ラウンジは、騎士乗り(ナイトヘッド)が休憩するためのスペースだ。水分補給のための自動販売機があったり、テーブルやベンチ、ソファなどがあったりと、リラックスできる空間となっている。
 そのラウンジで、テーブルには火煉と茉莉花が向かい合わせに座っていた。
 昴流は壁際のソファに深く体をうずめている。手には火煉が買ってくれたスポーツドリンク。あまりに疲れた顔をしているので、ふたりにはずいぶんと心配されてしまった。もちろん、疲れはあるが、今は心労のほうが強い。言うまでもなく、更衣室でのことが原因だ。
 昴流や茉莉花の担任教師、南郷良子はもうここにはいない。「面白いものを見せてもらった。施錠は忘れないように」とだけ言い残して、昴流や愛理には会わず、先に出ていってしまったのだ。
 遅れて愛理が姿を現した。
 昴流の顔がまた赤くなる。あの刺激的な後ろ姿を思い出してしまったせいだ。
「どうにも恥ずかしい姿を見せてしまったようだ」
 彼女は、まずは一同を見回して自嘲気味にそう言うと、すぐに背を向け、自販機に向かった。
 スポーツドリンクを購入し、立ったままそれを飲みはじめる。どうやら座る気はないようだ。
「そうね。これで上には上がいるということを思い知ったのではなくて?」
 冷たい口調の火煉。
「私や茉莉花に勝ったくらいでふんぞり返っているなんて滑稽にもほどがあるし、私たちを馬鹿にしているわ。貴女がそうしている間にも、私はマリアとともにもっと上に行くわ」
「火煉さん」
 昴流が口をはさもうとしたが、火煉はそれを手で制した。
「と、言うつもりだったのだけど、どうやら誤解だったみたいね。試合中の貴女とマリアの会話、こちらでも聞いていたわ」
 少しやわらかくなった彼女の口調に、昴流はそっと安堵する。
「……なるほど」
 愛理は納得したふうに、ひと言。
「私はもしかしてマリアに誘導されたのかな?」
 彼女はちらりと昴流を見る。
 その視線を受け、昴流は白々しく肩をすくめてみせた。
「まぁ、いい。聞いていたのなら話は早いな。私は団体戦(カルテット)で優勝を目指している。去年と同じメンバーになるだろうが、今年はそれも夢ではないと思っているよ。でも、どうやら私にはそのリーダーたる資格はないようだ」
「どうしてですの?」
 言っている意味がわからないといった調子で、茉莉花が言葉を発する。
「あれだけ大口を叩いておいて負けたんだ。どんな顔をしてそれをやれと?」
 あぁ、やっぱり――と、それを聞いていた昴流は思った。
 愛理は誤解している。
 誤解しているからこそ、強者であることに固執してしまったのだ。
「では、誰がいいと言うの?」
 今度は火煉が問う。
 また先のような厳しい口調に戻っていた。
 火煉はどう出るだろうか。これは彼女たちの問題だ。昴流は、今は様子を見守るつもりだが、いよいよになれば私見を述べようと考えていた。
「改めて決めればいいさ」
 愛理は、決して投げやりにではなく、真剣にそう言っているようだ。そして、本気で自分には資格がないと思っている。
「貴女の理屈でいくと、私や茉莉花にもその資格がないことになるわね。何せ貴女はキルスティン最強。私たちは貴女に負け越しているのだから」
「どうやら火煉は根に持つ性格のようだ」
 愛理は一度苦笑。
 それから一転して表情を引きしめた。
「その件については謝罪しよう。振り返ってみれば、やはり君の言う通り私は傲慢だったと思う。言い過ぎた。すまなかった」
「謝ってくれなくてけっこうよ」
 火煉は面白くなさそうに言い放つ。
 実際、面白くないのだ。友人に頭を下げさせたところで溜飲が下がるものではない。彼女に求めているのは、そんなものではないのだ。
「それで、どうするの? 貴女に資格がないと主張するなら、私たちはそれ以上にないことになるわ」
 火煉は話を戻す。
「だから、それを改めて決めようというのさ。少なくとも私はもう、恥ずかしくて自分についてこいなどとは言えないよ。一旦辞退しよう」
「貴女、本気でそれを言っているの? もしそうなら本当にその資格はないわね」
「なに?」
 冷たく突き放すような火煉の口調に、愛理が思わず気色ばむ。
 茉莉花はハラハラした思いで、火煉と愛理の顔を交互に見ていた。
「チームのリーダーに必要なのは強さ? 私はそうは思わないわ。必要なのはその役割をこなすだけの才覚と性能よ」
 そうだ。その通りだ、と昴流はふたりのやり取りを横で見ながらうなずく。
 団体戦(カルテット)においてはリーダー騎が戦闘不能になると、その時点でチームは即敗北となる。よって、リーダーが弱いとその騎体を守るだけで手一杯になってしまって、攻めるどころではなくなる。だからと言って、必ずしも最強である必要はなく、そもそもが守られる立場なので、ある程度自衛できるだけの力があれば十分という考え方もあるくらいだ。
 リーダー騎に求められるのは純粋な戦力ではなく、指揮管制能力だ。闘技場(アリーナ)全体を見渡し、刻一刻と変化する状況を把握し、戦況に合わせて各騎に的確な指示を出す能力こそ求められる力だろう。
「貴女はその準備をしてきたのでしょう?」
 直接に対決した昴流もそう感じた。
 愛理個人のリーダーとしての才覚はわからない。でも、彼女の駆る『バルキリー』は情報収集のための高感度センサを搭載し、明らかに高い指揮管制機能を備えている。
 加えて、オールラウンドに戦える力もリーダー騎に必要なものだ。騎体に万能性をもたせることで、攻守ともに必要な場所へとフォローや援護に入ることができる。無論、これにはそれを活かすだけの騎士乗り(ナイトヘッド)の技量があってこそのものだが、愛理にそれがあることは先の試合が証明している。
 この両方を兼ね備えている愛理と『バルキリー』は理想的な指揮官騎と言えるし、彼女自身それを意識して演習を積んできたのだろう。
「だったら、やり遂げてみせなさい。貴女がやらないで誰がやるというの」
「しかし……」
 しかし、なおも愛理は納得いかない様子で言い淀む。
「わかってますか、愛理先輩」
 そこで茉莉花が口をはさんできた。
「わたくしも火煉先輩も、団体戦(カルテット)大会で優勝を目指す気持ちは一緒なんですよ。今はもうそのための各々が担う役割を決めている段階なんです」
 すでに夢は共有しているのだ。
 外の大会で辛酸を舐めさせられたのは愛理だけではない。誰もが次こそはと思っている。もはやその決意を確認し合う必要はない。すでに『次』への準備ははじまっているのだ。にも拘らず勝利を目指して己が担うべき役割を担えないというなら、それはチームのメンバーであることを拒絶しているようなものだ。
「気負うことはないわ。貴女に優勝に導いてもらおうと思ってないもの」
 火煉はさらりと言う。
「優勝は皆で目指すものでしょう?」
「ああ、そうだな」
 彼女の言葉は、すとんと愛理の胸の中に落ちた。
「なら、チームリーダーなんて単なる試合の上での役割に過ぎないということか」
 自分は何もわかっていなかったのだと、改めて思う。
「わかったよ。ずっと頭に思い描いてきたことなんだ。最後までやってやるさ」
 愛理は肩をすくめて苦笑した。
 火煉の言う通り、気負っていたのかもしれない。自分がチームリーダーを務め、自分が皆を優勝に導くのだと。
 そのせいだろうか、今度の苦笑はまるで肩の荷が下りたかのように軽やかで、愛理本来のシニカルな苦笑だった。
 火煉も茉莉花も微笑む。
 昴流をそれを見て、うまくまとまってよかったと思った。
 結局はすべて誤解だったのだ。
 愛理が己の真意を伝えようとしなかったせいで火煉は誤解してしまった。そして、そもそもの原因は、愛理がチームリーダーとして必要なものは強さだと思い込んでいたことにある。
 だが、その誤解は解け、思い違いも正された。
 もう大丈夫だろう。
「さて、」
 と、そこで愛理が居住まいを改めるようにして口を開いた。
「どちらに聞けばいいのかわからないのだが――久瀬マリアとは何者だ?」
 ずばり斬り込んでくる。
 瞬間、ラウンジの空気が緊張した。
 昴流と火煉は顔を見合わせた。
 今回みたいな戦い方をすれば、このような疑惑をもたれることは予想していた。問題はどこまで話すかだ。愛理と茉莉花の口が軽いとは思わない。頼めば黙っていてくれるだろう。だが、深く知れば知るほど、それだけ彼女たちをこちらの事情に巻き込んでしまうおそれがある。
 火煉はひとつうなずくと、話しはじめた。
「マリアは私が外で見つけて、引っ張ってきたことには間違いないわ」
 そう切り出す。
「ただし、魔術の徒でもあるわ」
「魔法使い、か」
「そう言えば、魔術とおっしゃってましたわね」
 茉莉花もコントロールルームでの会話を思い出していた。
「つまり試合中のあれは魔術ということか?」
「……はい」
 愛理の問いに、昴流が答える。
「ボクの『巴御前』には魔術を使うのに必要な魔術サーキットを組み込んであるんです」
「魔術騎と言うそうよ」
 火煉が言い加えれば、愛理と茉莉花は呆然としていた。
 当然だろう。魔術の徒の騎士乗り(ナイトヘッド)も、魔術を使う機械仕掛けの騎士(マシンナリィ・ナイト)も聞いたことがない。今こうして目の当たりにしているが、改めて話を聞いてその規格外の設計思想(コンセプト)に言葉を失う。
「マリアは立場上、騎士乗り(ナイトヘッド)の養成学校に入ることはできないわ」
「確か書籍館(あそこ)の生徒の学費は全額国費だったな」
 書籍館学院の魔術科は、将来の日本を担う人材を育成するため、国費で運営されている。生徒、学生の学費は全額免除される。故に、そこを自主退学して騎士乗り(ナイトヘッド)の養成学校に転校するなどという選択肢は、ほぼ認められない。
「ええ。でも、ただの趣味で機槍戦(トーナメント)をやっているだけではもったいない。だから、私から向こうの学院長に頼んで、一時的に研修生として借りたのよ」
「ずいぶんと強引だな」
 愛理は笑う。
 もちろん、そこには昴流が科学アカデミーと呼ばれるテロリストに狙われているという事情もあるのだが、火煉はそこまで話す気はないようだ。
「それに、私たちにもいい刺激になるわ」
 火煉がそう断言すると、その向かい茉莉花が力強くうなずいた。
 そもそも火煉がマリアをキルスティン女学園に引っ張ってきたのは、マリアと一緒ならば自分が今よりずっと強くなれると確信したからであり、その思いはマリアと模擬戦を行った茉莉花の中にも生まれている。
 そして、先の試合で今までになく熱くなれたと口にした愛理もまた、火煉の言葉には納得するものがあった。
「まぁ、ですから、魔術なんて反則みたいなものなんで、今日の試合はノーカウントでいいかなと思います」
 しかし、彼女たちの強い共感をよそに、昴流はのんきにそんなことを言う。
 火煉と茉莉花が愛理を見た。
 だが、ふたりの注目を前に、愛理は首を横に振る。そうしてから毅然と言葉を紡いだ。
「いや、私はこの試合を記録に残そうと思う。もちろん、マリアが魔法使いだとか魔術のことには触れないから安心してほしい」
 そこは確かに助かるが。
「でも、それじゃ、愛理先輩の立場が」
「私の立場? キルスティン最強のことかな? そんなもの、もうどうでもいいさ」
 愛理は鼻で笑った。
「マリアや大事な友人たちに、そんなものは何の意味もないことをおしえてもらったよ」
 茉莉花が微笑み、火煉が苦笑する。
「それにまだ一敗さ。次も勝てるとは思わないことだ」
 まるで宣戦布告。
 その言葉に、昴流は「うげ」と小さく声をもらす。
「じゃあ、せっかくですので、わたくしも。……先日のは条件付きの模擬戦でしたが、今度は公式のルールで戦ってもらいますわ。もちろん、負けませんわよ」
「茉莉花様も!?」
 昴流は目を丸くして、ソファの背もたれに身を投げた。
 試合前の寮の自室では、昴流は火煉に対し挑戦者だった。今の彼女たちと同じように、次は勝ってみせると言い、火煉は楽しみだと笑っていた。どうやらずいぶんと彼女らと複雑な関係になりつつあるようだ。
「仕方がない。マリアは強くなるためにここにきたんだろう? 自分だけというのはズルい。ちゃんと私たち三人の相手もしてもらわないと」
「そんなぁ」
 思わず情けない声を上げて、天を仰ぐ昴流。
 でも、その一方で、まぁいいか、とも思う。火煉、茉莉花、愛理の三女神(モイライ)のことを、昴流はまだ深く知らない。それでも彼女たちがこうして同じ気持ちで笑っていることは、何かかけがえのないもののように思えるのだ。
 と、そのとき、きゅるる、と小さな音が鳴った。
 昴流のお腹の音だ。
「……」
「……」
「……」
 三人の少女たちの視線が集まった。
「……お腹すいた」
 昴流はため息を吐くようにして、そうつぶやく。
 火煉が小さく噴き出した。
「試合が終わったら何か食べにいく約束だったわね。マリア、そろそろ行きましょうか」
 彼女はさっそく腰を浮かせる。
「よかったら私も一緒させてもらえないだろうか。同じく食べてないクチでね」
「あの、わたくしも。実は緊張で何も喉を通らなくて」
 愛理は持ち前の気さくさで気軽な調子に、茉莉花は少し恥ずかしそうに、同行を申し出た。
 火煉はそんなふたりを見て、ため息をひとつ。
「仕方ないわね。一緒に行きましょうか。……いい、マリア?」
「もちろん」
 昴流は首肯した。
 特に反対する理由もない、というよりは、むしろ今のこの時間がもう少し続いてもいいと思う。彼女たちが楽しげに笑っている姿が心地いいのだ。昴流は書籍館学院で仲のよい優斗と桃華のことを思い出していた。
 昴流、茉莉花が立ち上がり、出入り口付近の自販機前に立っていた愛理から順にラウンジを出る。部屋が無人になると、自動で照明が落ちた。
 薄暗い廊下を四人は歩く。愛理が先頭で、その後ろに昴流、火煉、茉莉花。
「ところで、火煉。私が寮にいない間にマリアの歓迎会はやったんだろうね?」
 思い出したように愛理が問う。
 茉莉花も火煉に注目した。自分の知らないところでそんな一大イベントがあったのだとしたら、いよいよ寮に住まいを移すことを考えないといけないかもしれない。
「やっていないわよ」
 と、あっさり火煉が答えれば、愛理はがくりと肩を落とし、茉莉花はほっと胸を撫で下ろした。
「それくらいしてやったらどうなんだ。研修生とは言え、しばらくは同じ学校の生徒なんだから」
 しかし、火煉はこれがイマイチ理解できなかったようで、「そういうもの?」と茉莉花に向かって投げかけた。
「そういうものかと」
「勉強会ならやっていたわよ」
「たぶん関係ないです」
 あ、この人、機槍戦(トーナメント)おバカだ。――失礼ながら茉莉花はそう認識してしまった。
「では、これから遅ればせながらマリアの歓迎会だ」
「あ、ありがとうございます」
 かしましくも話はまとまり――その勢いに押されながら、昴流は礼を言った。
 闘技場(アリーナ)を出る。
 戦いの場を後に。
 ここからは少年少女の時間だ。
 
 
2016年6月17日 公開

 


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