どう贔屓目に見積っても課題は山積みだった。
 MMDを使ってプロモーションビデオを作る上で最低限必要であろうものをひとまずピックアップしてみる。
 ・3Dモデル
 ・モーションデータ
 ・WAVファイル
 ・ステージデータ
 これらに加えて演出のための各種エフェクトやアクセサリetc...。カメラワークも考える必要があるだろう。そして何より、まずはMMDというツールの操作を覚えるところからはじめないといけない。
 さっそくツールをダウンロード。ついでに普段からMMD関連の動画を見ていて気に入っている3Dモデルも落としてくる。白いミニ丈ワンピース姿の流華だ。
「ふうん。こういうのが直臣の好みなんだ」
 後ろで立って見ていたアキラの納得したような声。
「なに?」
「別に」
 ツールを立ち上げ、3Dモデルを読み込んでみる。画面中央に現れたのは棒立ちの流華。今まで僕が見た動画のものに比べて飾りっ気がないように感じるのは、それぞれの動画師が雰囲気に合わせて改変しているからなのだろう。
 3Dモデルに重なるかたちでボーンと呼ばれる基礎構造が表示されていて、これに設定されたポイントポイントを動かすことでポーズをつけることができる。足などはインバースキネマティクスによって関連するボーンの角度も自動計算されるから、勝手に連動してくれるようだ。が、僕があまりにもいいかげんに動かしたものだから、見るも無残な状態になってしまった。一旦初期化。
 続けてカメラの動きを確かめるため、操作対象をモデルからカメラへと切り替える。理屈はすぐには理解できなかった。目標点を決めてそれに対してカメラがどの位置にあるか、という考え方でいいのだろうか。気ままに操作してみる。カメラを近づければモデルがアップで映し出され、遠ざかればロングショットになった。回転させれば前後左右あらゆる角度から映すことができ、上げれば上から見下ろすような角度、下げれば下から見上げるようなアングルになる。
「……」
 さらに下げてみる。
 まだまだ下げてみる。
 と、アキラにクッションでぶん殴られた。フルスイングだ。
「信じらんない! なに女の子のスカートの中、覗こうとしてんのさ!?」
「いや、男だったらやりたくなるだろ?」
「知らない、そんなの!」
 ばふっ、と続けてもう一発。埃がたつからパソコンの前でそういうことはやめてほしいのだがな。
 久しぶりにアキラの潔癖症が出たようだ。
 
 
 翌日、
 操作方法を理解すればするほど、その分だけこれからやろうとしていることの困難さが際立つ結果となった。
 やはりネックはモーションだ。
 スタンダードにモデルを躍らせるにしても、モーションデータがなければどうしようもない。既存のものを切り張りしたところで、僕たちの曲『UNDER THE ROSE.』に合うものになるはずもない。では、歌をBGMにドラマのワンシーンのようなプロモーションビデオを作るか? それはそれで自然な動きが要求されて、下手をするとモーションデータを読み込ませるよりも難度が高くなりそうではある。
 やはりいちばん手っ取り早いのは、誰かにこの曲でオリジナルの振り付けで踊ってもらい、それをトレースすることだろう。が、残念ながら、僕の周りにそんな創作ダンスのできるやつはいない。
 振り返れば、アキラもまた自分のノートパソコンの前で難しい顔をしていた。
 その姿を見て、僕はもう諦めるべきだと思った。面白い案ではあるし、アキラがやりたがっているから実現したいが、さすがにこれは僕らの手に負えない。少なくとも一朝一夕でできることではない。僕たちの最大の目的は曲を作り、公開することであって、それは達成しつつあるのだ。にも拘らず、こんなことに拘泥して足止めを喰らうくらいなら、ここはもう潔く切り捨てるべきだろう。
 諦めよう――そう口を開きかけたときだった。
「ごめん、直臣。しばらく出てくる」
 アキラがノートパソコンを閉じ、立ち上がった。
「出てくるって、どこに?」
「ちょっとね。もしかしたら何とかなるかもしれない」
 そう僕と言葉を交わしながら、アキラはロフトに上がると財布を手に再び降りてきた。そのまま今度はテーブルの上のスマートフォンをつかみ、「いってきまーす」と外に出ていってしまった。
「……」
 あまりの行動の速さに、僕は呆然とする。
 前にもこういうことがあったな。
 
 
 
 そう。確かに前にも同じことがあった。だから今回もすぐに帰ってくると思ったのだが、しかし、アキラはいっこうに戻ってくる気配がなかった。
 時刻は午後六時になろうとしている。
「あいつ、いったいどこで何をしてるんだ?」
 連絡もしないで。
 少し苛々している自分がいた。僕の夕食は誰が作るんだ? ……ああ、自分で作ればいいのか。アキラがくる前はそうしていたのだし。仕方がない。何かテキトーにインスタントのものですませるか。
 僕は立ち上がり、キッチンスペースへと移動する。
 ここ最近はずっとアキラがちゃんとした食事を作ってくれていたおかげで、インスタント食品を突っ込んだ戸棚とはすっかりご無沙汰だった。こんなものを食べていたら、またあいつに怒られそうだ。それに自分だけ食べればいいという考えもどうかと思う。
 なら――よし、今日は僕が二人分作るか。アキラが驚くようなものを作って、僕もまともな食生活が送れるところを見せてやろう。
「ていうか、本当に遅いな」
 玄関ドアに目をやる。今にも「ただいまー」とアキラが勢いよく入ってくるような気がするが、それは僕の単なる願望に過ぎず――実際にはテレビから報道番組が垂れ流されている以外は、静寂が降りたままだった。
 居室の窓から外を見てみれば、少しずつ暗くなりはじめていた。そろそろカーテンを閉めないとな。
 と、そのとき、ライティングデスクの上に置いた僕のスマートフォンが鳴った。駆け寄ってディスプレイを見ると、案の定、そこにはアキラの名前があった。
「アキラか!?」
『うわ、びっくりした!』
 間違いなくアキラの声だった。
『直臣、なに慌ててんのさ?』
「お前が連絡しないからだよ。今どこにいるんだ? どこに迎えにいけばいい?」
 しかし、アキラは申し訳なさそうに言う。
『あー、ごめん。今日は帰れそうにないんだ』
「は?」
 思わず僕の口から間の抜けた声が漏れる。
「帰れないって、じゃあ、夜はどこに泊まるんだよ。ていうか、お前、今なにやってるんだ?」
『今に直臣にもわかるよ。だから、それまで内緒。大丈夫。こっちで普段からお世話になってる人のところに泊めてもらうから』
「本当だろうな?」
『ほんとほんと』
 電話の向こうで笑うアキラ。
「ならいいけど」
『……』
「……」
『直臣、もしかして心配してくれてる?』
「そんなんじゃ――」
 からかうように聞いてくるアキラに言い返そうとし――やめた。
「……してるに決まってるよ」
『そっか。じゃあ、なるべく早く帰る』
「早くって、いつ?」
『んー、そうだな。直臣も二日で仕上げたし、オレも二日で。明後日には必ず連絡を入れるよ』
「わかった。待ってる」
『うん』
「……」
『……』
 これで話は終わったはずなのだが、自分から切る気になれず――そして、アキラも電話を切ろうとしなかったので、無駄な沈黙が生まれてしまった。
 やがてアキラが口を開く。
『直臣さ、さっきからオレのこと"お前"って言ってるよね?』
「え? あ、悪い。つい勢いで……」
 言われて初めて気がついた。確かにそうだ。
『いいよ。"君"より"お前"のほうがオレは好きだな。"君"はなんか他人行儀』
「そう?」
 まぁ、何をどう感じるかなんて人それぞれだしな。
『じゃあ、明後日、連絡するから』
「ああ」
『直臣はその間、MMDを使えるようにしておくこと』
「わかったよ」
『オレがいないからってインスタント食品ばっかり……って言っても無駄だろうなぁ。いいや、許す。今日、明日はいいけど、明後日からはまたオレがちゃんと作るからね』
「はいはい、わかったよ。お前は僕の嫁さんか」
『よ、嫁!? も、もう、変なこと言わないで! 切るからねっ』
 こうして電話は唐突に切られたのだった。
 最後の裏返った声のおかげで耳が痛いが――まぁ、いい。アキラの声が聞けたので安心した。どうやらアキラにはアキラの考えがあるようで、今は彼の帰りを待つことにしよう。
 
 
 アキラのお許しが出たので、インスタント食品で夕食をすませる。急なことで仕方がないが、明日はもう少しまともなものを食べることにしよう。今までだって多少気持ちが荒んでいても、これよりはましな自炊をしていたのだから。
 食後、アキラに言われた通りMMDに慣れるべくツールを立ち上げる。
 試しに流華にモーションデータを読み込ませると、見事に踊り出した。これはこれで確かに感動するのだが、その一方で3Dモデルとモーションデータがあればこれくらいは誰でもできるという証左でもあった。暴論を承知で言ってしまうと、世に出回っているMMD動画のほとんどは配布されているモデルとモーションの組み合わせだとも考えられる。もちろん、3Dモデルを自ら改変するものもいれば、実物の人間が踊る動画から丁寧に時間をかけてモーションをトレースするものもいるわけだから、そんなふうにひとくくりにすると怒られてしまうだろう。
 では、既存の3Dモデルと既存のモーションデータを使った動画でオリジナリティを出すにはどうすればいいだろうか。
「こうなると、やはりカメラワークだろうな」
 僕には本当にそこがポイントなのかはわからないが――こうして遠くもなく近くもない固定カメラで、踊るモデルをひねりもなく映していると、しみじみと感じるのだ。カメラワークとは非常にセンスを求められる要素なのではないかと。モデルの改変やモーショントレースにセンスは関係ないとは言わないが、技術と経験でカバーできる部分も多い気がする。だが、それに比べるとカメラワークは純粋にセンスの世界に思えてならないのだ。だからこそ動画のオリジナリティへと直結する。
 僕たちは、モーションに関してアキラがどういう解決方法をもってくるかはわからないが、曲は独自のものを使うので、この時点ですでにオリジナリティはあると言えるだろう。だが、それでもカメラワークの問題は避けて通れないものになるはずだ。
 ふと時計を見ると、もうけっこうな時間になっていた。ひとまずシャワーを浴びて、真夏の一日の汗を流す。脱衣場で寝間着代わりのTシャツとスウェットを着込むと、エアコンの効いた居室で体温を下げながらもう一度MMDをひと通りいじり、それから寝ることにした。
 時間はいつもより遅く、二十三時過ぎ。
 ずいぶんと不健全だな。日付が変わる前に就寝とは、夏休み中の学生の正しい姿とは思えない。
 
 
 
 奇妙な言い方だが――朝は静かすぎて目が覚めた。
 普段なら七時過ぎに目を覚ますと、すでにキッチンスペースでアキラが朝食を作りはじめているのだ。そのまま起きないでいるとアキラに怒られるので、朝食の準備が整うまでには起きるようにしている。
 そんな朝の風景がないというのはどうにも不思議な感じで、その違和感で目が覚めたようなものだった。
 夏の日の出は早い。外はもう明るくなっていて、カーテン越しの光の中に部屋の様子がぼんやりと浮かび上がっていた。ロフトを見上げてみるが、当然アキラの姿も気配もない。久々にひとりの朝だった。
 布団の上で体を起こすと、まずは静寂を埋めるようにテレビを点けた。それから着替えて顔を洗う。朝食はトーストとベーコンエッグをインスタントコーヒーで流し込んですませた。
 後片付けまで終わると、その後は何かしなければいけないことがあるわけでもなく。あるとすればMMDに慣れておくことくらいだ。が、あまり気分がのらず、十時になると同時にピアノの練習をはじめた。
 最初に『UNDER THE ROSE.』を弾こうとし――途中でやめた。ラフマニノフに変更。ただし、まだまったくものにできていないので、もはや単なる騒音のレベルだった。
 鍵盤を叩いていると、ピアノ以外の音が混じったような気がして手を止める。音源はすぐにわかった。ライティングデスクの上のスマートフォンだ。しまった、と舌打ちしつつ駆け寄る。ディスプレイに映ってたのは但馬陽輝の名前で、僕は何かに落胆しながら音声通話をつなげた。
「ん。もしもし」
『うお。ヤベェ。マジ落ち込んでる!?』
 但馬の第一声がそれだった。
「落ち込んでるわけないだろ」
 図星を突かれたような気がして、僕は言い返す。
『いや、普通落ち込むだろ』
「そうか?」
『お前ね、メンタルどれだけセメントなんだよ。俺だったら彼女と別れたら落ち込むぞ』
「ああ、そのことか」
 すっかり忘れていた。このところ曲作りで忙しかったからな。
『何のことだと思ったんだ?』
「こっちの話。気にしないで」
『にしても勿体ないことしたよな』
「仕方ないだろ。鹿角さんから切り出してきたんだし」
 あれを理由にされたら反論のしようがない。仮に僕が考え直してくれと懇願したところで、鹿角さんが一度決めたことを覆すとは思えない。実際のところ、練習に集中云々はわかりやすい口実でしかないわけだし。
 しかし、続く但馬の言葉は予想外だった。
『いや、鹿角が。狐塚を振るたぁね。早まったことを』
「それは僕だけが彼女のわがままにつき合えるっていう意味? そうだとしても鹿角さんは僕の音楽的才能に見切りをつけたんだ。仕方がないよ」
 そう。本当の理由はこれだ。
 音楽の申し子、鹿角水緒美にとって音楽的才能は男を測る上で重要な要素なのだ。それを僕は別段不思議なことだと思わない。容姿、性格、地位、財力……意識無意識にかかわらず異性に求めるものとその基準(ボーダー)は誰にだってあるだろう。彼女が男に求めるのは音楽の才能であり、僕はそれを満たしていなかったのだ。
『まさしくそこがさ。これは俺の勘だけど、狐塚はいずれ音楽の世界で何かをすると思ってる。派手なことじゃないな。有名なアーティストのために曲を書くとか、その曲で自らもピアノを弾くとか。人目には触れにくいけど重要な役割だ』
「まさか」
 曲なんてこれが初めて、それもアキラと一緒になってようやく完成にこぎつけたというのに。確かに音楽で食べていきたいとは思っている。だが、それは作曲ではないだろう。僕としてはどこかでピアノか楽典、あるいは音楽史が教えられたらと考えている。
『音楽的才能が基準なら、なおさらお嬢様は狐塚を手放すべきじゃなかったな。お前は大器晩成型だよ。後で悔しがる鹿角の姿が目に浮かぶってもんだ』
「……」
 僕はさっぱり浮かばないのだがな。
「僕に何か用があったんじゃないの?」
『ああ、そうだった。今いいか?』
「これだけ話しといて何を今さら。いいよ、いまいち気分がのらないしね」
 とは言え、但馬は別に何か大事な話があったわけではなく、単に雑談がしたかっただけのようだった。もしかしたら鹿角さんと別れた僕の気晴らしのつもりだったのかもしれない。
 結局、僕たちは昼食の時間まで、シンガーロイドの曲や曲作りについてだらだらと話し合った。
 
 
 2014年2月15日公開

 


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