サニーサイドアップにブラックペッパー

第2章


7.
 待ち合わせは正午。
 ただし、耀子には1時間早くこいと言われている。即ち、11時。
 可純はそれに十分間に合うように家を出た。最寄の駅から電車に乗り、ふた駅めで乗り換え。学校がある学園都市とは反対方向へ。
 程なく一ノ宮に着き、電車を降りたのが11時15分前。待ち合わせ場所である改札口正面、大スクリーン前には、すでに耀子の姿があった。
 オフショルダーのトップスにデニムのロングパンツ姿。きれいな鎖骨が露わになっているが、ロングなので全体的に露出は少なめだ。
 対する可純は、ショートパンツにハイソックス、タンクトップの上から袖の短いゆったりとしたニットの上着を着込んだだけ。腕も足も褐色の肌が見えている。なにせ今日は全国各地あちこちで夏日を観測しているのだ。
「早いね、耀子。もうきてたんだ」
 寄って声をかける。「まぁね」と、耀子。
「早くきてここに立ってたら、ナンパされたりして」
 特に着飾っているわけではないが、背が高くてスタイルもいい耀子は、兎に角よく人目を引く。
「まさか」
 しかし、耀子は茶化す可純を一蹴した。
「そんなのがいたら先に睨んでやるわよ」
「あー……」
 それならナンパなどされるはずもない。耀子に睨まれたら、たいていの男は声もかけずに引き返すことだろう。
「で、耀子に言われた通り1時間早くきたけど、何かあるわけ?」
 可純は話を変える。
「近くに美味しいコーヒーショップがあるのよ。そこに可純を連れていこうと思ってね」
「へぇ。……って、あれ? それだったら樹里とへーさんがきてからでもよくない?」
「まぁ、そうなんだけどね」
 耀子は口調を歯切れの悪いものにしながら、頭を掻く。男前な仕種だと可純は思った。
「あんただけ苦手でしょ、コーヒー」
「そう、かな?」
 可純は曖昧に首を傾げた。
 毎朝飲んでいるコーヒーと牛乳が一対一のカフェオレを思い出す。確かにちょっと背伸びして飲んでいるところがある。だけど、コーヒーが苦手なのは自分だけだろうか。樹里はどちらかというと紅茶党だ。学校でもよく飲んでいるのを見かける。そして、英理依の場合、ちょっと変わったものを好む傾向にある。普通に豆乳やらおしるこやらを飲んでいるのだ。
「まぁ、いいか」
 尤も、だからと言って、コーヒーが飲めないことの証明にはならないのだが。
「きっと可純も気に入ると思うわ」
「そっか。じゃあ期待してる。行こう」
 ふたりはさっそく並んで歩き出した。
 
 可純と耀子が待ち合わせ場所に戻ってきたのは、正午少し前だった
 コーヒーショップのコーヒーは耀子が勧めるだけあって、確かに美味しかった。可純が頼んだのはやっぱりアイスのカフェオレだったが、次にくる機会があればもっと別のものを頼んでみようと思っていた。
 正午に合わせて戻ってきてみると、すでに樹里が立っていた。
 白い肌に灰銀髪(アッシュブロンド)と蒼氷(アイスブルー)の瞳。生粋の日本人では持ち合わせない手足と頭身のバランスはそれだけで人目を引くというのに、ボーイッシュなパンツルックまでファッショナブルでセンスがよいとくれば、目立って仕方がない。通りかかる人が横目で見ていくだけでなく、完全に足を止めて遠巻きに見ているものまでいる。
 そんな樹里にふたりが寄っていくと、彼女は怪訝そうな顔をした。
「たまたまその辺で一緒になった……って感じじゃないな。ふたりそろってどこかに行ってたのか?」
「うん。耀子オススメのコーヒーショップにね。美味しかった」
 正直に答える可純。
「ふうん」
 と、樹里は何か言いたげに耀子を見た。
「……」
 耀子はばつが悪そうな、それでいて不貞腐れたようにそっぽを向く。
 横でそれぞれの視線がどういう意味を持つのかかわらず、可純はひとり首を傾げた。
 と、
「あ、へーさんだ」
 3人がいる大スクリーンの前、改札口の向こうに、へーさんこと入江英理依の姿が見えた。彼女は寮生なので、学園都市からきたことになる。切符を自動改札に吸い込ませ、出てくる。清楚なロングスカート姿。
 これで全員がそろった。
 ちょうど正午だった。
 
 4人はまず高架下のバラエティに富んだ個人商店などを見て回ってから、ひと休みのランチタイムにファーストフード店に入った。
 午後2時少し前。
 遅い昼食と表現するには遅すぎる気もするが、時間に縛られないスタイルは悪くはなかった。
 店内はそんな時間にも拘らず、10代、20代の若もので賑わっていた。
 空いていたテーブルに座る。4人掛けのテーブルに本当に4人で座り、トレイを並べると少々窮屈に感じる。
「この後はセンター街のほうに行ってみたいですよねぇ」
 のんびりした口調で英理依が提案した。特に異論はない。だいたいみんな考えていたことだった
「お、すっげぇ。自爆テロだって」
 不意に興奮した声が耳に飛び込んできた。隣のテーブルからだ。
 大学生くらいの青年だった。モバイルのニュースサイトに入ってきた速報なのだろう。携帯電話のディスプレィを、横にいる連れ合いの男と一緒に覗き込んでいた。
 ただ、興奮した調子の声は、ショーでも見るような他人事のそれだ。
「どれどれ……うん、これだな。中東で自爆テロ。死者多数、か」
 可純の正面に座る樹里が自分の端末を開いていた。すぐにそのニュースに当たったらしい。
「テロ……」
 可純は我知らず、その単語をつぶやいていた。
 軽い眩暈感。
 思わず目を閉じ――後悔した。
 記憶のフラッシュバック。
 可純にとって忘れられない、でも、どこか曖昧な過去の再生。
 それは東欧の小国で起きた航空機事故――。
 着陸後間もなく爆発した旅客機。
 機体が吹き飛び、炎をまとった破片が慣性で滑走路を滑っていく。
 爆風で割れた旅客ターミナルの窓ガラス。
 ターミナル内に悲鳴と怒号が飛び交う。
「危ないから近づいちゃダメ!」
 駆け出そうとした可純を、誰かがきつく抱きしめた。
 パリからの便。
 あれに乗っていたのは……。
「可純くん、顔色悪いですよ?」
 その声で意識は現実に引き戻された。目を開けると、斜め向かいの席から英理依が心配そうに見つめていた。樹里もディスプレィから目を離し、こちらを見ている。
「ほんとだ。大丈夫か?」
「あ、うん。大丈夫。なんかテロって聞いて、いろいろ考えちゃって」
「優しいな、可純は」
 樹里が微笑む。
「なんでテロなんて起こすんだろうね」
 可純はストローに口をつけ、喉を潤してから疑問の言葉を紡いだ。
「政治的な目的を果たすため、だろうな。暴力的な手段でさ」
「自爆テロみたいに、自分の命を捨てて?」
「うーん……」
 樹里は腕を組んで天井を見上げる。
 それについては可純は、自分の考えを持っていた。
 ――きっと効率の問題なんだろうな
 人ひとりの命で何ができるかと考えたとき、最大限の効果を上げる手段として行き着くのが自爆テロという手法なのだ。
 例えば9.11のアメリカ同時多発テロ。安全な飛行と着陸ということを考える必要がなく、単純に旅客機を目的地に向かって飛ばし、そこにぶつけるだけなら簡単な訓練だけですむという。そして、実際にアメリカ資本主義経済の象徴であるワールドトレードセンターを破壊することに成功している。強奪した旅客機を使い、数人の犠牲でこの成果。おそろしく効率的だ。
「いいのよ」
 そう言ったのは、隣の耀子だった。
「私たちが考えるようなことじゃないわ」
「ま、そうなんだろうけどね」
 苦笑する。
 日本で生きていれば、自分の住む街でテロが起こるようなことがない限り、ずっと無縁でいられるだろう。今も世界のどこかで起こっている悲劇について真面目に考えなくても、誰も責めはしない。
「可純はね、考えなくていいの」
 耀子の手が伸びてきて、可純の頭を2度、優しく叩いた。
 
 遅い昼食の後、4人はセンター街に場所を移した。
 センター街は衣と食の店が立ち並ぶ通り。駅前に林立するデパートに比べて、気安くて取っつきやすい店ばかりなのが特徴だ。
「さっきのボンボン、絶対可純くんに似合うと思うんですよねぇ」
「そうかな?」
 目にするものはどれも心惹かれるものばかりで、歩きながらの会話も弾む。
「プレゼントしてあげたいです」
「あ、それは嬉しい。でも、気持ちだけもらっとくよ。実はボク、ゴムならけっこういっぱい持ってるんだ」
「いちばんよくつけてるのは、赤い玉がふたつのやつね」
 そう言ったのは耀子。
「お、さすが。よく見てる」
 樹里が茶化す。
「だって、耀子はボクの後ろの席だもん」
 ね――と、可純は耀子に笑いかけた。
「だってさ。あれ絶対わかってないぞ」
「樹里。あんた、うるさいわよ」
 そんなやり取りしながら通りを歩く。
 可純は何か面白そうな店はないかと、左右に立ち並ぶ店舗を見回した。
 と、
「ん?」
 その途中、視界の中に知った顔を見た気がした。視線を一度は通り過ぎた正面へと向ける。
「あ……」
 見間違いではなかったようだ。
 前から柚木紗羅と周防麗が歩いてきていた。
 ふたりのうち先にこちらに気がついたのは麗。彼女は隣の紗羅を肘でつつくと、可純たちのグループを指で指し示した。遅れて紗羅が気づき、笑顔を見せる。
「あらあら、あれは柚木さんたちですね」
「あ、ほんとだ」
 並行して樹里と英理依が、ふたりの先輩の姿を認めた。当然、耀子も気がついたことだろう。
 ふたつのグループが出会う。
「こんにちは」
「よ、かわいい後輩たち」
 紗羅と麗がそう言い、可純たちも口々に挨拶を返す。
 可純は紗羅の口から自分の名前が出なかったことに、密かにがっかりした。こっちは4人いるから仕方のないことなのかもしれない。
「あなたたちもきてたの。今日はいい天気だものね」
「会えて嬉しいです」
「ところで、先輩たちは何を食べてらっしゃるんですか?」
 樹里と、その後に英理依が続く。
 見れば紗羅も麗も、アイスクリームらしきものを手に持っていた。
「これ? そこのお店で買ったジェラート。美味しいわよ」
「じゃあ、次はそこに行ってみようか」
「もしかしたら並ぶかもしれないから、覚悟しとけよー」
 麗が笑う。そんなに評判の店なのだろうか。
「じゃあね、あなたたち。また学校でね」
 そうしてふたりの先輩は、可純たちの横を抜けていった。
 ただ、去り際、紗羅が可純をちらりと見た――ような気がした。……気がしただけかもしれない。
「店はあっちみたいだな。行ってみよう」
 こちらも樹里を先頭に歩き出した。
 後をついていきながら、可純はかすかに口を尖らせていた。紗羅が自分に話しかけてくれなかったからだ。名前を呼んで、少しくらいふたりだけの話をしてもいいだろうにと思う。
 少し歩いたところで、ポケットに突っ込んだ携帯電話がくぐもった着信音を奏でた。音と振動はすぐに止まる。メールだ。
 歩きながら端末を取り出し、ディスプレィを見た。隣では樹里たちのおしゃべりが続いている。
 メールの差出人は、今さっき別れたばかりの紗羅だった。
 そして、本文はいつぞやと同じく、たった一文。
『明日はわたしとデートです。』
 
 
 前半部2010年5月10日/後半部11日公開

 


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