翌朝のこと。 朝食をテキトーにあるものですませ――そして、改めてアキラに文句を言われ、食後、僕は洗濯をはじめていた。 「アキラー」 「ちょ! 今着替えてるから上がってこないで!」 「いかないって」 上から慌てたふうの彼の声だけが聞こえてきた。人が上半身裸でいただけであれだけやいのやいの言うのだから、自分だって見られたくないのだろう。 ロフトは中二階や屋根裏部屋と訳されるだけあって、それなりの高さとひと部屋分くらいの広さはあるので、ロフトの側で端のほうに寄るか、こちらから上がっていかない限り、ただ見上げるだけで姿が見えるということはない。アキラは奥のほうで着替えているのだろう。今後も上は彼のプライベート空間という認識にして、気をつけることにしよう。 「着替えてるならちょうどいいな。洗濯もの出して」 「え? い、いいよ。後でコインランドリーでも行くから」 「遠慮しなくていいよ。どうせ全自動の洗濯機に放り込むだけだし」 そこでようやくアキラがロフトから顔を覗かせた。夏らしい海を思わせる水色と白のボーダーのシャツに、昨日と同じブルーのパーカーを羽織っていた。ただし、袖はまくっているので、細い腕が露わになっている。 「ほ、ほら、オレ潔癖症でさ、自分の服、人のと一緒に洗濯されるのが嫌なんだ」 「女子高生かよ」 そのわりにはタオル類はすでに洗濯機に放り込まれているのだがな。まぁ、いいか。どこに拘るかは人それぞれだ。 「じゃあ、後で近くのコインランドリーをおしえるよ」 「わかった。……なんか、ごめん。気を悪くした?」 「しないって。こんなことくらいで」 申し訳なさそうに言うアキラに、僕はひらひらと手を振りながら背を向けた。 「外に出たら、ついでにスーパーにも寄ってくるから」 「たすかるよ」 そうしてアキラは時計が十時を回ると、本当に紙袋を抱えて出かけていった。 このマンションでの楽器の演奏可能時間は、十時から二十二時まで。僕もアキラのいない今のうちに今日の練習をすませておくことにしよう。 夏場の昼食なんてそんなに重いものは食べられないので、ソーメンで軽くすませた。 そして、 「僕は午後から電気屋街に行くけど、アキラはどうする?」 「電気屋街?」 鸚鵡返し。 「オレもついていっていい?」 「じゃあ、一緒に行こうか」 話は一瞬でまとまり、食後、ひと休みしてから僕たちは出かけた。 電車にしばらく揺られ、着いた電気屋街最寄りの駅。特に目指す店があるわけでもないので、テキトーにここならあるだろうという店を選ぶ。 「こ、ここ?」 店を前にしてアキラが引き気味に聞いてくる。 そこは身もふたもない言い方をすれば、オタ系のパソコンショップ。いわゆる美少女ゲームと呼ばれるカテゴリの販促ポスターが、店頭ですら遠慮なく貼られている。 「そんなところでなに買うんだよ」 「ちょっとね」 って、別にボカす必要もないのか。 「CDだよ。シンガーロイドの曲の」 シンガーロイド曲の発表の場は主にネット上の動画サイトだが、最近ではそれらの人気作品を集めてCD化されているものも多い。また、人気のシンガーロイドプロデューサがCDデビューなんてことだってある。今日ここにきた理由がまさにそれで、曲を作る上で参考になりそうなCDを探すのが目的だった。因みに、昨日CDショップに足を運んだのも同じ理由だ。 「オレ、ちょっと別の階を回ってくるね」 と、アキラは別行動をとり、僕はひとり映像・音楽フロアへと向かった。 音楽CDのコーナーにはジャパン・ポップスのものはほとんどなく、アニメの主題歌やゲームのサウンドトラックなどがメインだった。そして、その中で最近勢力を広げつつあるのがシンガーロイド系のCDだ。 「僕は流華(ルカ)を使うから……」 同じシンガーロイドを利用したCDを、平台の新譜や棚の旧譜の中から探し出す。試聴できるわけでもなければ、好みのプロデューサがいるわけでもないので、帯に書かれた宣伝文句を基準にして選ぶしかない。 そうやって順々に手に取っていると、 「直臣ー。向こうにすごいのがあった!?」 アキラが慌てた様子で駆けてきた。 「すごいの?」 「お、女の子が裸になってるゲーム……」 彼は顔を真っ赤にして、ぽつりとそう口にした。 「ああ」 納得した。それこそ美少女ゲームだ。うっかりアダルトゲームのフロアに入ったな。 「大人向けのゲームだよ」 「な、直臣はそういうの持ってないよね?」 「今はね」 「今は?」 アキラが首を傾げながら問い返してくる。 「昔、面白そうなゲームがあって、何作かやったことがあるよ」 でも、最近ではやりたいと思う作品がまったくないので、すっかり無縁だ。その後、パソコンも買い替えてしまって、今のマシンには入ってもいない。 「……いやらしい」 アキラは軽蔑したように、そう短く言い捨てた。 「君ももう少ししたらわかるよ」 「わかんない! そんなの一生!」 軽蔑どころか怒り出してしまった。 この時期の男子は、興味を待つか嫌悪感を抱くか、反応が分かれるな。 帯の宣伝文句が謳う曲の特徴を参考に、テキトーにCDを一枚購入して、僕らは家に帰った。 「直臣、これ先に聴いていい?」 そして、買ってきたわりには僕がなかなか聴こうとしないせいか、アキラがしびれを切らしてそう言ってきた。 「ああ。そこのコンポを使うといいよ」 「ヘッドホンもいい?」 「どうぞ」 相変わらずパソコンに向かって作曲中の僕がそう答えると、アキラはさっそく袋から取り出し包装を開けはじめた。 「直臣、コンポもヘッドホンもいいの使ってるよね。ヘッドホンなんてこれだけで三、四万しない?」 「そうだね」 これでも現役の音大生で、耳は肥えている。自分の耳を満足させる機器を選んだら、そうなってしまったのだ。アキラもよく見抜いたものだと感心する。 因みに、デスクトップパソコンも、当時はDTM音源で作曲をする予定などなかったにも関わらず、サウンド重視の構成となっている。まさかこんなかたちで役に立つとは思わなかった。こっちで使っているヘッドホンは、THE・定番とも呼べるモニターヘッドホンだ。 特にコンポの使い方に迷うわけでもなくアキラがCDを聴きはじめたのを見届けて、僕は作業に戻った。 三十分ほどして再びアキラを見ると、彼は目を閉じ、音のひとつひとつまで聞き逃すまいとするかのようにヘッドホンを手で覆い、ずいぶんと真剣に聴いていた。……邪魔をしないほうがよさそうだ。 僕も僕で自分の作業に没頭していると、やがて今まで身じろぎひとつしなかったアキラが動いたのが気配でわかった。再び彼に目をやれば、四つん這いになってコンポを止めにいっているところだった。再生時間的にはまだ余裕があるはずなので、途中で聴くのをやめたのだろう。 ヘッドホンを外すと、アキラは僕に向き直った。感想を尋ねるのも躊躇われるような真剣な顔だ。 「確かネットの動画サイトに、もっといろいろあるんだよね。見せて」 「あ、ああ……」 得も言われぬ迫力に圧されて、僕はパソコンの席を譲った。 アキラは再びヘッドホンを使って聴こうとして、それがモニター用だとわかると「そっちがいい。取って」と手を伸ばしてきた。 そこからの彼は鬼気迫るものがあった。 まずは僕がマイリスト(マイリス)に入れていたシンガーロイド曲を、イントロからサビまでを流すだけで、次々と聴いていった。それが終わると今度は自分で検索をかけて、また同じことを繰り返す。 その姿は、間違っても声をかけられるような雰囲気でなかった。 「……直臣」 そう僕の名前を呼んだのは、僕が部屋の中央のテーブルで楽典の勉強をはじめて一時間が過ぎたころだった。 「面白いね」 僕が振り返るのを待っての第一声がそれだった。 床の座布団に座っている僕は彼を見上げ、アキラはイスに座ったまま僕を見る。首にはまだヘッドホンを引っかけていた。 「オレはただシガロを知ってるだけで、ぜんぜん触れたこともなかったんだけどさ――再生回数が多くて、殿堂入りっていうの? こういう曲を作れる人って、きっと一度はちゃんとした音楽の勉強をしたんだろうね。それにもったいないくらいの才能ももってる。あまり注目されてない曲は、作りが素人くさくてちょっと残念な感じだけど、熱意はすごく感じる」 そこには強く憧憬の念を露わにしたアキラがいた。 「こんな世界があるんだね。売り上げなんか関係なくて、人気とかランキングとかは二の次で、みんなただ純粋にシガロが好きだから曲を作ってる」 彼はそこで一度言葉を切り、 「面白いね」 一拍おいてから、改めてそう口にした。 そして、 「直臣」 遠慮がちに、でも、どこか熱を帯びたような口調で、アキラは僕の名を呼ぶ。 「オレもやってみたい。直臣さえよかったら、直臣のを手伝わせてよ」 「……」 直感だが、このとき僕はアキラにやらせるべきだと思った。 いろいろ嫌になって飛び出してきた彼。それはこれに出会うためだ、などと知ったふうなことを言うつもりは毛頭ないが、ここで彼がこれをやりたいと言い出したことは何か重要なことのように感じるのだ。 「そうだね。一緒にやろうか」 「ほんと!?」 「ああ」 僕はうなずいた。 別に僕は、何としても独力でやり遂げたいわけでもないし、どうせ行き詰ってもいる。ならばアキラと一緒にやるのも悪くはないだろう。 「じゃあさ、せっかくやるなら話題になるようなすごい曲を作ろうよ」 「いいね」 笑って同意する。 が、実のところ、僕はそこまで結果は求めていなかった。目指していないわけでも、情熱がないわけでもない。でも、注目される曲なんてほんのひと握りで、多くは見向きもされずに消えていく運命にある。だから、きっと僕が、いや、僕とアキラが会心の曲を作り出したところで、ろくに注目もされないまま次々と生み出される同様の作品に埋もれていくのだろう。 志をもち、努力したものすべてが報われるなら苦労はしない。最高のパフォーマンスを発揮したところで、理由も告げられぬまま首を横に振られるなんて、石を投げれば当たるくらいよくある話だ。 これでも努力や挑戦を無駄なものと切り捨てているつもりはない。たとえ結果が伴わなくても、たとえ人生の主旋律に関係がないことであっても、やり遂げたことは必ず何かの糧になると思っている。 それすらも信じられないほど、僕は諦めてはいないつもりだ。 「うーん……」 パソコンに向かう僕の後ろで、アキラが悩ましげに唸った。 今彼は、作詞は自分がすると言って、床のテーブルで作業中なのだが、きっと行き詰まっているのだろう。ちょうどキリのいいところにきていた僕は、イスを回転させ、アキラに体を向けた。 「悩んでるのか?」 作曲と同じく作詞なんてやったことがないから何とも言えないが、一朝一夕でできるものではないことくらいはわかる。 しかし、アキラの返事は予想に反したものだった。 「できた」 「できた?」 思わず僕の口から間の抜けた鸚鵡返しがもれる。 「はい」 と、差し出してきたのは、僕が貸したルーズリーフ。それが二枚。見ればその二枚ともに歌詞らしきものが書かれている。少女のような彼の見た目通りに丸っこい、かわいらしい字だった。 夕食を食べてからそれそれ作業をはじめ、そろそろ二時間がたとうとしている。その二時間で二作書き上げたのか? 「裏もあるよ」 「……」 ああ、そうだったな。ルーズリーフには裏もあるんだったな。 裏返せば同様。これで四作だ。 「見ていい?」 「もちろん」 僕はさらっと四作の歌詞に目を通した。……ちゃんとメロディをつけることを意識とした歌詞の形式になっている。それに悪くない。いや、むしろいいと思う。ただ……、 「ポップスっぽいな」 「だよねぇ」 項垂れるアキラ。 そう。非常にポップスっぽいのだ。テレビを点け、チャンネルを歌番組に合わせれば、いくらでも耳にしそうなフレーズばかりだった。 「でも、いいんじゃないか? 何が不満なんだ?」 「なんていうかさ、いかにもシガロっぽい尖ったセンスの歌詞にしたいんだよね」 「……」 いるか、それ? 「もう! さっき言ったじゃない。話題になるような曲にしようって。だったら、こんなありきたりの歌詞じゃなくて、シガロの世界でウケるものにしないと」 僕の怪訝そうな顔を見て、彼は怒り出す。 「直臣さ、どんな曲にしたい?」 「僕? そうだな、とりあえず僕は人間が歌えるものにしたいな」 奇妙に聞こえるかもしれないが、実際に発声するのはパソコン上で動作する音声合成ソフトなので、極端なことを言えば人間に必要な息継ぎ(ブレス)などは考えなくていいのだ。そういうシンガーロイドならではの曲作りもひとつの手ではあるが、やはり自分で口ずさめる曲のほうが親近感がわくというものだろう。 「後はノリがよければ何でもいいよ」 「漠然としてるなぁ」 アキラが呆れる。 「まぁ、できるだけその方向で考えてみるけど。……さて、オレはもう少しいろんな曲を聴いてみることにしようかな。直臣、パソコンがあいてるなら少し使わせてよ」 「ん? ああ」 どうやらアキラは作詞の参考に、もっと多くの"尖ったセンス"に触れようと思っているらしい。 僕はDAWを一旦終了させ、ブラウザで動画サイトを開いてから、アキラに席を譲った。コーヒーでも飲もうとその足でキッチンスペースに向かう。 「何この化石みたいな小説サイト!」 その背にアキラの悲鳴じみた驚嘆の声が浴びせられた。 「それはほっといてくれ! じゃなくて、ほっといてやれ」 思わず何かが憑りついたみたいに抗議の声を上げてしまった。 ていうか、普通にネットサーフィンしてるのか? 動画サイトを見るんじゃなかったのかよ。 「わ。こっちにはアダルトサイト!」 「待て。ブラウザのブックマークなんてある意味プライベートな領域なんだから、あまり――」 「信じらんない! サイテー! いやらしい!」 あわてて戻ってきた僕の顔に、クッションが飛んできた。 どうやら心身ともに潔癖症らしい。 それから二日後のことだった。 夏休みで学校がないからといって曲作りばかりできるわけでもなく、家事もあれば勉強もあるので、作業は遅々として進んでいない。 作詞担当を自称するアキラも相変わらず満足いくものが書けないようで、僕がパソコンを使っていない合間に気分転換とばかりに作曲をやったりもしている。 が、その日の昼過ぎ、 「直臣、ちょっと出てくる」 心なしか怒ったようにそう言って立ち上がると、慣れた調子でロフトへ駆け上がっていった。 「どこに行くんだ?」 「ちょっとね。……いってきまーす」 そして、今度は滑るように降りてくると、フローリングの居室を横切って出ていってしまった。もちろん、テーブルの上のスマートフォンを持っていくのは忘れていない。 「あ、ああ。いってらっしゃい」 僕は呆気にとられたように彼を見送った。 フットワークの軽いやつだな。まぁ、家出をするくらいなのだから、それも当然か。 それから一時間が過ぎたころ、不意に僕のスマートフォンが着信を告げた。 アキラからだった。 「もしもし。どうした?」 すわ迷子かと思ったが、何度もひとりでスーパーやコインランドリーに行っているので、今さらそれはないだろう。 『直臣、悪いけど迎えにきてー』 「は?」 まさか本当に迷子、か? 指定されたのは先日行ったばかりの電気屋街。そこに軒を並べる有名家電量販店のひとつだった。 行くと確かにアキラの姿があった。パーカーのフードをかぶっていたが、すぐにわかった。というか、夏の最中にそんなスタイルをしているのは彼くらいのものだ。 アキラは店の前で歩道と車道を隔てるガードパイプに軽く腰掛け、暇つぶしにスマートフォンをいじっていた。足もとには量販店のロゴが入った袋と大きめの箱。 「アキラ」 僕が呼びかけると、彼はフードを外して笑顔を見せた。 「いったい何を買ったんだ?」 「これ? シガロ関係のソフトをいくつかと、ノートパソコン」 「……」 思わず唖然としてしまう。 「いや、だってパソコン一台じゃぜんぜん捗らないじゃない? もうイライラしてきてさ」 不貞腐れたように言うアキラ。 それで衝動的にこんなものを買ったのか。確かにこの面積のわりには厚みのない箱はノートPCのものだ。 「よくそんなお金があったな」 「カードがあるから」 なるほど。最近の家出少年は準備がいい。現金だけじゃなくて、カードも持っていたのか。 「でさ。買ったはいいけど意外に重くて……悪いけど、運んでくれない?」 「僕はポーターか。……まぁ、いいけどさ」 それで僕を呼んだんだな。 そっちは自分で持てよ、とソフトが入った袋はアキラに任せ、僕はノートPCの箱を持ち上げた。両方持てば手がふさがってしまうが、重いと言うほどでもないような気もする。 「これで少しは作業がやりやすくなるんじゃない?」 「かもね」 「CPUパワーとメモリには余裕を持たせてあるんだけど、どうしても音周りに限界があるから、微調整は直臣のデスクトップでやらせてね?」 荷物を持って僕たちは駅に向かって歩き出す。 道々僕らは曲の構想について話し合った。今の時代、わからないことがあればすぐにネット、暇つぶしはスマートフォン、と、何かと機械に頼りがちだが、そんな情報端末をもたず、こうしてひたすら言葉を重ねるというのは、とても貴重な時間に思えた。 2014年1月26日公開 |
|
BACK INDEX NEXT |
|