、筋肉が盛り上がっていく。身体全体がうねるような変化は、
一昨日のときよりも激しい。人から人と非なるものへの変貌を初めて目の当たりにした香澄
が息をのむ。
 人にはあり得ない巨躯に、筋肉に覆われた丸太のような手足。その手からはすでに凶器と
化した爪が長く伸びている。剥き出しになった牙と、せり出した額の左右がさらに盛り上が
り、角に似た突起を形成する。もはやそれはとうてい人間と呼べる姿ではなかった。
「な、何なの……?」
 やっとの思いで香澄が声を絞り出す。
「鬼だ」
「お、鬼……!?」
「ああ。武内織人の中に眠っていた鬼の血が《発現》したんだ」
“鬼哭十蘭”を構えながら、清十郎は完結に答えた。
(この前より身体がひと回り大きくなってる。武内織人、もう人間には戻れまい)
 哀れむような眼差しを向ける。
「私、本当に狙われてたんだ……。でも、何で?」
「理由はわからない。だが、君には《目印》が付けられている。その手の甲の痣がそうだ」
「これが……?」
 香澄は未だ包帯の巻かれている手に視線を落とした。
「それは鬼が獲物に付ける目印だ。付けられたら最後、逃げようが隠れようが鬼は絶対追っ
てくる」
「逃げようが隠れようがって、それって……」
「知ってるだろう。有名な子どもの遊びだ」
「は、悪い冗談だわ」
 香澄は鼻で笑った。だが、その顔は心なしか引きつっている。
「それならよかったんだが、生憎、冗談でも何でもない。だけど、本来ならもっと早くに武
内織人が鬼だと気づくべきだった。俺のミスだ。すまない」
 鬼は狙った獲物を逃さない。例え逃しても《目印》を付け、必ず喰らう。にも拘わらず武
内織人に《目印》はなかった。唯一の生存者イコール犯人という実に簡単な図式だったのだ
が、そこに鬼イコール隻腕という誤った条件式を持ち込んでしまい、答えに至る道を塞いで
しまったのだ。
「がああああああああっ!!!」
 鬼が吼えた。
「来る! 下がれ!」
 清十郎はそう言ってから、自分は前へ出た。
 横薙ぎに繰り出された爪の一撃を刀で弾き返す。だが、体格の差を見ても膂力の違いは一
目瞭然で、激突の反動で清十郎はたたらを踏まされた。それでも何とか踏みとどまると、さ
らに前へ出る。
 跳躍して鬼の首目がけて刃を振るう。左から来る水平の斬撃を鬼は右の爪で受け止めた。
剣戟の硬質な音が響き渡る。
「こいつ……!」
 清十郎は鬼の胴を蹴り、一度離れた。
 着地と同時に再び地を蹴り、間合いを詰める。間断なく攻め続ける清十郎の連撃の太刀は
徐々に鬼を後退させていく。無謀とも呼べるほどがむしゃらに繰り出される斬撃。本来なら
清十郎はこのような戦い方はしない。だが、今は後ろに香澄がいる。香澄を守るためにも攻
め続ける必要があった。
 と――、
 
 鬼が、嗤った。
 
 次の瞬間、鬼はその全身をバネにして跳び上がった。清十郎を軽く跳び越え、地響きを立
てて着地したそこは、香澄の目の前だった。
「しまった……」
 舌打ちし、疾走する清十郎。だが、あまりにも距離がありすぎる。
(今彼女を喰って力をつけられたら、もう手に負えなくなる)
 最悪の事態が頭をよぎる。
「逃げろっ!」
 清十郎が叫ぶ。しかし、香澄はいきなり降ってきた鬼に声すら上げられずに戦くばかりで、
立ち竦んでいた。例え動けたところで、果たして鬼から逃げ切れたかどうか。
「があああああああああ」
 またも鬼が吼えた。それは獲物を前にした歓喜の咆吼だった。
 間に合わない。清十郎が諦めかけたとき、
 
 一陣の風が疾った。
 
 鬼はその疾風に薙ぎ倒され、吹き飛んだ。
 間一髪のところで香澄を救った風は人の形をしていた。銀の髪に蒼い瞳、動きやすさを重
視した姿で、手には拳を護るために指先のあいた手袋をはめている。
「ジゼル!」
 清十郎が駆け寄り、銀色の風の名を呼んだ。ジゼルはそれに応えて、ただ黙って頷いた。
その顔は普段のジゼルとは別人のようで、そこにいるのはまぎれもなくひとりの戦士だった。
「助かった。悪いがもう少し時間稼ぎを頼む」
 今度は頷きもせず、己が敵に向き直ることで応えた。
「相葉さん、こっちだ」
 清十郎は香澄の手を取ると走り出した。思うように身体の動かない香澄は何度も躓き、転
びそうになりながら清十郎の後に続いた。行き先は校庭を縦断したところにある昇降口だっ
た。
「はっ」
 鍵を蹴り壊して扉を開けると、そこに香澄を押し込む。
「ここにいるんだ。もし奴が来たら校舎の中に逃げ込め」
「う、うん……」
 香澄は素直に頷いた。
「ジゼルちゃんは大丈夫なの?」
「あいつなら、ほら」
 視線を校庭に移して香澄に示す。
「す、すごい……」
 香澄は思わず感嘆の声を漏らした。
 そこに信じがたい光景が展開されていた。小柄なジゼルがその身体のみを武器にして、体
格差二倍はあろうかという鬼に立ち向かっていたのだ。拳で殴り飛ばし、鬼の爪撃を躱し、
蹴りを叩き込む。互角どころではない。完全に圧倒していた。
「あいつはあいつで悪魔殺しデーモンスレイヤーの末裔だ。純粋な戦闘力で言えば、もしかすると俺より上かも
知れない」
「で、あんたは鬼退治の末裔ってわけね。……ひとつ訊いていい? 同族狩りってどういう
こと?」
「……言葉通りさ」
「つまり、あんたにも鬼の血とやらが流れてるわけ?」
「……ああ、そうだ。桐生の家系は鬼の流れを汲みながら、武内織人のように《発現》して
しまった鬼を葬ることを生業としている。おかげで同族殺しの業からか、うちの家系はロク
な死に方をしないらしい」
 苦しみを吐露するように、清十郎は言った。
 香澄から視線を逸らしてジゼルと鬼の戦いに目をやる。そこで戦っている鬼は、数時間前
まではまだ武内織人という人間だった。だが、身体に眠っていた鬼の血が《発現》してしま
い、もう人には戻れなくなっている。清十郎も今は狩る側にいるが、明日は我が身というこ
とも有り得るのだ。
 清十郎は一歩踏み出した。
「行くの?」
「ああ。ジゼルひとりに任せてはいられない。ジゼルはあくまでも悪魔殺しデーモンスレイヤー。鬼に対しては
決定打は持っていない。今この場で鬼を死に至らしめることができるのは俺だけだ」
 そう言い残すと再び歩を進めた。
 校庭ではジゼルと鬼の戦いが続いている。あいかわらず戦局はジゼルが優勢だった。力任
せに振られる鬼の爪撃を軽やかに躱し、その隙をついて的確に打撃と蹴撃を叩き込んでいく。
しかもジゼルの攻撃は決して軽いものではない。いったいその小柄な躰のどこにと思うほど
に凄まじい力を持って攻撃を繰り出している。
(ジゼル、やはり見抜いているか。そうだ、奴は左腕の反応が鈍い)
 その事実に清十郎は二合目で気づいていた。左から迫る清十郎の太刀を、鬼はわざわざ右
腕で受け止めた。その後の攻防でも右腕に比べて左腕の反応が僅かに鈍かった。清十郎はそ
の原因にすぐに思い当たる。
(奴は再構築した左腕に未だ馴染んでいないんだ)
 天性の格闘センスでそれを見抜いたジゼルは左へ左へと回り込むようにして攻めている。
清十郎の目には、鬼は苛立ち疲弊しているように見えた。好機だった。
「ジゼル! 決めるぞ!」
 清十郎の声にジゼルが黙って頷いた。
 そのとき、ジゼルの視線が一瞬だけ鬼から離れ、清十郎に移った。鬼をそれを見逃さず、
豪腕を振って襲いかかる。だが、ジゼルはそれすらも予測したように軽々と躱した。バック
ステップの直後、それまでジゼルがいた場所を鬼が叩きつけ、グラウンドの土が爆ぜた。
 次の瞬間――、
 
 ジゼルの身体が銀色の疾風と化した。
 
 瞬発力を爆発させた最速の踏み込みから、全力を持って繰り出される最強の一撃――先刻、
香澄を間一髪のところで救った一撃だった。鬼の巨体が揺らぐ。しかも、ジゼルの攻撃はこ
れで終わらなかった。一瞬にしてジゼルの身体が前に出ると、さらに鬼の顎に拳を炸裂させ
た。鬼の身体が舞い上がり、そこに――、
 
 そこに清十郎がいた。
 
 空中で待ち構える清十郎のところに、ジゼルが鬼を吹き飛ばしたのだ。
「ふっ!」
 交差の瞬間、呼気とともに“鬼哭十蘭”が閃き、夜の闇に斬撃の軌跡を刻んだ。
 そして、
 首が、刎ねられた。
 轟音を立てて鬼の身体が地に投げ出され、その横に斬り飛ばされた頭部が無惨に転がった。
ひと呼吸遅れて、とん、と清十郎が着地する。
「許せよ、今のこの世にお前たちの生きる場所はないんだ」
 異形の屍を見て清十郎が呟く。
 やがてそれはみるみるうちに形をなくし、崩れる端から血色の霧となって散っていく。存
在を許されない異形のものの末路だった。
 間、沈黙が続いた。
 そして、この世から完全に姿を消したとき、清十郎が言った。
「先に逝っていろ、武内織人。いずれ俺も……」
 
◇               ◇
 
「なに、もう行っちゃうわけ?」
 下校時、清十郎の横を歩く香澄が言った。彼女の手の甲からは痣は消え、長らく巻かれて
いた包帯も今はもう外されている。
「うん。やることは全部終わったからね。かと言ってすぐに転校するのも変だし、今学期いっ
ぱいはいるつもり」
「そうなんだ」
「もともと家業を継いでからは西へ東へ飛び回ってる生活だからね。もう慣れたよ」
 そう言うと清十郎は人懐っこい笑みを見せた。
 その笑顔に宿命や業といったものは欠片もなく、どこにでもいる高校生の普通の笑顔だっ
た。だが、清十郎のもうひとつの顔を知ってしまった香澄にとってはその笑顔が痛々しく感
じられた。
「あんたも……」
「ん?」
 香澄の声が聞き取りにくかったのか、清十郎は訊き返した。
「あんたもいつかは武内みたいになっちゃうの?」
「………」
 清十郎はその問いに答えなかった。黙って歩く清十郎の横を、香澄がやはり黙ったまま自
転車を押して進む。
「正直、わからない」
 やがて清十郎が口を開いた。
「桐生の一族の中には《発現》したものもいれば、しないまま死を迎えたものもいる。この
先、俺がどうなるかは俺自身ですらわからないよ」
「………」
 再びの沈黙は香澄がもたらした。
「もし……、もしあんたがおかしくなったら、私に言って」
 そして、それを破ったのも香澄だった。
「相葉さんに? なぜ?」
「もっちろん、あんたが人間のうちに殺すためよ。やり方は、そうねえ、このチャリンコで
轢き殺すなんてどう?」
 あっけらかんとして香澄はそんなことを言った。
 数回目を瞬かせた後、清十郎は思わず吹き出す。
「そりゃあいいね。いいよ、それ。ロクな死に方じゃないけど、それもいいかもしれない」
 しきりに笑う清十郎。その横で香澄も一緒になって笑った。そんなふたりの前に清十郎の
マンションが見えてくる。
「そうだ、相葉さん。今日、ジゼルがクッキーを作るって言ってたんだ。どう? うちに寄っ
てかない?」
「あ、せっかくだからお邪魔しようかな」
「よし、じゃあ、決まりだ。……それ、貸して」
 そう言うと香澄の手から自転車のハンドルを取ると、サドルにまたがる。
「行こう」
「ええ」
 答えて香澄は後ろの荷台に腰掛ける。彼女が乗ったのを確認すると、清十郎は力を込めて
ペダルを漕ぎ出した――
 
 
鬼子月下 〜Moonlit “K”night〜 −了−
2004年9月9日公開

 

あとがき

はい、まいどお馴染みの九曜でございます。
『鬼子月下 〜Moonlit “k”night〜』 如何だったでしょうか。
 
今回は非常にオーソドックスな現代FTで攻めてみました。
目指すノリは少年誌の読み切り漫画でした。
異能の主人公が事件を解決して去っていく、あのタイプですね。
 
たまには九曜もそういうのを書いてみたいな〜、とか思ってできたのがこれです。
あかげでキャラに深みがなくて、使い捨てっぽいですが。
 
いちおー、キャラの解説を。
 
桐生清十郎。
表向きは普通の少年、でも本当は……っていう典型的な主人公。
こいつは 『snow drop』 に出てくる某人物の息子です。
親父は趣味で人殺しをしてそうな社会不適応者でしたが、
清十郎はけっこうまとも。
あんな親父でも好きだったらしく、髪型が同じだったりします。
作中では書きそびれましたが、17歳の高校生です。
 
ジゼル。
戦えるのがもうひとり欲しかったので登場させたキャラ。
別に妹とか親戚とかでも良かったのですが、何となく別系統の異能者にしてみました。
ジゼルはまた別の人物の姪です。
フランス人ってくらいしかヒントはありませんけど。
何でジゼルが桐生家に厄介になってるかは、今のところ謎です。
15歳、中学生。
 
相葉香澄。
ヒロインという意外に説明のしようのないキャラ。
まあ、この手の話には巻き込まれたり狙われたりして、
最後は主人公の活躍を目撃するヒロインがつきものですから。
そういう役所ですね。
 
特にひねりのない作品でしたが、書いていて楽しかったです。
こういうのもいいですね。
また何か思いついたら書いてみたいと思います。
九曜のことだから、絶対他作品が絡んでくるでしょうが。
 
当初の予定から変わって3話構成になりましたが、
これにて 『鬼子月下 〜Moonlit “K”night〜』 終了です。
何か感想がございましたら、ぜひお聞かせ下さい。
そしたら九曜、小躍りして喜びますし、
メールやBBSならお返事もしますので。
 
では、今度はまた別の作品でお会いしましょう。
 
2004.9.9 九曜
 

 



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