第6話 03-秋「わたしのために」 scene1 mail 「『いつもメールをありがとうございます』、か。お決まりの文章だよね。たまにはそっちからメールしてくれたらいいのに」 受け取ったメールを見ながら文句を言ってるけど、今のわたしはきっとニヤけてるに違いない。だって、南雲さんの返事だもの。それにあの人とこうしてメールのやり取りをしているのなんて、ネット広しと言えどもきっとわたしくらいなものだろう。
「やったぁ!」 わたしは最初の一文を読んだ瞬間、手を叩いて歓声を上げた。これでまた南雲さんと会える。 そうしてから、ふむふむと続きを読んだ。後は当日の予定と南雲さんの近況報告が、彼らしく簡潔にわかりやすく書かれていた。 そして、ふと思う。 (なんだか遠距離恋愛みたい……) と―― 「……」 あ、マズ。顔の温度上がっちゃった。 ちょっと南雲さんの顔を思い出してみる。ライトイエローのレンズ越しの眼差しとか。どこか遠くを見てるような深い色の瞳とか。男の人にしては艶のある黒髪とか。総じて整った顔は文句なく格好いい部類に入る。 温度低めな声も意外に素敵で、たまに聞きたいと思うのだけど、南雲さんはケータイの番号を教えてくれなかった。というより、ケータイ自体持ってないのだそうだ。今どき珍しいと思って理由を聞いてみたら、「あれは鎖だから」っていうなかなかに哲学的な答えが返ってきた。自宅の番号の方はというと、家族が出るし、何より好奇心の塊みたいな姉がいるから厄介と言われ、ムリに聞き出すのはやめておいた。 結果、こうしたメールのやりとりが唯一無二のコミュニケーションツールとなっている。 書き終えたリプラィをポチッと送信すると、わたしはパソコンデスク横のカーテンを開け、排ガスで汚れた都会の夜空を見上げる。 「もうすぐ会えますね」 南雲さんに語りかけるように言ってみる。 彼も同じようにこの空を見ていたらいいのにと思う。……南雲さんが住んでいるところがこっちの方角であっていたかは自信ないけど。 scene2 秋のドリームフラグメント 1日目 そしてついにやってきた秋のドリームフラグメント。 今回はちゃんと参加申込書を出し、ばっちりわたし名義でのサークル参加だ。それになんと言っても半年に一回、南雲さんに会える日でもある。 「で、さ――彩ちゃん?」 「なに?」 「南雲さん、こないんだけど?」 もう時計の針は午後1時を指している。 開場からずっと彩ちゃんとふたり、スペースに座って待っているけど、南雲さんは未だに現れていなかった。 「でも、そういう約束になってるんでしょ?」 「そうだけどさぁ……」 そうだ。今日は今までとは違う。ちゃんときてくださいねと言って、遊びにいきますと約束してくれた。でも、さすがにこう遅いと、どうしても不安になってしまう。 「うー……」 それをまぎらわすように、わたしは机に顎をつけ、頭を左右に振る運動を繰り返す。 目の前の通路にはたくさんの人が行き交っていた。買ったばかり同人誌を胸に抱えて歩く人。見本誌を立ち読みしてる人。ぺーパーをもらってる人。サークルの人と意気投合しておしゃべりしている人。――様々だ。 でも、そこに南雲さんの姿はない。 ちゃんと約束したのになぁ……。 (約束、か……) ふと一瞬、その約束という単語に引っかかりを覚えた。無意味な反復運動がぴたりと止まる。いったい何だろう? 「ほら、シャッキリしなさい。そんな姿、大好きな南雲さんに見せられないでしょ?」 「やだ、そんなっ。大好きって……、わたしは別に南雲さんをそんなふうには……」 思わずがばっと顔を上げる。 「俺がどうかしましたか?」 「きゃああぁぁぁ!」 そして、今度は絶叫。 「えっと、あの、その……」 いきなり現れた南雲さん。半年ぶりに見たナマ南雲さんに、わたしは完全に固まってしまった。生麦、生米、ナマ南雲……。 「優希ちゃん。まずは挨拶でしょ」 「あ、うん。……お、お久しぶりです、南雲さん」 「どうも」 相変わらずクールで省エネな南雲さんだった。 「ちゃんときてくれたんですね。嬉しいです」 「約束ですから」 彼にかかれば半年振りの再会も、“約束”のひと言におさまってしまうらしい。……なんか少し寂しい。 「ああ、そうだ。今日は優希さんにお土産が」 そう切り出して南雲さんは軽そうな――と言っても、少なくとも通行証を兼ねたカタログは入っているであろう、ディバッグを肩から下ろした。 お土産? わたしに? 差し入れ、かな? というか、南雲さんにそんな社交的なスキルがあったことが驚きだ。 そうして彼が鞄から取り出し、わたしに差し出してきたのは、書店の袋に入った物体だった。この辺では聞いたことのない書店の名前。中身も新書サイズの本くらいの大きさのよう。 「開けていいですか?」 聞きつつも好奇心が先に立って、返事を待たず開けてしまう。だって、南雲さんのお土産だもの。気になって仕方がない。 中を見て先に口を開いたのは彩ちゃんだった。 「あれ、これって優希ちゃん――」 「とうっ」 何か言いかけた彼女にすかさず肘打ち。それきり彩ちゃんは口をつぐんだ。 「これ、例の本の特装版ですよね? よく手に入りましたね」 「世の中、本の価値のわからない本屋もありますから。よく行く古本屋街で見つけました」 確かに本の価値もわからず、古いからと安く売ってしまう古書店も少なくない。実はわたしもこれと同じものを、何ヶ月か前にふらっと入った本屋で見つけていた。 「これをわたしに?」 「そのために持ってきました。古本で悪いですが」 「あ、ありがとうございます。大事にしますっ」 この際、持っている持っていないは関係ない。大事なのはこれを南雲さんがくれたと言う点だ。 「それじゃあ、俺はこれで」 これで用はすんだとばかりに、南雲さんは立ち去ろうとする。なんというか、人の家にきて玄関先で手土産だけを投げ込んでいくような真似をする人だ。 「あ、あのっ」 踵を返しかけた南雲さんを、わたしは思わず呼び止めていた。彼が動きを止め、「何か?」と表情で問う。 「あ、明日もきますか?」 「メールにそう書いたと思いますが」 「そうなんですけど、確認をしておこうかと……」 やはりもう一度聞いておかないと不安でしようがない。 「きますよ、友人の手伝いがありますから。……それじゃあ」 そうして再び、今度こそ南雲さんは去っていった。 わたしはその背中が、人込みの中に消えて見えなくなるまで見つめていた。南雲さんがああ言ってくれたことを信用していないわけではないけど、それでももう会えなくなるかもという思いがどこかにあった。前のことがちょっとしたトラウマになっているのかもしれない。 「見たで見たで〜」 「きゃっ!?」 「おーおー、名残惜しそうに見つめちゃって」 いきなり現れて茶化してきたのは、鈴子さんだった。隣の島のスペースだったはずなのに、いつの間にきたのだろう。 「まるでカレシとの別れを惜しんでるみたいやん?」 「そ、そんなんじゃありませんっ」 と、自分でもわかるほど顔を真っ赤にして言い返しつつも、本当はまんざらでもなかった。 南雲さんはあの通り社交性がアレな人だけど、クールなアーティストっぽいし、案外この会場でも人目を引いて「あれ、誰?」なんて言われてるかも。 わたしはわたしで、この通り無名ではないから、最近優希がどこかの格好いい人と急接近してる、なんて言われてるかもしれない。見る人が見れば、いい雰囲気とか、お似合いとか、そんなふうに見えるかも。 「ど、どうしよう、彩ちゃん。噂になったら……!」 「何が?」 「……」 「……」 「……ううん、何でもない」 「そう。よくわからないけど、ひとりで悶えるのやめてね」 「……はい」 さっきの肘打ち、怒ってますね。ごめんなさい。 scene3 秋のドリームフラグメント 2日目 今日はいつものように屋上庭園がわたしのメインの舞台だった。 知り合いのサークルにチケットをもらい、朝早くから入場。10時の開場とともにここに上がってきた。 晴れ渡る秋空の下、モデルになったり、イベントでしか合えない懐かしい顔ぶれと話をしたり。 南雲さんは昼過ぎに一度顔を出してくれて、少し話をした後、屋上の散策に出かけた。ひと回りしたらまた戻ってくるらしい。 そんなこんなで撮影に一旦区切りをつけ、彩ちゃんに時間を聞いてみると、もう2時を過ぎていた。 ふと思う。 午後4時で――あと2時間と待たずにイベントが終わってしまう。つまりそれは南雲さんとの別れと、そして、また半年間会えなくなることを意味する。 「……」 「どうしたの、優希ちゃん」 急に黙り込んだわたしに、彩ちゃんが心配したように訊いてくる。 「あ、ううん。何でもない」 慌てて誤魔化すが、何でもないはずがない。 「そう? だったらいいけど。……あ、南雲さん、戻ってきたよ」 「え?」 心臓が一度だけ強く鳴り、わたしは体を大きく跳ねさせた。 彩ちゃんの視線を追うと、サングラスをかけた南雲さんの姿があった。こちらに歩み寄ってくる。わたしが南雲さんに気がついたのを認めても、彼は表情も変えず、歩く速度を上げることもしなかった。 「おかえりなさい、南雲さん」 「俺、そろそろ友人のところに戻りますので」 「は?」 あまりの唐突さに、わたしは間の抜けた声を上げた。 「今日はこれから行くところがあって、早めの撤収です」 「……」 そういうことは早く言っておいてもらいたい。おかげであと2時間あると思っていた時間が、いきなりゼロになってしまった。 「じゃあ、俺はこれで」 いつも通りの簡略化された挨拶で、南雲さんは踵を返した。 「……」 わたしが見ていた彼の姿が、後姿になった。 たぶんそのまま数歩も進めば、この屋上庭園に数え切れないほどいる人の波の中に、その姿は消えてしまうのだろう。そして、次に会うのは半年後――。 本当に? 本当に、またここで会える? このままいなくなったりしない? そんな確証がどこにあるだろう。 頭によぎるのは、何の前触れもなくいなくなった、あのときのこと――。 「待って!」 気がつけばわたしは、南雲さんの服をつかんで呼び止めていた。彼が振り返る。 「何か?」 「あ、あの……」 南雲さんと向かい合い、でも、その顔を見られず――わたしは顔を伏せながら口ごもる。 「ま、また今度、会えますか?」 またここで会えますか? 「さぁ」 「さ、さぁって、そんな……!?」 わたしはようやく顔を上げた。南雲さんを見上げる。 「俺は積極的にここにきているわけじゃないですから。友人次第です」 彼はさらりと言ってのけた。 きっと南雲さんはこのイベントに別段の拘りも、執着もないのだろう。お友達が行くなら一緒についてくる。行かなければ自分も行く理由がない。その決定にわたしの存在は欠片の影響も与えていないのだ。 「じゃ、じゃあ……!」 わたしの口は勝手に言葉を紡いでいた。 「わたしのために……、わたしに会いにきてください。それじゃダメですか?」 「……」 南雲さんは表情も変えず、わたしを見つめ返していた。もしかしたら顔に出ていないだけで、内心は呆れていたのかもしれない。 「ぁ……」 わたしはあまりにも図々しいお願いを口走ってしまったと、すぐに後悔した。顔から火が出そうだ。前言を撤回しよう。今の言葉は忘れてもらおう。そう思ったとき――、 「そうですね」 「え……?」 「だいぶ先のことなので確約はできませんが、他に予定がなければまた遊びにきますよ」 「あ、あの……本当ですか? お友達がこなくてもですか!?」 わたしは信じられないことでも聞いたかのように問い返した。実際、南雲さんがそんなことを言うなんて信じられない思いだった。 「そのつもりです」 「う、嬉しいですっ」 「そうですか」 わたしの感激をよそに、彼は短く返す。 「じゃあ、俺はこれで」 「はい! また会えるのを楽しみにしてます!」 南雲さんが体の向きを変え、背を向ける。 「またメール、書きますからっ」 その後姿に、もう一度わたしは投げかけた。 勿論、さよならは寂しいけど、それ以上に嬉しかった。 「〜♪」 南雲さん、わたしに会いにきてくれるって。 相変わらず掴みどころのない人だけど、前よりは少し近づいたような気がする。このまま少しずつ近づいていけば、いつかは手が届くかもしれない。 そんな日がくればいいなと思う。 2008年12月23日公開 |
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