サニーサイドアップにブラックペッパー
第3章
2. ゴールデンウィーク明け、2日目のこと。 「うぬ?」 梓沢可純は、朝、登校して、昇降口で自分の下駄箱を開け――そして、思わずそんな声を発した。 上靴の上にそっと置かれた、小さな紙片のようなもの。 「手紙?」 手に取って見れば、それはファンシィなレターセットに入っていそうな封筒だった。 はがきを横にした程度の大きさ。 表には横書きの丸っこい文字で『可純くんへ』。裏には何も書かれていなかった。 「そろそろソリダおばあちゃんにメールを書かないとなぁ」 ふと、宙を見ながら手紙つながりで別のことを思い出す。 祖母のソリダは、早くに夫を亡くした上、さらには娘夫婦をも失い、今は傷心を癒すためひとりパリに住んでいる。当然、可純も長期の休みには遊びにいったりもしているのだが、それ以外は定期的にメールをやり取りして、文通のようなことをしていた。 「――って、現実逃避気味にまったく違うことを考える場合じゃないか」 一度は目を逸らした手紙に視線を戻す。 なんだろう――と首を傾げる。普通に考えたらアレ、なんだろうなぁ。勿論、そう見せかけたいたずらという可能性もあるが、そんなことをされる覚えはなかった。 可純は今さらながら周りを窺った。まだ早い時間なので、可純から見える範囲では生徒の姿はない。誰にも見られていないことを確認してから、その封筒を制鞄にしまう。もっと落ち着ける場所で読むことにした。 教室に入れば、可純よりもさらに早く登校しているクラスメイトはいるもので、もう何人かがきていた。むしろ中途半端に人が少ないからこそ不審な行動は取れず、先の手紙は机の中へとしまい込むだけしかできなかった。 ――後で耀子に相談してみようかな。 机に両肘を突き、掌で顎を支えた構造で、ぼんやりと思う。 やがて時間が経つにつれて、次々とクラスメイトが登校してきた。いつも耀子がくるまでテキトーな話相手を見つける可純なのだが、今日は何となく席から離れにくかった。例の手紙が中に入っているせいだろうか。 「おはようございます、可純くん」 いきなり名前入りで挨拶され、ぎょっとして顔を上げれば、ふわふわロングヘアの入江英理依が立っていた。今登校してきたようだ。 「あ、なんだ、へーさんか。おはよう」 言って再びもと構造に戻る。 そんな形状記憶合金のような可純を見て、英理依は首を傾げながら横を通り過ぎていった。 「おはよう。今日の可純はいつも通りの早い登校だな」 今度は灰銀(アッシュブロンド)の髪に蒼氷(アイスブルー)の瞳をした遊佐樹里だった。 「あ、樹里。おはよう」 「ん? どうかしたのか?」 樹里は英理依以上に可純の異変を察して問いかける。 「え、どうして? 別に何もないけど?」 「? そうか? ならいいけど」 とは言ったものの、樹里はまだ何か釈然としないものがあるようで、訝しげに可純を見やりながら自分の席へと向かった。 ――耀子、早くこないかな。 彼女の登校時間はあまり早くない。かと言って、遅刻の常習犯というわけでもなく、予鈴の少し前、登校ラッシュのピークに教室に入ってくることが多い。平均的な生徒のそれと言えるだろう。尤も、高校一年生とは思えない大人っぽい容姿や、プロポーションのよさはまったく平均的ではないが。よくもまぁそんなのと友達になれたものだ、と可純は思う。それもたまたま席が前後になった縁か。 と、そのとき、両肩にずっしりと何かがのしかかってきた。 「可純くん、何か考えごとですかー?」 「わあ、へーさん!?」 英理依だった。 「私が思うに、考えごとというよりは隠しごとだな」 そして、主のいない前の席に座ったのは樹里。 一度はやり過ごしたはずのふたりが戻ってきてしまったようだ。 「あらあら、そうなんですか?」 「え? そ、そんなことないってば」 鋭い指摘に改めて否定する可純。 「ふうん。ほんとかぁ?」 「ほんとかなー?」 しかし、ふたりはなおも食い下がる。樹里は口元に笑みを浮かべながら疑わしそうに青い瞳を向けてくるし、英理依は相変わらず後ろから抱きついたままで離れようとしない。 「……」 ちょっと心が折れそうだった。もともと隠しごとは得意ではないのだ。いっそこのまま白状して、このふたりに相談してみようかとも思う。が、そうするにしてもやっぱりまずは耀子にしたい……。 ドンッ いきなり机の上に鞄が置かれた。使い込まれた感のあるそれは、まさしく耀子のもので。 「……あんたたち、可純に何やってんの」 そこには村神耀子が目を三角にして仁王立ちしていた。 「おっと、耀子がきた。逃げるよ、エリィ」 「あはははー」 樹里と英理依が一目散に逃げていく。 さすが耀子、凄まじい威力だ。 「まったく……」 ため息を吐く耀子を可純は見上げる。こうして煽りのアングルで見るとたいそうな迫力だ。……特に胸の辺りが。 その怒れる迫力美人は、今度は視線を下げて可純に目をやった。 「可純も可純。カラスにたかられてる仔猫じゃないんだから」 「実は中学時代は『東中(トーチュー)の黒猫』の異名を持っていた可純くんなのでス。にゃあ」 ご丁寧に顔の横に丸めた手を添えて答える可純。とは言え、こんなもので怒りの矛先をかわせるとも思えないが。 「ぅ……」 と思ったら、なぜか効いているようだった。耀子が怯んでいる。 「……」 「……」 ゴンッ が、しかし次の瞬間、彼女の拳が可純の頭の上に落ちた。 「耀子がぶったぁ」 「うるさい」 正当な抗議であるが、一喝。 「それで――何があったの?」 耀子は可純のすぐ後ろの自分の席に腰を下ろしながら、改めて尋ねる。 「あ、うん。ちょっとこれ見てくれる?」 可純は机の中にしまい込んでいたそれを引っ張り出した。でも、机の上には出さない。耀子は身の乗り出し、覗き込む。 「どう思う?」 「……捨てなさい」 ひと言、ばっさりだった。 「あのね……」 呆れる可純。 耀子はため息をひとつ。勿論、彼女だって常識とマナーの観点から、そんなことはできないとわかっている。でも、ムカつくのだからしようがない。 「たぶんそれ、可純が思っている通りのものよ」 不機嫌そうに告げる。 「う、やっぱりそうなんだ……。まさかボクのところにこんなのがくるとは」 何となくそうではないかと思っていたが、改めて恐れ慄く。下駄箱にラブレターなんて都市伝説だ、とまでひねくれるつもりはないが、自分がその状況に置かれるとは思ってもみなかった。 「確か昨日から解禁ね」 「何が?」 耀子がふともらした言葉に、可純は首を傾げながら問う。 「上級生から新入生への声かけは、ゴールデンウィーク明けに解禁。翔星館(うち)の伝統的なルールよ」 「そんなのあるんだ」 高校生は奥が深い、と思う可純だった。 「でもさ、それだったらボクより耀子じゃない、普通に考えてさ。……耀子は?」 「あるわけないでしょ」 「そうかなぁ」 可純としては自分よりよっぽどありそうだと思うのだが。大人っぽくて格好いいし。とは言え、でも――と思わなくもない。きっと耀子の相手は並大抵の生徒ではつとまらなさそうだ。それこそ相坂恭一郎とか柚木紗羅とか、あのレベル。 「にしても耀子、詳しいね」 「これくらいなら英理依も知ってるわよ」 「へーさん?」 思わず英理依を見てみる。彼女は自分の席で樹里や他数名の生徒とおしゃべりをしていた。が、不意にきょろきょろと辺りに目をやりはじめた。可純の視線を感じたのだろうか。 「あの子、寮生でしょ? たぶん口の軽い上級生から聞いてるはずよ」 「ふうん」 すぐに英理依は可純と目が合い、ふわりと微笑んだ。可純もつられて笑う。 「で、耀子は誰から聞いたの?」 そうしてから耀子へと顔を戻し、訊いてみる。 「私? 私は……、私は噂に疎い可純とは違うから」 「むう」 ふふん、と勝ち誇ったように笑う耀子に、可純は小さく頬を膨らませる。 何かにつけて噂に疎い噂に疎いと言われるが、ボクってそこまで言われるほど? 可純はどうにも納得がいかないまま、また首を傾げるのだった。 「知ってますよ〜」 英理依にそのことを尋ねてみれば、案の定の答えだった。ゴールデンウィーク中、実家に帰る前に寮の上級生から聞いたのだそうだ。 ――今は昼休み。 可純と耀子のところに樹里と英理依がきて、4人でおしゃべりの最中。中心となる耀子の机の上にはお菓子もあった。……因みに、置いてあるお菓子はウルトラぷっちょマン。宇宙乳酸菌配合のスペシウムフルーツヨーグルト味である。 「ゴールデンウィークが明けたら上級生は新入生に声をかけていいらしいですよ」 「声をかけるって、具体的には?」 可純はぷっちょの包みを裂きながら訊く。包みはぷっちょジャックの柄。裏を見てみれば、得意技はぷっちょウルトラ光線、らしい。 「デートに誘ったり、お友達以上のおつき合いを申し込んだり、ですね」 「うわぁ」 うふふと楽しげに笑う英理依の横で、「女子高のノリだなぁ」と感想をもらした。女子高だったころの伝統がまだ色濃く残っているのかもしれない。 「これは、ぷっちょセブンか。なになに、得意技はアイス、ラ、ラッ、ちょガー……? 言いにくくて仕方ないな」 樹里は袋から新しい包みを取り出し、書かれたキャラ設定に文句を言っている。 と、そこでいきなり斬り込んでくる。 「で、可純は誰に何を誘われたんだ?」 「え、え? ボ、ボク!?」 狙いすました不意打ちが可純を撃った。 「朝の様子だと、下駄箱に手紙かな? ああ、昇降口で待ち伏せってのもあるか。昨日は遅刻だったしな」 「だ、だから朝も言ったけど、何もないって」 「ふうん」 しかし、樹里はなおも疑いの目を向けたまま。 「そういう樹里はどうなのさ? 元芸能人でしょ?」 攻撃は最大の防御。可純は追及される前に反撃に出る。 遊佐樹里という少女はロシア人とのクォーターで、かつてはティーンズ誌を飾ったカリスマモデルでもあった。しかも、端役で出た映画の主題歌を歌い、それがヒットしてトップシンガーにまでなりかけた。そんな彼女は誰から見ても魅力的だろう。 「あったよ。昨日の昼休みと放課後に声をかけられた」 「さすが樹里」 「でも、丁重にお断りした。どっちも二言目には昔のことを持ち出してきたからな。今の私は昼は高校生、夜はママがやってる小料理屋を手伝う孝行娘。昔の私しか見てないやつはご免だ」 不機嫌そうにそう言い放った。 樹里はメディアに露出していたころの話を嫌う。そんな彼女の様子を見るたびに、可純は首を傾げるのだった。当時の樹里は輝いていたのに、それが高校受験を理由にあっさりと引退してしまった。理由としてはそれで充分なのかもしれないが、未練を口にすることもなく、それどころか当時のことに触れてほしくなさそうな彼女を見ていると、何かあったのだろうかと勘繰らずにはいられなかった。 それはそれとして。 樹里が母親の小料理屋を手伝っているというのは、可純には初耳だった。銀髪碧眼で和装なのだろうか。……それは見てみたいかも。 「あ、そうそう」 負の沈黙が下りかけた空気を読んだのか読んでいないのか、英理依がそう発音する。 「寮の先輩によると、中間テストが終わったらもうひとつ解禁になるそうですよ」 「もうひとつ? 今度は何なんだ?」 「さぁ? そっちはまだまだ先だからか、おしえてくれませんでした」 いまいち使えない情報だった。 樹里は少し考えた後、耀子に視線を移した。 「……中間が終わればわかるんじゃない?」 しかし、突き放すような素っ気ない口調。樹理はやれやれとばかりに肩をすくめた。 可純は次のぷっちょに手を伸ばし、包みを縦に裂きながら考える。 柚木紗羅が自分に声をかけてきたのはまだ4月のころ。ついこの間はデートにも誘われたが、やはりゴールデンウィーク前だ。どちらも解禁日以前。フライングではないのだろうか。 「ちょっとごめん」 可純はぷっちょを口の中に放り込むと、そう言って席を立った。 制鞄から携帯電話を取り出し、それを持って教室を飛び出す。昼休みの賑やかな廊下で、携帯電話のメモリィから美貌の先輩・柚木紗羅のアドレスを呼び出した。口の中のぷっちょを飲み込み――準備完了、通話ボタンを押す。 数コールの後、 『可純くん?』 涼やかな紗羅の声が耳朶を打った。 「あ、はい。えっと、今少しいいですか?」 『ええ、もちろんよ』 電話の向こうで小さな笑い声。 『でも、どうせなら会いにきてくれたらいいのに』 「え? あ、いや、あの……」 そんなことを言われて、可純は思わず赤面する。紗羅はもう一度笑った。 「ちょっとお聞きしたいことがあっただけなので……」 『そう。それで、何かしら?』 紗羅に促され可純は、まず今日知ったばかりの伝統的ルールに関して話し、その上で問う。。 「そういうルールなのにボクに声をかけてもよかったんですか? それに、ほら、この前のデートもまだゴールデンウィーク中だったし……」 『そういえばそんなルールもあったわね。忘れてたわ』 「……」 しれっとそう言ってのける。どうやらいい悪い以前の問題だったらしい。 『でも、別にいいわ。可純くんを見てたら何となく声をかけてみたくなったんだもの。ルールなんて関係ないわ』 相変わらずフリーダムな人だった。 「せ、先輩ってルールを守らない人なんですね」 『あら、失礼ね。これに関しては初めてよ?』 心外だとばかりに言う紗羅の口調は、しかし、笑みを含んでいて。 『だって、新入生に声をかけたのなんて、可純くんが初めてだもの』 教室に入り、自分の席に戻れば、当然おしゃべりは続行中。耀子だけはひとり迷惑顔ではあるが。 「ああ、帰ってきた……って、なんだその顔」 樹里が可純の顔を見るなり目を丸くした。 「え、なんか変?」 「可純」 と、今度は耀子。 「顔が緩んでるわよ」 冷たい目で可純を見上げ、指摘した。 「……ま、別にいいけど」 思わず自分の頬に手を当てる可純を横目に、耀子は机の上に広げられたぷっちょに手を伸ばす。が、そこでそれが最後のひとつであることに気づいた。 「あ……」 可純の小さな発音。 しかし、一瞬の躊躇いの後、耀子はそれを素早く開け、口の中に放り込んでしまった。 「うあ゛」 改めてはっきりと可純のうめき声が響いた。 2012年2月4日公開 |
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