その夜はアキラが鍵を持って出ていない可能性を考えて、玄関の鍵を開けたまま寝ずに待っていた。 間、MMDを立ち上げ、もう少しどうにかよくできないものか考えてみる。曲は手の加えようがない、というか、その必要がないから、手直しをするとしたら動画のほうだろう。数々の秀逸なMMD動画と比べると、やはり僕たちのは致命的に拙い。彼らのレベルに達するには時間と経験が必要だ。それでもどうにかと試行錯誤、悪戦苦闘してみるが、やはりというべきか、たいした改善にはなりそうにない。もとより今の僕では、ステージやエフェクトを変えるくらいしかできず、経験によるセンスが養われていない以上、効果が上がらないのも当然だ。 そんなことをしているうちに夜が明けてしまった。常識的な時間になるのを待ってから思い切って電話をかけてみたのだが、アキラは出てくれなかった。とりあえず心配している旨のメールを送っておく。 簡単に朝食をすませると、僕はぶらぶらと街に出た。 電気屋街でシンガーロイドのCDと、何か考える足しにでもなればとMMD関係の書籍を物色し、その後、馴染みのターミナル駅の駅前にある大手CDショップでポップスとクラシックのコーナーを見て回る。その辺りで昼どきになり、手っ取り早くハンバーガーショップに入った。 全面ガラス張りの窓に面した席で外を見て、ああ、と僕は思う。 ここは初めてアキラと会った日に、一緒に入った店。今見ている景色は、あのとき一緒に見た街の風景。 そうか。つまり僕は今、アキラを探しているのか。 午後もダンススタジオに行って表から見上げてみたり、一度帰ってアキラが戻ってきた気配がないことを確認した後、自転車で学校へ行ってみたりもしたが、フードをかぶった少年の姿はどこにも見当たらなかった。 そんなことを二周繰り返し、夕方になってスーパーに寄ってから家に帰るころには、僕はかなり消耗していた。そう言えば、昨日は寝ていないんだった。さすがに今夜は寝ないと死ぬなと思った。 夜になって本日二通目のメールを送る。僕は寝るので、もし鍵を持ってないならインターフォンかケータイを鳴らせ、と。結局、アキラが帰ってくることはなく、インターフォンも端末も鳴らず――寝不足も手伝ったおかげで朝まで寝てしまった。 約半月ぶりにアキラのいない朝を迎える(実際には昨日もそうだったのだが)。 と同時、静かすぎる朝の中に、何となく予感めいたものを感じ取ってしまった。たぶんアキラはもうこの部屋には帰ってこないだろう、と。 その翌日から、僕がアキラに送るメールが少し変化した。 ――おはよう、アキラ。今日は一日出かけているので、もし戻ってくるなら電話してくれ。そのときはできるだけ早く帰るようにするから。 ――今ごろになってまた台風が近づいているらしい。まさかと思うけど、まだ家出中だったりしないよな? ――用があって学校に行ったら、帰りにゲリラ豪雨に遭ったよ。 ――相変わらず暑いけど、そっちは大丈夫? ――昨日、すごくいいシンガーロイドのオリジナル曲を見つけた。URLを張り付けておくよ。……僕も負けていないと思うのだけど、どうだろうか。 一日一回か二回の世間話みたいなメール。アキラはもうここには戻ってこないだろうけど、いつかまた会うときのためにつながりは断ちたくなかったのだ。 返事はないけれど、別によかった。気が向いたときにでも何か書いてくれたらいい。願わくば、アキラが自分を取り巻く世界とうまくつき合って元気でいてくれたらと、そう思うだけだ。 しかし、アキラから連絡があったのは思ったよりも早く――九月最後の金曜日だった。 何気なくカレンダを見て、夏休みももう一週間を切ったなと思ったその日の夕方。 僕のスマートフォンにアキラから電話がかかってきた。 「アキラか?」 『……』 僕は自分でも意外なほど落ち着いて対応できたのだが、しかし、アキラのほうが無言。 「アキラ?」 『あ、ご、ごめん。どんなしゃべり方していいか迷って……』 「変なことで悩むんだな。今まで通りでいいだろ」 久しぶりだから緊張でもしているのだろうか。 『もしかして、わ……オレの荷物、ぜんぜん触ってないの?』 「触るわけないだろう」 『あ、そうなんだ』 どこか拍子抜けしたふうのアキラ。 人の持ちものを漁る趣味はない。とりあえずノートパソコンはロフトに上げさせてもらったが、それ以外はアキラが出ていったときのままだ。おかげで僕はロフトに上がれないでいる。そして、アキラはそんな僕の部屋にある自分の荷物について、何も触れなかった。取りに行くとも、送ってくれとも。 『直臣さ、今、家にいる?』 「ああ、いるよ。もしかして……その、戻ってくるのか?」 『ごめん。今はむりなんだ』 「そうか」 思わず期待してしまった。それもそうか。ここがアキラの家というわけじゃないのだから。 『……』 「……」 そして、沈黙。 やがてアキラがつぶやいた。 『どうしてこうなったんだろうね』 「お互い曲に対する考え方がちょっとだけ違ってたんだよ」 ほんの少しの違い。 なのに、僕はアキラの想いをわかってやれず、自分の気持ちすらも口にして彼に理解を求めようとしなかった。そのせいでこんなことになってしまったのだ。ほんの少しの違いだったはずなのに。お互いに理解できない違いではなかったはずなのに。 『あは。なんかバンドの解散の理由みたいだね』 アキラはぎこちなく笑う。 『……じゃあ、また一緒にやれるかな?』 「もちろんだよ」 決定的ではない、ほんの少しの違いだから。それはきっと埋められる。 それに僕はもう間違わない。 「またやろう」 『うん』 アキラは電話の向こうでうなずく。 『直臣、今まで連絡しなくてごめん。それからメール、ありがとう。毎日ちゃんと読んでたよ。嬉しかった』 「ああ」 あんなのは僕が勝手に送りつけていただけのものだ。一歩間違えればストーカー。最近では大量のメールでもストーカーとして注意を受けるらしいし。 『いろいろむりな予定をねじ込んじゃったから忙しくて、返事は返せなかったけど……でも、おかげでうまくいきそう』 何のことだかわからなかったけど、アキラが自分の世界に戻ったことだけはわかった。きっとそれはいいことなのだろう。 『だから、今日のMスタ見てて』 「Mスタ?」 ミュージックスタジオ、通称、Mスタ。僕は日本のポップスに興味は薄いが、そんな僕でも知っていることがいくつかある。Mスタは毎週金曜日放送の定番の歌番組だ。 「何かあるのか?」 『見てたらわかるよ』 アキラはいたずらっぽく笑う。 『あ、そうそう。直臣って鈍いよね。ホント信じらんない』 「何だよ。僕が何かしたか?」 『知らない。……いいから、Mスタちゃんと見てよ? 約束だからね』 「あ、ああ」 『じゃあね、直臣』 そうして電話は切れた。 「……」 久しぶりにしてはあまりにも短い会話を、少し寂しく思う。でも、電話は切れてもつながりは切れていない。今はそれがわかっただけでよしとしておこう。 スマートフォンを置くと、僕は新聞を手に取った。テレビ欄を広げる。九月の番組改編期のせいで、どの局も七時以降は特番ばかりだ。早いところは六時からはじまっている。Mスタもそう。"夏のハイパーライブ20XX"と題して、七時から十一時までの四時間ぶち抜きの生放送らしい。しかし、番組名の後は出演するアーティストの名前がずらずらと並んでいるだけで、アキラがなぜこれを見ろと言ったのかさっぱりだった。 時計を見ると午後五時を過ぎたところ。 まだ時間があるが、いろいろやっていたらすぐにその時間になるだろう。実際、ピアノの練習に夕食とその後片付けをしていたら、七時はもう目の前に迫っていた。 番組は、正確には午後六時五十八分というわけのわからない時間からはじまった。テレビ業界的には何か意味やメリットのある時間設定なのかもしれないが、一般人であるところの僕には理解不能だった。 会場はどこかのイベントホールのようだ。司会は、すっかり司会業が板についた男性コメディアンと女性の局アナ。冒頭の挨拶では会場がどこであるかと観客の数、出演するアーティストが過去最多人数であることが告げられ、それが終わるとさっそく司会による紹介とともにアーティストたちが次々と登場する。 僕は何ひとつ見逃すまいと、テレビの前で片膝を抱えて画面を見つめた。 まず登場したのは今年メジャーデビューした若手のバンドで、現在大ブレイク中なのだそうだ。僕は知らなかった。次に出てきたのはバラエティ番組の企画で誕生したユニット。大物気取りなのはわざとなのか素でやっているのか。どちらにしても寒い。それからガールズユニットや、集団戦術型アイドルグループの元祖などが続く。 真ん中を過ぎたあたりから誰もが認めるベテランが登場しはじめた。実力派のソロ歌手や男性アイドルグループ。人気バンドのボーカルが別メンバーを集めて結成したユニットもあった。僕としてはもとのバンドのほうを優先してほしいところだ。 さらに本格派のダンスグループや、80年代、90年代に誕生し今なお活躍しているロックバンドが続く。 そして、トリを務めるのは、これまでのある種の年功序列を覆すような、もはや集団戦術を越えて人海戦術の域に達したアイドル集団だった。CDの販売でも物量作戦を展開していて、売り上げや人気を考えるならこの順番も妥当なのかもしれない。 雰囲気的にこれが最後だろう。ここまでは変わったところはなかった。 『そして、最後は小比賀晶子さーん』 トリよりも後、大トリとでも呼ぶべきか、最後の最後に現れたのは弱冠十八才の歌姫(カリスマ)、小比賀晶子(こひが・しょうこ)――。 彼女は司会の局アナに紹介されると、優雅に頭を下げ、応えた。 「……」 そして、僕は言葉を失う。 なぜなら、そこにアキラがいたからだ。 あの少女のような少年は、清涼感ある白のドレスを身にまとい、まさしく少女としてそこに立っていた。 『小比賀さんは体調不良のため活動を休止していましたが、一ヶ月の療養を経て復帰。このたび、このMスタハイパーライブに駆けつけてくださいましたー』 盛り上げる司会と、それに煽られて歌姫の登場に沸く観客。 彼女は、リハーサルからそう決められていたのか、司会のすぐ横に立った。司会は出演者ひと組ずつに声をかけていく。当然、アキラ――小比賀晶子にも声をかけるが、勿体つけたように最後だった。挨拶と短いやり取りが交わされたが、もう僕の耳には入っていなかった。 「お前、女だったのか……」 思わずうめく。 確かにアキラが女の子だったと考えるほうがしっくりくる。 少女のような容姿。 潔癖症だと言って隠してきたもの。 それに重ねて、アキラが歌姫と称される小比賀晶子だったのなら、さらに納得がいく。 シンガーロイドで曲を書く彼らの、人気に拘らないスタイルに憧れたこと。 作詞やダンスといった尋常ではない才能。 歌が上手いのも当然だ。 すべてを投げ出してただの"アキラ"でいたかった理由や、そもそも家出をしてきた理由も、アキラがこんな世界に生きているからこそのものだったのだろう。 そして、 ――オレのあっと驚くような秘密をおしえてあげるって言っても? 確かに驚いた。声なんて出ないほどに。 (でも、お前は僕にこれを見せたかったのか……?) まだ何かある気がした。 ミュージックスタジオのハイパーライブは、オープニングでの登場の順番が歌う順番になっているわけではないが、しかし、小比賀晶子の登場の仕方や紹介のされ方を見るに、今回の目玉として扱われているのは確実だろう。おそらく彼女が歌うのは最後だ。加えて、出演アーティストが一堂に会するのはオープニングだけなので、彼女の出番までわざわざテレビの前でじっと待っている必要はない。 だが、それでも僕はどこかで映るのではないかと、そのときは見逃すまいと、テレビの前で身じろぎひとつせず画面を凝視し続けた。 ふと、考える。 アキラが『UNDER THE ROSE.』に拘り、焦っていた理由。それはこんな世界に生きていて、僕が当然あると思っていた"次"が、アキラにはなかったからではないだろうか。自分の世界に戻ってしまえば、一介の音大生と遊びで曲を作っているような時間などないから。 実際、アキラはこうして小比賀晶子として復帰した。つまり――、 「……」 そうか。もうアキラと一緒に曲を書くことも、動画を作ることもないんだな。『UNDER THE ROSE.』が僕たちの最初で最後の作品になるのか。 テレビの画面を睨みつけながら、つらつらと考えごとをしたりアキラのことを思い出したりしているうちに時間は過ぎていった。番組を見ながら飲もうと思って用意したアイスコーヒーが、手をつけられないままグラスに結露をまとっていく。 そうして番組の最終盤。 ついにアキラ――歌姫・小比賀晶子の出番となった。 司会とともに並ぶアキラが映っている。 小比賀晶子は十代、二十代から熱狂的な支持を受けるカリスマだ。しかし、親近感をもたれるタイプではなく、むしろ超然としていて近寄りがたい。だからこそ、若ものの信仰心を集め、偶像(アイドル)たり得るのだろう。彼女は小柄で僕よりも年下であるはずなのに、決して美少女なんてかわいいものではなく、すでに"美女"の風格を備えていた。……僕の知っている、よくしゃべり、よく笑うアキラとは大違いだ。 司会とのトーク。 局アナから女性らしい質問がなされる。髪を短くされたんですね。はい、気分を変えたくて。とてもよく似合ってますよ。 僕はこれまで興味をもって見てなかったから、小比賀晶子について知っていることは少ない。歌姫と呼ばれていること。多くのファンがいること。それに値するだけの歌唱力を持ち合わせていること。そして、確かにたまたま何度かテレビで見かけた彼女は髪が長かった。切ったのはあの日、アキラが僕の家にきたときだろう。……なるほど。それで僕はアキラと小比賀晶子が結びつかなかったのか。尤も、小比賀晶子というアーティストのことを気にも留めていなかった僕のことだから、そのままの姿で現れても気づいたかどうか。実際、ダンススタジオでウィッグをつけたアキラを見ているが、連想すらしなかった。 続けて曲の話題に移った。 それによれば彼女は今回、二曲歌うのだという。 (おいおい) ひとつはこれが初披露となる新曲で、 (ちょっと待てよ) もうひとつはすでにネットの動画サイトで原曲が公開されているのだという。 (だから待てって) 彼女は語る。この曲は療養中に大切な友人(誰だよ?)と一緒に作ったのだそうだ。今回はそれをアレンジした上で、本来なら音声合成ソフトに歌わせるところを、彼女自らが歌うのだという。 司会は段取りのために予め知っていたはずだが、わざとらしく驚く。新しい試みですね、と。 さっそく準備をしてもらうといった内容のやり取りの後、番組は短いCMに入った。ステージに向かう小比賀晶子の映像に重なってスポンサーの名称が映し出される。 「……それがお前のやり方なのか?」 僕は思わず問いかけていた。 『UNDER THE ROSE.』をもっと多くの人に聴いてもらい、認めてもらうためなら何でもすると言ったアキラのやり方。 だが――そうだ。これは新しく、そして、異例の試みだ。確かにこれで原曲を使った動画の再生数も伸びるだろう。中にはオリジナルのよさを認めてくれる人もいるかもしれない。しかし、大きな危険も孕んでいる。インターネットと従来のメディア、音楽界は相性が悪い。ネットに媚びているとまでは言わないが、ネットを重視するようなことをすれば、従来メディアや音楽業界から難癖まがいの批判を受けかねない。 そんな単純な業界構造をアキラがわかっていないとは思えなかった。 わかっていてやったのだろう。つまり、アキラはそれだけ『UNDER THE ROSE.』に真剣で、心血を注いでいたということだ。 やがてCMがあけた。 一曲目はアップテンポなロックナンバー。それを冬の湖の如く冷たく澄んだ魔性の歌声で、叙情的に歌い上げる。その圧倒的歌唱力は、熱狂的支持を受けるに相応しい魅力があった。 そして、問題の二曲目。 タイトルは――UNDER THE ROSE.【アレンジカバー】。 まるで原曲に対してこちらはあくまでアレンジバージョンであると主張しているようだった。 作詞作曲は相変わらず僕とアキラの名前だったが、アレンジャーに知らない名前が並んでいた。アキラがこの日のために誰かに頼んだのだろう。アレンジに伴い、ピアノソロだったイントロ部分が変えられていた。 ぼやけて回転するような映像効果の後、現れた小比賀晶子はオープニングから着ていた白いドレスではなく、丈の短いワンピース姿へと変わっていた。ダンススタジオでの撮影のときに着ていたものに似ているが別ものだ。もっと華美で、クールで、でも、あのときの面影も残してた。 ふたりの女性バックダンサーを引きつれ、彼女は歌う。 ダンスはそのままだった。イントロのステップから、Aメロのキャッチーでコケティッシュなダンスへ。ただし、アキラはあくまでボーカルなので、歌の間はマイクを手に聴くものを魅了してやまない歌声を響かせる。なので、一から十まで原曲と同じ振り付けをしてみせたのは、ふたりのバックダンサーのほうだ。 それでも歌がないときは、アキラもダンスパフォーマンスを見せる。 間奏では情熱的に。 アウトロではさらに激しく、まるで命を削るかのように。 本職のダンサーにも引けを取らないパワー。 圧巻のステージだった。 だから――これが僕へのとどめとなる。 少し前からどんな動画を作っても絶対に満足できないだろうとは思っていた。あの日ダンススタジオで踊ったアキラの姿が、作業をしている間も頭から離れなかったからだ。あのときあれを見てしまったのは致命的な過ちだった。 そして、今度はこのステージ。 「お前ね、こんなの僕に見せてどうするんだよ。これじゃもう『UNDER THE ROSE.』で動画なんか作れないだろ」 仮に僕が会心の作品を作ったところで、これを見た後ではどうやったって見劣りしてしまう。作りものは作りものでしかないと痛感するだけの結果に終わることだろう。 僕にとどめをさしてどうする。 我知らず苦笑い。 小比賀晶子の渾身のステージは、見事に僕の心を貫いたのだった。 2014年3月8日公開 |
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